片雲の風に誘われて

自転車で行ったところ、ことなどを思いつくままに写真と文で綴る。

9/14 杭州 2

2012-09-15 09:54:48 | エル・カミーノ・デ・サンティアゴ

西湖にわずかに残っていた蓮の花

 昨夜は、ブログを夜中まで書いていて、寝付いたのは1時を回っていた。
しかし、朝5時に目が覚めてしまった。
まだ時差ぼけがあるようだ。
昨日できなかった早朝の散歩に出た。

西湖白堤の柳

 いつものように、年寄りが沢山出ている。
ダンス、太極拳、剣を振り回すなど、思い思いの健康法を実践している。
湖畔の木立からモクセイの香りがかすかに漂ってくる。
静岡では10月に入ってからだが、ここは早い。
咲いている木を探すが、なかなか目につかない。
朝食はどこかの路地で、豆乳と油条を卵とネギのクレープで巻いた、中国らしい物をと思って探したが、もうこの辺りでは古い路地が少なくなって、なかなか見付からない。
豆乳と焼餃子で我慢した。

 ホテルに戻り、荷物を纏めた。
昼前に昨夜のメンバーの一人が迎えに来る。
チェックアウトを済ませ、荷物を預けた。
彼が貸し自転車のカードを貸してくれたので試して見る。
昨年気がついたが、杭州では多くの場所に貸し自転車のスタンドが設置されている。
300元の保証金を入れると1時間は無料、それ以上でも1元2元といったごく安い料金らしい。
西湖を一周しようと乗り出したが、湖畔の遊歩道は乗り入れ禁止だ。
その外側の自動車道を走る。
普通のママチャリなので、登り坂はきつい。
自転車を持って湖畔のベンチに腰掛けると、それもダメだと言われた。
結局湖の景色を十分堪能することはできない。

彼岸花がわずかに咲き出していた。

 昔のアパートの方へもと考えたが、もう10時近くなるのでホテルに戻った。
11時に彼が車で迎えにきた。
今日は会社を休んだという。
昨夜のメンバー数人と昼食を共にするという。
郊外のレストランで4人でテーブルを囲んだ。
私は、飲んだ黒米の酒が効いたのと寝不足で途中でうたた寝をしてしまった。

 食後は、一人がやっている店を見に行くことになった。
更に郊外の大学街にある。
大学が五つ、10万人近くの学生が住んでいるらしい。
商品は100円ショップのような低価格の学生向けだ。
他にネット販売も手掛けているという。
 
 その後はお茶を飲もうと、大学構内の高台にある茶店にいった。

銀モクセイ

金モクセイ

そこはモクセイが満開だった。
モクセイは中国では桂花という。
なんというか聞いて、そんなことも忘れたのかと笑われた。


迎えにきた男の学生時代の同級生。
彼女はこの科学技術大学でITの先生をしているという。

 3時になり、帰ることになった。
ここから駅まで1時間近くかかる。
各大学で新入生の入寮時季らしく、送ってきた車が道の両側に駐車していて大渋滞だ。
更に、週末は退勤が早いのですでにラッシュが始まっていた。
やっと汽車に間に合った。

 



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9/13 杭州

2012-09-13 22:49:36 | エル・カミーノ・デ・サンティアゴ

ブルゴス、カテドラルのステンドグラス。
各所に立派なステンドグラスが嵌められている。

 深夜に目が覚めたのが響いて、今朝は9時まで寝ていた。
早朝に西湖を散歩する計画が狂った。

 先ず、銀行に行きカードを取り戻す。
行員に見てもらいながら、千元引き出す。
これで朝飯が食える。

 その後、近くのソフィテルホテルに行き当地で発行されている日本語の情報誌を手に入れる。
そこに出ている別の青年旅舎を訪ねた。
Wi - fi などの条件がよく、空いていれば変わろうと。
条件は良かったがベッドに空きがなかった。
ドミトリーで60元だった。
3年前は15元だった。
オリンピック、上海万博で大きくて変わったようだ。
雨が降り続いていたので、傘を手に入れた。
湖畔を歩いて見ようと思ったが、風も吹いてきたので、足浴、マッサージで疲れをとった。
その後、ホテルに戻り昨日のブログをアップした。

 そうしている内に、今夜、会食の約束をしたので、4時にその迎えが来た。
会食前に、フランス系の大型スポーツ用品店に連れて行ってもらった。
目的は冬用の寝袋を手に入れるためだ。
現在使用しているのはスリーシーズン用だ。
ニュージーランドの秋、0度近くまで下がると重ね着をしないと眠れなかった。
以前来たときは6月で、シーズン前だったので品数が豊富だったが、今はシーズンが終わってわずかな残り物だけだった。
マイナス25度まで対応の物
があったが、サイズが大きいものだけで値段も日本円で二万円近くする。
確かに重量が1.3キロと軽く、上等な羽毛と布地を使っている。
しかし、日本でも同等の物はもう一万円も出せば品数が多い。
そこで、マイナス5度対応の安物にした。
重量が300g重いが、値段は五千円程度だ。
300gの重量は辛いが、今回の旅で13キロ近くを背負って歩き続けることができた自信が背中を押した。
本格的冬山に入る訳ではなく、秋の東海自然歩道行きの為だから、財布の事情を寒さより優先した。
後、安物の衣類も数点購入した。
今回使用した衣類はどれも洗濯が十分ではないので薄汚れている。
都会を歩くのは少し気になる。

 会食のメンバーは、以前の会社の元社員達。
ここのところ、毎年来ているので声をかけるのがためらわれたが、私が来た時しか会えないメンバーもいるからと言われてまた、厚かましく連絡した。
中には、私のブログを読んでいてくれて、上海に寄ることも知っている人もいる。
何時も誰かにご馳走になっているので、今回は私がと強く言って置いたにもかかわらず、また、ご馳走になってしまった。
その上、上海の宿が土日に掛かって取れないことを話すと、すぐ上海の友人に電話して取ってくれ、なおかつ、この料金も払われてしまった。
ただ、今は皆が楽しそう話しているのを見て、喜んでくれていると思うしかない。
参加できなかった人にも電話してくれて、久し振りに話した。
今はもう彼らの何の役にも立てないので、程ほどにしなければいけない。


 最後に、また失敗の話しだが、皆がスマートフォンを持っているので、SIMカードを交換したりしていたら、私のカードが無効になってしまった。
これで日本に戻るまでは電話ができない。
あるいは、明日中国のSIMカードを購入して使えるようにするかだ。

 ところが、夜中に目が覚めて、SIMカードの向きを確認していないことを思い出した。
確認するとやはり反対に差し込んである。
差し直すと開通した。
また、自信を失う出来事だ。

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9/12 上海ー杭州

2012-09-13 15:03:17 | エル・カミーノ・デ・サンティアゴ


ブルゴス旧市街前の川沿の公園。

パリCDGのターミナル2Eの出発ロビー、集成材を使って安らぎを感じさせる。


 パリ時間13:40に出て、上海浦東空港に着いたのが7時過ぎ。
飛行機の中では全く眠れなかった。
日本映画を3本も観て目が痛くなった。
そのためか、中国へ着いてからは、小さな不運と失敗が続いた。

 先ず、荷物のピックアップでザックが最後まで出てこない。
機内で見かけた顔がそこからピックアップして行くのに。
30分以上待って、同じような人が沢山いて誰かが係員に聞いてそれが分かった。
確かめると、パリからのMU 、エールフランス共同運行便はそれぞれが複数の数字を使った便名を持っていた。
行ってみると誰もいないターンテーブルに乗って回っていた。
MU 554便だけが別のテーブルに乗せられたようだ。
これは失敗とは言えないかも知れないが。

 次は、上海から杭州への移動方法を考えていなかった。
漠然と、バスか電車で南駅まで行って高鉄(中国版新幹線)に乗ろうと考えていた。
しかし、まだ空港からの直行バスがあればその方が楽かも知れないと思って回ってみた。
残念ながら10分前に出ていて、次は1時間半後だ。
南駅までのシャトルバスは、またターミナルに戻らなければならないので地下鉄で行くことにした。
2号線が空港まで伸びているのは知っていた。
地下鉄はいくつも路線ができて、どのラインを経由するのが一番早いか係員に聞いて、2号線で人民広場まで行き、昔ながらの1号線に乗り換えることにした。
途中までリニアがあるが、これは高いので選択しない。
地下鉄の車内でブログの下書をタブレットで始めた。
なかなか着かないなと思った40分過ぎ頃、止停車した駅名がさっき通った所。
電車が戻っている。
そういえば乗降の激しい駅が、と乗り換えねばならないことを思い出した。
しかし、電車はすでに空港に着きつつある。
時計を見ると、直行バスの次の便が発車間際だ。
そのバスに駆け込んだ。
考えてみれば、地下鉄が1時間以上、新幹線への乗り換えがうまく行っても30分以上掛かる。
例え、新幹線が1時間で杭州に着いたとしても、今の杭州駅は昔のシヨウ山らしい。
市の中心部までまた、バスに乗り換えて30分以上掛かる。
それぞれの料金と時間を足し上げると直行バスの100元の方が合理的だ。

高速道路、嘉興サービスエリアに電気自動車用のスタンドがあった。
日本の充電スタンドと違ってバッテリー交換スタンド。

 次は杭州でバスを降りると、突然のスコール。
余り濡れない内に近くのラーメン屋に入った。
1時過ぎだった。
食べ終わってもまだ止まない。
目の前のバス停の屋根下で待つと幸いタクシーはすぐつかまった。
地図を示して、以前使った青年旅舎(ユースホステル)を指示した。
車が西湖の東側の湖濱路に入ると、大渋滞。
さっきのスコールで吹いたらしい突風で路肩のプラタナスの大木が何本も倒されている。
それが交通の障害になっている。

杭州では根が浅いのか、大風が吹くとよく樹木が倒れる。

やっと青年旅舎に着いたら、改装中で営業していない。
仕方なく、安宿チェーンの如家酒店に入った。
これはラブホテルの需要のせいか、ここ数百メートル内に3店もある。
しかし、Wi - fi が使えるのは下のロビーカウンターの所だけ。
 
 次はシャワー、洗濯の後、ブログをアップして、夕食に出た。
人民元が少ないので引き出そうとしたら、操作を誤ったためかキャッシュカードがATMに吸い込まれてしまった。
ちょうど来た警備員に聞くと、翌日の営業時間に身分証をもって窓口へ行けという。
もう一枚のカードを試しても上手く行かない。
手持ちは70元程度、これで何とか食えるだろうと、近くの日本飯屋に入った。
先ず、20元のビールを頼んでからメニューを眺めると、夜は定食がない。
なお、単品がどれも50元以上だ。
以前は毎週日曜日午前の西湖一周ウォーク後に、仲間と20元前後の定食をビールとともに頼んでいた。
探して見ると、
45元のお好み焼きがあった。
魚の塩焼きが食べたかった。

 最後は、宿に帰って、一眠りの後、電話に充電しようとすると、充電器が見付からない。
何処で忘れたか思い出せない。
歩きの間重い思いをして背負ってきた乾電池の充電セットがやっと役立った。

 夕食後直ぐに寝付いて、深夜に目が覚めたので、だらだらと駄文の長文になってしまった。
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9/10・11 Burgos ーParis

2012-09-12 18:42:24 | エル・カミーノ・デ・サンティアゴ

自転車で巡礼している人はほとんどがマウンテンバイクだ。


城山からの眺め。

 10日朝、8時にアルベルゲを追い出された。
アルベルゲは原則として連泊を認めない。
音楽家夫婦も一緒だった。
彼らはもう1日ここブルゴスを観光するそうだ。
アルベルゲの外で荷造りをしていると、以前会った、中年夫婦が歩いてきた。
彼らはバス移動も交えながらカミーノを旅している。
ブルゴスで3日過ごし、これから歩くという。
娘さんがスペインにすんでいるという。
とうとう名乗らずに終わった。
 MUのパリオフィスが開くまでに時間がある。
カテドラルの裏にある城山に登る。
ブルゴス全市を見晴らすことができる。
月曜日の朝で人はいない。
 また、街に降りて、Wi - fi のあるバールでブログをアップする。
10時過ぎ、MU に電話する。
14日を11日への変更はすぐできた。
しかし、変更料が150ユーロも掛かるという。
仕方ない。
カミーノ上で使った金額より往復の交通費が多くを占める。
 ブログを3日分、メールを数通で昼になった。

街角のパフォーマー、身動きしないのはズボンと下のマットに支えがあるのでは?

 汽車が出るまでにまだ9時間以上ある。
近くの教会の上にある、小さなアルベルゲに入って休むことにした。
一眠りした後、また、街に出た。

熊野古道を世界遺産に!と書いた菅笠を負ったオバサン。


トニーは軍人上がりのようなたくましい身体をしている。

 カテドラルの前のバールで昼食を取っていると、知った顔がくる。
スコットランド人のトニー、オーストラリア人のジル、その他名前を知らない顔見知り達。
ソウイチロ君もきた。
足裏のマメはよくなったが、今度は膝が痛いという。
ヘギョンさんも同じアルベルゲに着いたみたいだという。
 更に道を続けて行く人達の事を思うと、ここで中断することが、なんだか心残りになる。
止めるとなったら、身体が重く感じたが、足のマメも、膝の痛みもなく、歩くことに慣れてきた時なのにと思う。
今回、歩くことを選択したことは良かった。確かに自転車ならボルドーからでも2週間あればサンティアーゴまで到達できたであろう。
しかし、最初のオリソンで出会った人達と、2週間、後になり先になりながら、何度も出会い、お互いの無事を確認しあったりすることはなかっただろう。
 13日、288キロを歩いた。
1日平均22キロ程。
残りが約500キロ弱、三分の二残っている。
来年の春から初夏に掛けて歩ければいいと思う。

初めての国際列車。

 乗り込んだ汽車はマドリッド発パリ行きの国際列車だ。
汽車で国境を越えるの、返還前の香港中国を別にすれば初めてだ。
乗車の時にパスポートを確認しただけで、国境では何もない。
私のパスポートにスペイン入国のスタンプはない。
イタリアからスロベニア、クロアチアへ渡った時は、船で入国なら船が、車なら車がデザインされたスタンプが国境で押された。
汽車は少し遅れて9時15分にパリ、アステルリッツ駅に着いた。
メトロで北駅に行き、REBに乗り換えた。
CDGには2時間以上前に着いた。
Wi - fi は90分で5ユーロ程、下書きをしてから繋ごうと思っている内に搭乗時間になってしまった。
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9/9 Gardenuela Riopico ーBurgos 15キロ

2012-09-10 18:22:44 | エル・カミーノ・デ・サンティアゴ
 
昨夜のアルベルゲ。

 今朝も遅く宿を発った。
7時半を回っていた。
最初の村に入ったところで、バールに座っているフェルナンドを見付けた。
私も朝食を取ることにして同じ席に座った。

今後のエル・カミーノの旅の予定を話しているときに、実はペースメーカーが入っているので、何日か毎に病院に寄って、検査とリチャージをしなければならないと言い出した。
こちらもつい、腹の手術の話しをした。
それで、一回の食事が小さいのか、と先日の夕食時を思い出していった。
その後、この年になれば、誰だって、なんかしら、身体に問題を持っているさと明るくいった。
しかし、こんなに身体になると、回りの日常のこと、特に自然が美しく、なんとも愛しくならないか、このスペインの大地を見ろ、などと大げさにふざけているのかと思ったら、目に涙を浮かべていた。
そこへ、一昨日の夕食時一緒した、アメリカ女性がジョニーが現れ場を救ってくれた。

フェルナンドは私よりも2時間近く早く歩き始めていた。

写真を取り合って、メールアドレスを交換してる所に、今までも遠くから見かけて韓国人かなと思っていたカップルがきた。
話して見ると日本人だった。
彼らと日本語の会話を楽しみたいのでといってその場を離れた。
 このお二人はご夫婦でパンプローナからこの道に入った。
奥さんは音楽家で、バルセロナへ留学経験があるという。
娘も音楽家でパリに留学したというと、いつ頃かと聞く。
彼女の友達が同じ頃、同じ楽器で留学していたので知り合いかも知れないなどといった。
彼女は、歩くのがゆっくりで、ご主人と話しながら歩くと、つい彼女を後ろの方へ離してしまう。
彼らのペースを乱すので、ブルゴスの町に近づいた時、別れた。

話せば皆が親しくなる。

 ブルゴスの旧市街に入って、先ず、ツーリスモオフィスを訪ねた。
バスや汽車のアレンジはしてくれない。
もう一ヶ所訪ねても同じだ。
教えられたバスターミナルへ行き、便と時間を確認した。
パリまでの夜行直行バスもあるが、週三便だけで、それも火曜日、11日発だ。
一先ず、カテドラルの裏の巡礼路上で一番大きいベッド数160あるというアルベルゲに荷をおいた。
音楽家夫婦もデンマーク人のジョージも到着した。

大きくて立派なカテドラル。
現在も改修がされ続けているらしい。



 シャワー後、カテドラルを見学し、近くのバールで昼食とした。
いよいよ最後かと思って、タパスを二品頼んだ。
観光地のど真ん中で、多くの人が行き交い、まことに騒がしい。
田舎道に慣れ親しんだ身には耐えられない。

まるで中国のような駅舎。

 郊外にある、鉄道の駅にバスで向かった。
20分程走ると新開地の中にモダンな新しい駅舎があった。
本数が余りないのか閑散としている。
窓口で聞くと、パリまでの直行便がある。
しかし、今夜の便は満席だとのこと。
とりあえず、国境のイルンまでバスか汽車で行き、1日三便あるTGVに乗り換えるかとも考えたが、それだと夜着になる。
ネットが使えないのでホテルが予約できない。
これでは少し不安なので、明日10日夜9:38発の直行便のチケットを購入した。
朝9:03にパリ、カルチェラタン地区近くのオステルリッツ駅に着く。
これなら、そのまま、13:40発のMUに乗り継ぎできるかもしれない。
飛行機便の変更しようとしても、教えられているパリに電話しても繋がらない。
明日、日本へ電話するしかないようだ。



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