片雲の風に誘われて

自転車で行ったところ、ことなどを思いつくままに写真と文で綴る。

12/30 香港 朝

2011-12-30 08:56:27 | パリ 2011.12

香港空港の朝日。
一番端っこにある成田行きのゲートから。

 香港に8時前に着いた。
1時間半で成田行きにトランジットする。
この程度の乗換え時間なら納得できる。
写真の太陽は睡眠不足のカメラだから黄色く写っているのではない。
確かに靄の掛かった香港の空気で黄色く見える。
この空港は出来てまだ10年にならないと思うが、市街地からは遠く離れた島で空気はきれいなはずと思うが靄を通すとこう見える。
前の空港は着陸時はまるでビルの谷間へ降りるようだった。
新空港は相当大きく作られているようで、アジアのハブ空港の一つになっている。
今のパリからの客も大部分がトランジットだ。
空港ビルも相当大きくて、今回は端から端までかなり歩かされた。
成田には2時過ぎに着いて、家に着くのは8時近くなるかもしれない。


パリの宿の窓から東駅方向を見る。
左のビルの左が駅だ。

 朝東駅からシャルルドゴール空港へ行く時に失敗をした。
メトロから北駅でRER に乗り換えて空港へ行くのだが、メトロから乗換え時に普通のメトロ駅から出るように出たら、そこが既にRERの駅内だった。
チケットを買わずに乗ってしまった。
検札が来て(ここまで香港で記述、バッテリーダウンで中断)
チケットを購入しようと二人で18ユーロなので20ユーロ札を出すと、一人40ユーロだと言われた。
かつて娘から聞いた罰金を含めて4倍5倍になるとはこのことかと気がついた。
千円で済むところに4千円払った。
空港で中級以上のワインが2本も買えた額だ。
まあ、旅ではこう云うこともあるかと諦めるしかない。

 香港から成田への機中は比較的すいていた。
成田に2時半頃着いて車で自宅へ向かった。
道路は所々渋滞していたがそれ程ではなかった。
香港からの機中で飲んだウイスキーが消えていなかったので、富士川まで下痢で憔悴した妻に運転させることになった。
自宅に戻るとランは何時もの私の帰宅と違って娘達にチヤホヤされた所為か落ち着いたものだった。
明日は家の周りの掃除をしなければならない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

12/28 パリ 4

2011-12-29 06:12:22 | パリ 2011.12

シュノンソー城。
川の流れの上に建てられたギャラリーが有名。

 パリ観光最後となる4日目はロワール渓谷の古城めぐり。
朝6時過ぎに、カップ麺の朝食でホテルを出る。
まだ真っ暗で霧の立ちこめるなか街を歩く。
サンミッシェルのセーヌ岸の観光会社前に7時集合。
同時にモンサンミッセル行きとロワール行きが出るようだ。
ロワール行きは大型バスに半分ぐらいの十数組。
集合場所にいた数組の日本人グループは全てモンサンミッセルへ行ったようだ。
バスは暗い夜道を走るだけなので、途中の休憩所に着くまでほぼ全員が眠っていた。
3時間近く走って、最初のお城「シュノンソー城に着く。
こじんんまりとした気品ある姿だ。
女性城主の時代が多かったそうだ。


城の前に広がるフランス庭園。
パンジーや勿忘草が植えられているが花はまだちらほらだ。

 昼食は城の外少し離れた村のホテルで取る。
我々はツアーにオプションで頼んだが、他の人たちはどこか他へ行った。
食事後またバスで次のシュベルニー城へ向かう。
ここはまだ代々の所有者が城の一部で暮らしている。

シュベルニー城の北側、玄関がある。

南側、前に花壇などのある庭が広がっていて、こちらが正面か。

 城の外装は歳を経れば経るほどその白さを増すブレ産の石だそうだ。
確かにその姿は美しい。
しかし、内装は近代になって改装され少し薄っぺらな感じだ。


城主が今も狩で使う猟犬を多く飼育している。

 最後はこの地域で一番大きなお城といわれているシャンボール城。
えらくごてごてとした尖塔を屋根に付けている。


城の敷地面積はパリの市街地より大きいそうだ。


城の中央に螺旋階段が設けられている。
その周りは広い空間になっていて、四隅が部屋に仕切られている。

 城の中はそこかしこに暖炉が設けられていて、大きな丸太のマキがくべられているので、これほど広い空間でも外の冷気を感じさせない。
部屋が多く、建物も複雑なので見学に少し時間が掛かりそうだったが、妻が急に下痢と腹痛に襲われた。
バスに戻る時になって、朝から曇ってはいても降り出さなかった雨が降り始めた。
妻はバスの中でも吐いたりして、帰り道の3時間ぐったりと憔悴してしまった。
それでも最後の見学を終えようとしていた時だったのは不幸中の幸いか。
同じものを食べている私はなんとも無いのだから、原因は感染症などではなく疲れから来る食中りの様なものかもしれない。
明日は飛行機に20時間近く乗り続けることになる。
明日の朝までに回復すればよいのだが。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

12/27 パリ 3

2011-12-28 04:51:59 | パリ 2011.12

お世話になっていいるホテル。
東駅の直ぐ近くで便利なところだ。

 今朝は昨日より早くホテルを出た。
しかし、目的のオルセーの手前まで来たメトロの中で美術館パスを忘れてきたのを思い出した。
仕方なしにまたホテルに戻った。
往復で1時間ほど無駄にした。

 オルセーに着いた時は既に9時半を回っていたので、優先パス所持者のゲートでも100メートル程度の列が出来ていた。
10分ほど待って入館できた。

オルセーはかつてパリからオルレアンへ向かう汽車の駅の駅舎を美術館に改装したものらしい。


セーヌに面した側にある大きな時計の内側。
 
 オルセー美術館には、印象派に近い近代の画家達の絵が集められている。
モネ、ドガ、ルノアール、ゴッホ、シスレー、ゴーギャンなどだ。
ミレーの「晩鐘」「落穂ひろい」などもある。
また、今年東京で開催されたゴッホ展に展示されていた「黄色い部屋」「自画像」などが既に戻ってきていた。

 私の印象派好きは、どうも子供の頃から家に飾られていた叔父の絵が元のように思い出した。
渓流で魚釣りする人を描いた小さな油絵だったが、水しぶきを上げて流れる川など見たことがなかった子供にとっては印象深かったのだと思う。
叔父は引退した後我が家に逗留して砂丘の絵などを描いていたことがあった。
それが、今見るシスレーの静かな落ち着いた絵の雰囲気によく似ている。

 昼食は、妻が娘に教えられたというオデオン近くの小さなレストランを探すが見つからなかった。
なぜ具体的に地図上で確認してこなかったのかなどと口論になりそうなところまで行った。
諦めて、アフリカ系らしいレストランに入った。
豚肉の煮たものと粟か稗の飯がセットされたものを食した。
値段は安かったが、味は今回の食事では最高にランクされるだろうと思える。
食後、娘が住んでいた近くにあるカタコンベ(ローマ時代から続くキリスト教徒を中心とした埋葬者の骸骨がたくさんある)を訪ねた。
過去何度も前まで行ったが一度も入れなかった。
今回こそはと勇んで行ったが、着いた時には、既に数百メートルの列が作られていた。
寒風の中ほとんど動く様子のない列に並ぶ元気は出なかった。
今回も敢え無く見送りとなった。

 その後は買物に当てた。
先ず、ボンマルシェでワインとサラミ、次にマドレーヌ広場のフォションで紅茶、次はオスマン大通りのデパート、プランタンとラアファイエットで妻のお目当てのロンシャンのバッグを探す。
ラファイエットでその店を見つけた。
もし無ければまた、マドレーヌ広場の本店まで行くところだった。
しかし、信じられないことに、デパート内の店の前に入場制限による行列が出来ていた。
シャンゼリゼ通りのルイヴィトンの前には今日も日本人女性たちの行列を見たが、高々数千円のバッグの店に行列とはと驚くと、妻が安くて軽くて使いやすいので人気だと説明してくれた。
そう云われれば、妻も娘二人もそのバッグを持っていた。
妻は別サイズのものが欲しいとのこと。
30分以上待ってやっと手に入れた。

 さて次は夕食だが、もう二人ともフランスの料理には期待していなかったので中華料理でもと、またオペラ通り裏のアジア料理の多い地区に入った。
日本食やと韓国料理屋はあるが、中華はテイクアウトの店だけだ。
中に、「来々軒」の看板があった。
入ってみるとやはり日本人の中華料理屋だ。
パリで日本人の中華料理屋も変だが酢豚など数品を頼む。
店は半分も入っていなかった。
近くには日本人のオバサン4人組が気炎を上げていた。
聞こえてくる話では、若い頃から世界中を歩き回り、今はフランス人と結婚してパリで暮らしているらしい女性が後輩にその武勇伝を語っている風だ。
店の店員に若い女性もいるが、日本人団塊世代らしいおじさんも二人働いている。
片隅には、とても駐在や観光客には見えない日本人老人が一人で食事している。
ふと「デラシネ」という言葉が浮かんできた。
私も学生の時飛び出してきていたら、今頃こんな暮らしぶりだったのかもしれないと思った。
肝心の料理の味は慣れ親しんだ味で可も無し不可もなしというところだ。
我々が食事を終える頃には満員で、待っている人の列も出来ていた。
この地においてその味はいいほうなのだろう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

12/26 パリ 2

2011-12-27 07:18:12 | パリ 2011.12

サモトラケのニケ。
ルーブル・ドゥノン翼で迎えてくれる。

 朝一番、9時少し過ぎにルーブルに入る。
開館5分後なのにもう長い行列が出来ていた。
しかし、パスのおかげでその行列の横から直ぐに入ることが出来た。
ルーブルにはパリに来るたびに入っているので、他の展示を見る前に先ず、モナリザさんに挨拶をする。
既に、写真を写そうとしている多くのアジア人でその前は黒山だ。
周りを見回すと、観覧者の半分以上がアジア人だ。
朝早くから来ているのは、勤勉なのかはたまた短い日程で多くを見ようとしているためなのか。
ドラクロアやレンブラントなど有名な絵がずらりと並んでいるが、私達も今回はそれをゆっくりと観賞する余裕がない。
リシュリュー翼にフェルメールの絵が2枚あるので次はそれに向かう。
途中でミロのビーナスさんにも挨拶する。

ミロのビーナス。
ここも黒山だ。

 フェルメールは1枚は貸し出されていて残りの1枚だけを見た。
オランダ絵画のコーナーに飾られているが、確かに際立っている。

 急ぎ足で駆け抜けたようだがそれでも2時間を費やしていた。
次はロワール渓谷古城めぐりのツアーを予約する為にインフォメーションに行く。
ネットでの日本人向けツアーは満員だったので、英語のツアーか電車で行ってレンタカーを借りるかどちらかにしようと思っていた。
ガイドなしの英語のツアーがあったのでそれにした。
ガイドなというのは、城の入口まで連れて行って、何時までに戻ってくださいというだけとのこと。
今日は日本語を話す担当者がいなかったので英語で苦労しながら相談した。
昼食は、オペラ座、パレガルニエの東側の路地に入ると、日本料理をはじめ韓国や中国などアジア系のレストランが軒を連ねたところでラーメンを食べた。
日本人の若い店員達の店で、客は日本人より中国人、韓国人の方が多かった。
味はまあまあだった。

 午後はルーブルの西側、チュイルリー公園の一角にあるオランジュリー美術館に入った。
モネの睡蓮を中心にして、印象派の絵が揃えられている。
小さいがよく考えられて展示されているように思った。

ピカソ若き日の作品、力強さと迫力に圧倒される絵だ。
デッサンや構図もさすがと思わせる。

 オルセーやロダン美術館は今日が休みなので、明日の予定にした。
少し離れたマルモッタンへモネの絵を求めてメトロで向かったが、ここも今日は休館日だった。
見落としてしまっていたようだ。

 またメトロで戻ってポンピドーセンターへムンク展を見に行く。
これは企画展なので美術館パスは使えなかった。
ムンクは「叫び」などの絵が有名だが、それは彼の人生の前半の作品で、後半は写真やフィルムでの表現に向かっていたようで、ある意味、「ムンクのその後」に焦点を置いた企画だそうだ。
これは出発前に朝日新聞で紹介されていた。
カンディンスキーなどと同じ時代の作家だが、彼のその病的さは、なんとも暗い方向に向かっている。
カンディンスキーやミロの様に病的幼稚さだが白けるほどの明るさとは大違いだ。
同じポンピドーセンターで草間弥生の個展も開かれていた。
彼女も同じく病気としか思えない作品が多いが、彼女の場合、暗いとか明るいではない何か新しいものという印象を受ける。
身近に置いておきたい作品ではないが、眺めると心が落ち着き静になるような気がする。


 外に出てみるともう6時を越えていて、薄っすらと赤みが残っている空に、電飾されたエッフェル塔がくっきりと見えた。

 夕食は、またオペラ座近くまで歩いて戻り、最初にパリに来た時にも入った記憶のあるレストランで生牡蠣を食べた。
牡蠣は7個程度しか食べてないが、少しのパンも一緒だった所為か
その後に来た牛のフィレステーキが半分も入らなかった。
味は日本の牛肉の方がずっと美味しいと思った所為もあるかもしれない。

 ホテルに着いた時は11時を回ってしまって玄関には鍵が掛けられていた。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

12/25 パリ 1

2011-12-26 04:21:09 | パリ 2011.12

セーヌ川の橋の上にクリスマスの豚の菓子と特大のマカロンを置いて。
遠くに見えるのはノートルダム大聖堂。

 24日夕方、成田を発って香港で乗換え、今朝早くパリに到着した。
北駅近くの小さなホテルに荷物を置いて一休みしてから出かけた。
宿から真直ぐ南に下って、セーヌの岸辺まで歩いた。
歩き始めは少し小雨が降っていたが、セーヌに着く頃には青空が広がって来た。
 
 パリは6・7年振りぐらいだろうか。
娘がシテ・ユニベルシテールの日本館を出て、モンスーリ公園近くのアパートに移った時以来だ。
この季節に来るのは三度目か。
今回は、妻が暮れに少し休みが取れるからどこか行きたいと言い出したのが発端だ。
初めは、夏に向かうニュージーランドかオーストラリアと思ったが、安い航空券がもうなくなってしまっていた。
そこで私はスペインとかニューヨークとかを希望したが、妻が同意せず、結局航空券にホテルがセットされた安いチケットでパリに来ることになった。
パリで4日間過ごすことになる。
まだ予定を決めていないが、前半は美術館と街めぐり、後半は郊外へ出えてロワール渓谷の古城めぐりでもと考えている。


クリスマスで入場者の長い行列が出来ているノートルダム寺院の前で結婚の記念写真を取る中国人花嫁。
周りの人々が唖然としていた。

 セーヌ川の水上バスに乗ったことがなかったので初めて経験した。
ノートルダムからシテ島の北側を回ってエッフェル塔近くまで行き、また戻って、サンジェルマンで降りた。
サンジェルマンからリュクサンブール公園に向かい、途中のカフェで昼食をとった。
クリスマスで開いている店が少ないのであまり吟味せずに入ってしまい、味は今一歩だった。
リュクサンブール公園はこの時期、花は咲いていないが多くの観光客で賑わっていた。
またセーヌの岸辺まで戻り、ルーブルを抜けて北へ向かった。


25年位前に初めて来た時泊まったホテルルーブル。
福沢諭吉も泊まったホテルだそうだ。

 オペラ大通りを通ってデパートのあるオスマン通りへ向かった。
デパートのショウウインドウがクリスマス用の飾り付けがされているのでそれを見たいと言う。
途中のインフォメーションで明日からの美術館パスを買った。
下手な英語で話していると、その担当者がお前は何処から来たかと問うので日本からだと答えると、隣に日本語のできる担当者がいるとそちらへまわされた。
彼女は本当に上手な日本語だった。
このパスを持っているとルーブルなどの人気ある所で長い列に並ばずに入場できる。


プランタンの飾り。
操り人形が踊ったりするような飾りが多く子供だけでなく大人達も沢山集まっている。

 結局、そのままラファイエット通りを北駅まで歩いてホテルに戻った。
よく歩いた、15キロ以上歩いただろう。
夕食にレストランへ入るには少し早い時間だったので、ホテルの近くのパン屋でサンドイッチを買って戻った。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする