片雲の風に誘われて

自転車で行ったところ、ことなどを思いつくままに写真と文で綴る。

6/11 西尾幹二『日本と西欧の五〇〇年史』読了

2024-06-11 10:49:16 | 読書

 図書館の新刊コーナーで見つけて借りた。著者の名前には「新しい歴史教科書をつくる会」や天皇制問題などで保守的な論者という印象を持っていた。つまり若干侮蔑的な印象だ。それでも借りてきたのはこの本の構成だ。

第一章 そも、アメリカとは何者か

第二章 ヨーロッパ五〇〇年遡及史

第三章 近世ヨーロッパの新大陸幻想

第四章 欧米の太平洋侵略と江戸時代の日本

 今まであまり私が意識したことのテーマが並べられていた。著者はドイツ文学者であって歴史学者ではない。しかしドイツ文学といってもニーチェやハイデガーなどの哲学を中心に勉強してきたらしい。したがって読書の幅、量とも相当なもののようだ。この読書を通じて近世の歴史を五〇〇年さかのぼった時に思いついたことを記述している。彼が意識しているのは、その中心にあるのはやはりキリスト教による世界認識がベースになっているという点だ。キリスト教を信奉する人間にとってその信者以外は野蛮人、または人間ではない。よってアメリカ先住民もアジア人も日本人も彼らのヒューマニズムの範囲にはない。日本とアメリカの戦争もそうだ。この点は私も納得する点だ。

また日本人について述べている中で、江戸時代の「鎖国」について、最近この「鎖国政策」についてそもそも本当に鎖国していたのかという議論が出ていることに触れている。著者は日本は地政学的な意味で西欧にとって触れがたい存在であったと、ハワイも同じ理由で長く孤立していたと。それは北太平洋という大きな空間だ。西欧はインド、インドネシアの東南アジアで手いっぱいで、恐ろしく広い北太平洋に手を出すゆとりがなかった。しかし、ラッコの毛皮やクジラの油をとるようになって、ロシアやアメリカが入ってきた。その接触も、東南アジアやアフリカに対するような侵略的な意識ではなく、薪炭の補給やとったラッコの毛皮を買ってもらいたいというような限られた意識だった。従来日本ではペルーの黒船騒動のように、砲艦で脅しをかけてきたとの印象が強いがそれ以前は上のように協商的な態度だった。その前、西欧のスペイン、オランダ、英国がアジアに進出してきたとき、日本についての彼らの印象には戦国日本の武威旺盛な印象が強く、うかつに手を出さない方が良いとの意識もあったようだ。そんな日本人の心性について、日本の嫌韓本コーナーでよく名前を見る韓国人呉善花氏の感想を記述している。「日本は”イデオロギーを持たない稀な国家”。日本人というのはまったく分からない国民で、日本人の精神の軸、そう呼べるものがいったい何なのか、どうもはっきりしない、韓国人にとってはそれが謎であるだけでなく不安の原因なのだ。韓国は朱子学の儒教社会であり、これが軸と言えるだろう。日本人は神道なのか武士道なのか仏教なのかいったいなんだ?八百万の神だとか、自然を敬うアフリカ人なら分かるが、文明国にあってはならないことだ。ここで韓国人は困ってしまう。頭が混乱するだけではなく、許せないということになる。日本人には価値とか道徳がない。デタラメな基準で生きている日本人には真の価値が理解できないから、いつも頭をたたいておかないと何をするか分からない。常にきちんと教え込んでおかないといけない。これが韓国人のいうところの「歴史認識」。双方が意見を出し合って互いに歩み寄るというものでは決してない。日本人は韓国のいうことを聞けということ。」確かに韓国人と話しているとこの意見のような印象を持つ。何時かニュージーランドで知り合った日本の女性から聞いた話が印象強い。彼女が現地で知り合った韓国人男性がカナダに留学するため帰国するという前の晩、最後だから会いたいという。彼女は少しロマンチックな期待を持って会ったところ。彼曰く「あなたの歴史認識や考え方が間違っている。最後にどうしてもその点をちゃんと指摘、修正しておきたかった。」と言われたという。確かに日本人と韓国人とは精神の軸が違う。

 少し長くなり過ぎたが、西尾の見方にはこういう見方も確かにあるなと、蒙を開かれた部分もある。四〇〇ページを超える厚さだったが読み終えることができた。

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