片雲の風に誘われて

自転車で行ったところ、ことなどを思いつくままに写真と文で綴る。

8/22 猛暑続く

2024-08-22 18:47:26 | 日記

 

 酷暑と言っていい日が続く。とても日中は外の作業ができない。エリーの散歩も朝早くと夕方と夜になる。ただし昨日はプールの掃除をして水を貯めた。来週モンタロウたちが来ることになった。また迎えに行かなければならない。

冷房を効かせた室内で本を読むか大谷君の野球観戦、または録画したドキュメンタリーなどを観る。今読んでいるのは少し難解で何時間も読み続けられない。もう5日ほどかけてまだ半分だ。それでブログのネタがない。食事の写真でもと思ったのが今回だ。

 エリーの食事。娘がドッグフードばかりでは健康に良くないと主張し小松菜、大根、カボチャなどを蒸して混ぜている。そこへ最近はリコピンが必要だと言い出したので庭でとれるミニトマトも載せている。朝晩二回だがほぼ同じメニューだ。

 一方人間様の食事も私が朝昼晩と準備している。昨年7月の妻の入院以来なぜか私の仕事となった。

朝食は果物、サラダ、ヨーグルトをほぼ付ける。それにハムまたはベーコン、ソーセージ卵などの動物性たんぱく質を時々。炭水化物はパンかシリアル、これも毎日ではない。作業を予定する日には摂る。

夕食の主菜は魚一、肉類二位の頻度になる。私は魚を多くしたいが妻と娘は喜ばない。上は白身魚のフライ。塩焼、煮魚は中々受け入れられない。品数はメインディッシュにサイドとして酢物やおひたしを付けたい。上はインゲンの胡麻汚しとポテトサラダ。これで量が多いと文句が出る。妻も娘も夕食では米飯を摂らないのでその分量をと思うのだが。私は少量の飯を付けることが多い。

 

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8/16 ジョン・バカン『三十九階段』読了

2024-08-16 13:24:38 | 読書

 新刊コーナーで表紙が目に留まり手を伸ばした。見開きに釣り書きが貼ってある。「ヒッチコック監督が映画化した、スパイ小説史上不朽の名作がカルト的人気を誇るエドワード・ゴーリーの魅力的なイラストをまとい蘇る!」スパイ小説の原点だとも書いてある。1915年発表の小説だとか。

 南アフリカの鉱山で一稼ぎした鉱山技師リチャード・ハネーがロンドンに帰ってくる。特に目的があるわけでもない。ロンドンに飽きてきたころおかしなアメリカ人男が訪ねてくる。どうもそのころきな臭くなってきたヨーロッパのドイツと英国とに関係する何事かの秘密をにおわす。窓の外には彼を狙うと思われる怪しい影が。彼を部屋にかくまうが、翌日そのアメリカ人は殺されていた。このままだと犯人にされてしまうとハネーは牛乳配達の男の衣装を借りて脱出する。

この後いろいろなところを巡りながら、警察や陰謀団から逃げ回る。そうしながらアメリカ人の残した暗号で記されたノートを読み解いてゆく。この間、スコットランドの野原や田園の風景、貴族、ブルジョアの屋敷やらの佇まいなどが描かれる。

百年以上前のスパイ小説なので今頃のサスペンスものとはスピード感が違う。しかし、古典として読めば上に書いたような描写はそれだけでも楽しめる。

どうも私にはこういったミステリー、サスペンス小説はあっていないような気がする。

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8/15 高坂正尭『歴史としての二十世紀』読了

2024-08-15 13:31:16 | 読書

 ここ暫くは小説などの柔らかい本ばかり読んでいたので読み通せるか心配だったが読み終わった。著者は若く(25歳)して京都大学助教授に就任し、早くから若手の論客として論壇に登場した。私より14歳年上だが、我らが世代という意識はあった。しかし、1960年代後半ごろからの時代は世界的に若者が声を上げ行動する時代だった。彼は若くして当時の政治権力者と近くそのブレーンとみられていた。彼の主張の中身をあまり知らずに保守反動と思って、テレビなどでの発言も頭から真面に聞こうとはしなかった。彼の著作も読まずに来た。彼は30年ほど前62歳の若さで亡くなった。この本はそんな彼の著作として昨年冬に出版された。1990年に行われた6回の連続講演をベースにしている。今頃新刊書の棚に並んでいるのを見つけ借りてきた。

 講演を文字化したものだからなのか大変読みやすい。またどのような聴衆を前に行われたのか、内容も理解しやすい。今となっては彼を保守反動として片付けてしまったのは失敗だったと思う。当時の若者はある意味、共産主義の影響を受けて教条主義的なところが強かった。リベラルニュートラルな私と思ってはいたがどうもそちら側にいたのかもしれない。彼は現実主義者、リアリストだ。彼の父親は高坂正顕、京大で哲学を教えていた。wikiによると、幼少の時から父親と糺の森を散歩しながらモンテスキューやカントについて聞かされたという。当時の学生の青臭い、大した知識もなく、受け売りで叫んでいるような言説にはあきれていたのだろう。

 出版に携わった慶応大学の細谷雄一もやはり政権に近い経路を歩いてきたが、彼が今この本を出す意義として挙げているのは、日露戦争から始まった20世紀が戦争の世紀であったとみると、現在の21世紀もイラクのクウェート侵攻やロシアのクリミア併合、ウクライナ侵攻、イスラエル・パレスチナ紛争などやはり戦争の世紀であるとの認識だ。20世紀で戦争がなかったのは東西ドイツ統一、ソ連崩壊の1990年以降のわずか10年間だけだ。その時フランシス・フクヤマが歴史は終わったと書いた。しかし、世界単独最強となったアメリカはソ連、ロシアの大国としてのメンツを顧みることなく扱った。それはあたかも第一次世界大戦後、ドイツに対して英仏が執った態度と同じだったという。それが第二次世界大戦につながった。

日露戦争では、守備しているロシア軍に対して日本は下手な戦術で大勢の戦死者を出しながらも攻撃を繰り返し勝利した。これが戦史上「守備より攻撃が有利」との観念を世界に与えた。冷戦終結後、アメリカも中国もロシアの大国としてのメンツを尊重していない。今のプーチンもじりじりとNATOやアメリカに追い詰められている。ここで一転攻撃に出た方が場面が展開できると考えている節はある。

日本のように、敗戦後アメリカの胸に飛び込み、抱かれながらうるんだ目つきで見上げているだけの国には、自分から戦争を起こす心配はないのかもしれないが、一部にはそんな日本の現状に怒りを覚えている人々も少数ながら存在する。彼らはアメリカに対しては強く出ることができないので、かつて日本より弱いと思っていた朝鮮半島や中国大陸にその思いをぶつけているようだ。

歴史は繰り返す。または、歴史に学べ。

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8/14 映画『ある一生』鑑賞

2024-08-15 11:28:59 | 日記

 ドイツ・オーストリア映画で、世界的ベストセラー小説の映画化だそうだ。

 映画は久しぶりだ。この映画館の会員には2回の無料鑑賞権が与えられるが、そのひとつ目を利用した。2月に新年度になって半年ぶりだということだ。

オーストリアアルプスの山の農家にそこの遠縁の孤児エッガーがやってくる。20世紀初頭の農村では家父長的な家長が厳しく当たる。その男の母親らしき老婆がエッガーに親切にしてくれる。数年経過してその老婆がなくなると、青年になったエッガーはそこを出る。近在の農家の賃仕事などをして生活する。山でロープウェイの開設工事が始まる。そこで働き始める。よく行く飯屋の女性とお互いに惹かれあうようになり結婚する。幸せな家庭を築き始める。しかし、彼女が懐妊しこれからというとき、住まいの山小屋が雪崩に襲われ妻を亡くす。その雪崩の原因となったのはロープウェイの工事で発破をかけた岩山の落石らしい。エッガーは一人で暮らすが、第二次世界大戦がはじまり応召する。ソ連の捕虜になる。数年して村に帰る。村は観光で暮らせるようになっていく。エッガーは同じように、スキーリフトの工事現場などで生計を立てる。山小屋から好きな山並みを眺めながら穏やかな人生を送リながら終末期を迎える。それまでの人生のいくつかの場面がフラッシュバックで浮かんで消える。何時ものように、”愛するマリーへ”と手紙を書きながらテーブルに頭を落としその生を終える。

まばらな観客は割れと同じ世代ばかりだった。

 また近くで空き家の解体が始まったようだ。家から数百メートルの範囲で、この2年ほどで10軒近くの家が解体された。新築も数軒はあるが更地のままが多い。

 数軒隣の更地では2軒新築される。

 最近珍しくなった、外来種のホテイアオイが咲いている池を見つけた。昔子供のころ我が家の池に入れて、瞬く間に池を覆うようになり手を焼いた記憶がある。最近は外来種駆除の雰囲気でその姿を見ることが少なくなっていた。

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8/12 金原ひとみ『ハジケテマザレ』読了

2024-08-12 16:02:41 | 読書

 去年の秋の中日新聞「大波小波」で取り上げていた。彼女の作品はたぶん芥川賞受賞作『蛇にピアス』を読んだか読みかけだったと思う。同じとき同賞を受賞した綿矢りさの最近作『パッキパキ北京』は今年の1/28に読了してこのブログに挙げた。これもやはり書評で見つけて読んだ。彼女の受賞作『蹴りたい背中』を読了した記憶はなかったがこの作品は読み終えた。

この二つの作品は去年の暮れ辺りに発表されたもので同じように新聞が注目した。彼女たちも受賞後20年以上たち、ともに40歳台になっていると思う。今の二十歳前後の若者よりは余程私に近い年代だ。だから私が読むことができたのかもしれない。受賞当時の彼女たちの年代は当時の私が理解できる年代ではなかったのだと思う。彼女たちも私を含む年代に入ってきていると言えるのか。

 あるイタリアンレストランで働く女性たちを中心にした話だ。いくつかあるチェーン店で、彼女たちの店の店長は急に店長不在になった系列店の応援に行っている。彼女たちの店にはベテランの店員がいるのでほとんど顔を出さなくなっている。ある意味労働者の自主管理が行われている。アルバイトたちは、シフトが多いもの、まばらの者と多様だ。主人公の女性はほかの会社で、コロナによる業務量減少でリストラされこの店に来ている。ほかにイタリヤ留学が出発直前になて中止せざる得なくなった女子大生、自分たちが立ち上げたイベント会社がせっかく軌道に乗り始めたのに整理しなければならなかったりした女性などコロナ渦の影響を受けている。彼らは夜な夜な、仕事が終わった後店の休憩室でしゃべったり、食べたり、飲んだりで楽しんでいる。場合によっては終電を超えて始発で帰らなければならないこともある。主人公はこのみんなといることが大変心地よい。個性的なメンバーがそれぞれ自己の目的を見つけそちらに進んでいこうとするが、彼女はこの心地よい店を当分舞台としていくだろうと予想はしているが、大きなウォータースライダーを滑っているような気分もありどこで突然放り出されるかわからないとも考えている。

彼らの会話が今風の言葉でなされているので、理解が完全にできていないシチュエーションもあるのかもしれないが、会話のリズムがラップのようだと書評にもあるよう心地よく読めた。

エリーと通る散歩道、二三日の間に空き屋が取り払われて更地になっていた。サンルームなどもあって、それほど荒れてもいなく、敷地も200坪ほどはあるので、誰か借り手もつくだろうと思っていたのに。もう一軒解体中の空き家がある。

 モンタロウはこの連休、父親と燕岳山小屋伯登山。大きくなったものだ。父親も子育てが面白くなっていることだろう。

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