片雲の風に誘われて

自転車で行ったところ、ことなどを思いつくままに写真と文で綴る。

4/14 チッタゴン問題

2015-04-16 20:04:18 | 2015バングラデシュ

渡部さんのバングラデシュ通信で私の訪問が取り上げられた。(4/14朝日新聞静岡版)


私のバングラデシュ行きの目的が、ブログを読んだだけではよく解らないと、石垣島で言われた。
そこで、その目的とそれに関連するチッタゴン問題について書いてみる。

以前、上に挙げた朝日新聞の「バングラデシュ通信」で、ちぇれめいえProjectのことを知った。
投稿者の渡部さんは静岡文化芸術大学の学生で、世界放浪旅行中に、子供の頃暮らしていたバングラデシュを訪れた。
その時、チッタゴン地区(CHT)のランガマティにあるモノゴール学校のことを知った。

このモノゴール学校は、40年前、バングラデシュ独立戦争にかかわる民族紛争で親を失った子供たちの救済機関として設立された。
最初は、仏教会が孤児を寺で保護していた。
しかし、孤児たちが大量に発生したので、寄宿舎付きの学校に発展した。
現在は千人ほどの小中学生(1年から10年生まで)が学んでいる。
学んでいるのはチッタゴン地区の先住民族である、ジュマと総称で呼ばれる人々の子供たちだ。
このジュマ(Jumma 焼畑をする人)はモンゴロイド系の民族で、現在は13の民族があるという。
大部分が仏教徒だ。
その人口は100万人から150万人と言われている。
その中で人口が一番多いのがチャクマ族でランガマティはチャクマ族の中心地だ。
人々が暮らしている村は、広大なチッタゴン大地に分散しているため、村に学校のないところが多い。
そこで、孤児だけでなく、学校のない村からの子供たちも寄宿している。

現在はいくつかの国際的NPOや個人のの支援を受けている。
その中で、ちぇれめいえProjectは約30人の孤児または片親で学資に困窮している子供を支援している。
この子供たちに毎月の授業料と寮費を支援する里親を日本で募集した。
その里親の1人になったわけである。
渡部さんは、現地でほかに困窮家庭の自立支援なども手掛け、もう1年以上滞在している。
子供たちは、お金の問題だけでなく、家庭の労働力としても期待されているので、それで就学困難になる子供もいる。

チッタゴン問題とは、バングラデシュ独立に際して起きた紛争が直近の原因だが、古くは16世紀ムガール帝国がモンゴロイド系少数民族が暮らすこの地位域へ伸張していたころまで遡る。
17世紀に英国が統治権を奪って、その植民地の一部に組み入れた。
インド植民地が終了し、インド、パキスタンに分かれて独立した。
その際、ヒンディー教徒主体のインドに対して、パキスタンはイスラム教徒の国として独立した。
この時、仏教徒の多いチッタゴン地区の人々はインドに留まるか、ビルマに入るか、別の独立国を建てるか模索したがかなわなかった。
パキスタンに組み込まれた。
西パキスタン中心で行われるパキスタンの国政に対しての不満がベンガル人主体の東パキスタンに高まり、独立戦争が起こる。
この時はインドの介入でバングラデシュは独立できた。
チッタゴン地区の人々はこの時も、必ずしもバングラデシュ独立派ではなかった。
イスラムの国にいる異教徒の少数民族となった。
チッタゴン地区の人口はバングラデシュの1%だが、その生活圏面積は10%ある。
バングラデシュ政府は平野部の困窮したベンガル人の入植を強力に進めた。
しかし、今も大きな悲劇は、英国からの独立直後この地区にカプタイダムが造られたことだ。
チャクマ族が暮らしていたカルナフリ川流域の肥沃な土地がこのダムによって奪われた。
満足な補償も得られずに多くの人が移住を余儀なくされた。
このような歴史もあり、バングラデシュ政府に抵抗する勢力との内戦状態になった。
この内戦の混乱で多くの孤児が生まれた。
個の孤児の救済がスタートとなった。

92年に休戦宣言がなされ、97年には和平協定が結ばれた。
しかし、いまだに地区は軍が支配し、和平協定で約束された多くが実施されていないそうだ。
そんな訳でいまだに少数民族地区の一部が入境制限がされている。
私が訪ねようとしたランガマティも入境許可が必要な地域だ。
結局この許可が取れなかった。

現在でも政府が進める大型開発事業で先住民の立退きが強制されている。
その空いた地域にベンガル人が入植する、それに軍が肩入れする状況は続いている。
つい最近も仏教寺院が焼き討ちにあったり、仏教徒の村が襲われる事件が頻発している。









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3/27 バングラデシュ 11 帰国

2015-03-29 13:58:59 | 2015バングラデシュ

KL着陸前の夜明けが近い夜景。

ダッカを午前1:40飛び立った。
すぐに眠りたかったが、こんな時間でも食事の準備をしている。
ニッシャンさん家で軽く夕食をごちそうになっているが、空腹を少し覚えた。
無駄にするのもと思い寝ずに待った。
しかし、メインのご飯は手を出す気にならなかった。
結局、赤ワインとパンだけで終えた。
深夜便のせいか、映画の提供は無いようだった。
寝るといっても、最後列の席で、シートが充分倒れない。
うつらうつらで4時間を過ごした。


KL空港内のジャングル温室。

KLでのトランジットは3時間、まあ妥当な線だ。
少しの遅延なら対応可能だ。
中国経由の10時間、12時間は応える。
それに、今回のバングラデシュではコックスバザールでもダッカでも空港内で無料wi-fiが使えた。
KLでもそうだ。
だからネットサーフィンで充分時間がつぶせる。
今回のバングラデシュの空港では液体の持ち込みが禁止されていないのに驚いた。
まずコックスバザールの搭乗チェックで、バックパックに挟んだ水のペットボトルが簡単にスキャナーを通り抜けた。
ダッカの国際線でも同じだ。
まさか危険物と安全な液体を見極めることのできる高性能スキャナーを設置しているはずはない。
また、KLでのトランジットの際もチェックゲートを潜ることは無い。


成田に近づいた時の夕空。

成田には予定より10分ほど遅れて到着した。
流石に日本だ、イミグレーションのチェックも数秒で終わる。
ダッカのように一人5分近くもかからない。
バゲージクレームに着くと、既にターンテーブルは回っていて、荷物が流れている。
これも大違いだ。
日本礼賛ばかりしたくは無いが、哀しくなるほどの仕事熱心さだ。

成田から東京までは東急を使うのが一番良いようだ。
スカイライナーの千3百円を使わずに、特急で高砂で乗り換えると大門まで行ける。
時間は30分ほど余分に掛るが、乗り換えも楽だし、値段は半分だ。
日本は寒いかと心配したが、成田で16度、薄着でも大丈夫だった。
関西へ出張して留守の娘の部屋に入った。


金杉橋交番裏公園の桜。
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3/26 バングラデシュ10 コックスバザールからダッカへ

2015-03-27 09:37:46 | 2015バングラデシュ

ヤカイン族のお寺。

 フライトは3時55分なので、午前中少し山に入った所にあるラムウと言う村を訪ねた。
ビルマ系ヤカイン族の村だ。
今回は少し山を上るので、馬力のあるCNGを雇う。
山に入ると聞いたので、鬱蒼とした森が見られるかと思ったが、田園風景が広がっていただけだった。
お寺は3カ所回った。
去年、イスラムのファンダメンタリストの焼き討ちにあいどこも新しくなっている。


被害状況を掲示している。

焼かれた寺は3百年以上昔の建造で、木彫りの装飾等も施されていたようだ。
しかし、再建されたのはコンクリート製で安っぽい塗装だ。
ニッシャンさんも大変残念がっていた。


梱包された仏像が並んでいる。どうも売り物に見える。

トゥクロ君からは3・4時間掛かると言われていたが、2時間で終わってしまった。
これならチェクアウト時間の11時に充分間に合うと宿に戻った。
シャワーを浴びる時間もあった。
レイトチェックアウトの追加を取られずに済んだ。
後はロビーでネットサーフィンで時間をつぶした。
パロブ君とはそこで別れた。
ホテルで昼食後、トムトムで空港へ向かった。
小さな空港で入り口を入ろうとしたら、まだ時間があるからと入れてくれな。
暫く外で待ったが、暑くてたまらないと訴えて何とか入った。


国境一番の観光地にしては小さい。

 飛行機は通路を挟んでシートが2列と1列だ。
わざわざ、窓側の翼の上でないところとリクエストした。
しかし、期待していた沖積デルタの広がりは薄雲のために幽かにしか眺めることができなかった。
それでも水面は太陽光を映してその輪郭が見て取れた。
幾筋もの水の広がりは確認できたが写真には撮れなかった。


ダッカ近くでは雲が晴れ、大地を写すことが出来た。

 5時近くダッカに到着した。
ニッシャンさんから連絡してほしいと言われていたが、国際線のターミナルに移動してからと思っている間に電話があった。
もう空港まで来ていた。
フライトまで8時間程あるので、彼の家で夕食を頂くことになった。
食前にまた例の焼酎を飲んだ。
今回は少し控えた。
彼は雄弁で、少数民族に対する政府の対応について話し続けた。
判りやすい発音で大体聞き取れる。
それ以外の話題では、彼の経歴についても話してくれた。
フランスのリヨンに2年、パリに1年、ブリュッセル、アメリカにも1年滞在したことがあるそうだ。
その中で、娘のコンサルタント会社の名前が変わる前に在籍したことがあるのも聞いた。

 食後はまた空港まで送ってくれた。
空港では他の国ではされたことのない対応を受けた。
エアラインのチェックインカウンターで、列の10人ほど後ろに付いていると、カウンターから手招きされた。
何だろうと荷物を置いたまま近づくと荷物も持って来いという。
私を先にやってくれた。
その後、イミグレーションでも列の私を手招きし先に処理してくれた。
日本語で話しかけまでして愛想良くする。
親日なのか敬老だろうかと考えたときに思い付いた。
これもニッシャンさんが話していた役人の権力乱用の一つだ。
追い越された人達は何の不満も示さなかった。
慣れているのだろう。
これが日本や欧米ならブーイングだ。
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3/25バングラデシュ9 コックスバザール遊覧。

2015-03-26 00:05:05 | 2015バングラデシュ

モへェシュカリ島への渡し場。

 トゥクロ君のアドバイスで遊覧先を決めた。
先ず、朝一に近くのモヘシュカリ島へ行ってみる。
トムトムで船着場へ行く。
引き潮で、桟橋だけでは足りず、桟橋の外れから小舟が何隻も繋がれた先にモーターボートがある。
不安定な小舟を渡って乗船した。


島の周りはマングローブで覆われている。

 20分程で到着。
上陸までは長い桟橋が続く。


長い桟橋をリキシャで行く。

 島はごみごみして、魚の臭いが充満している。
島は南北20キロ。東西8キロとそれなりに大きい。
特に見るべき所もなさそうだが、島民の生活を垣間見ることが出来る。
こんな島でも、ビルマ系のヤカイン族のエリアとベンガル人のエリアが分かれている。


ヤカイン族の寺院。


塩田。あの海水から作られた割には白い。


島の彼方此方にいる山羊、ノラ山羊か?

 島から戻ったのが11時だったので、もう一つのお薦めのイナニビーチへ行く。
14キロだが、トムトムを雇ったので1時間近くかかる。
しかし、道筋は海が見えたり、村が見えたりで飽きない。
トムトムのスピードが丁度よい。


海岸に打ち寄せられたら鯨かと思った。


防潮のための巨大な土嚢だ。ポンプで水と砂を吸い上げて詰めている。


浜昼顔?葉の形が少し違う。

 着いたビーチはなんと言うこともないビーチだった。
岩場があるそうだが潮の引き方が少なく見ることは出来なかった。


昼食はシーフード。初めてそこそこの味に巡り会った。


名前が思い出せないが特徴のある船がある。


昼食場所のヒムチョリにある丘からの眺め。


ベンガル湾で沐浴。

 宿に戻って一休みした後、ビーチで水浴びした。
水温は思ったほど温くはない。
シャワーの水と同じ程度。
しかし、上がって濡れたまま風に当たっても寒くはない。
30度を越す気温のせいだろう。
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3/24 バングラデシュ8 チッタゴンからコックスバザールへ

2015-03-25 20:39:12 | 2015バングラデシュ

チッタゴン市内を抜けると直ぐ、緑豊かな田園が広がった。

 これからコックスバザールまで同行してくれるパロブ君と朝食を済ませ、8時過ぎに宿を発つ。
30分ほどCNGで走って、バス乗り場に着く。
混乱したバス乗り場で、ここで1人希望のバスを探すのは困難だろう。
エアコンなしバスの最前列の席を確保した。
夜行では見ることのできない、路上の生活がよく解る。


竹を潰して、アンペラを編んでいる。

時々賑やかな集落を通り、乗降を繰り返してゆく。
緑豊かに稲穂が育つ水田もあれば、乾き切った田んぼが続く時もある。
潅漑の関係だろか。
途中バラやグラジオラスの花を栽培している畑もある。
ダッカ市内の路上でバラの花束を30円程で買ったが、こんなに安く出来るものだろうか。
高温の下では病害虫被害も多いと思う。


緑に覆われた気持ちのよい道がある。


ダッカ近在では見られなかった小高い丘が現れ始めた。少し高度が上がると、太い木が繁殖している。


CNGに混じって、中国製のバッテリーカーTOMTOMが見られるようになってきた。

 コックスバザールはバングラデシュ一番の観光地と言われるだけあって、海岸近くにはホテルが並んでいる。
ホテルに荷物を置き、近くで昼食を摂って直ぐビーチに出た。


パラソル付きのデッキチェアが並ぶ。


イスラムの少女たち。

 夕食後、ここの宿を手配してくれたトゥクル君が訪ねて来る。
彼に連れられて、夜の街に出た。
今彼が働いている高級ホテルにも案内してくれた。
彼ら総てがモノゴールの出身者だ。
ブッダ・ドット・バンテが手配してくれた。


トゥクル君(左)とパロブ君。

 彼のホテルにいる時に、私のダッカまでの足が話題になった。
私はバスで行く積もりだというと、時間が読めないからやめた方が好いという。
今の外出禁止令ホルタルが何時強化されるか判らないからだという。
そこで、飛行機について、ホテルの担当者を呼んで調べた。
午後3時58分に出て、1時間程で着く便があった。
それに決めた。
直ぐ電話で手配してくれた。
代金も建て替えで処理してくれたので直ぐにE-ticketがメールで送られてきた。
26日半日滞在が伸びた。


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