やはりまだ時差ボケは癒えていないのかも知れない。昨夜は早く寝ようと10時には床に就いた。この本を読みながら眠くなるのを待った。12時近くに兆しを感じたので本を閉じ灯りを消した。しかし眠れない。午前2時近く耐え切れず床を抜け出した。それから朝の6時まで続きを読んだ。
これは直木賞を受賞した前作よりも数段優れた小説だ。最近私の心に残った多和田洋子や村田喜代子に並ぶ作家になるのではないか。読み始めてなぜこの本をスクリーンショットして残したか思い出した。表題のきらんは栗杖亭鬼卵のこと。風月は享保の改革で名を成した松平定信が隠居した後の号。舞台は掛川宿、鬼卵は日坂宿で煙草屋を営んでいる。松平定信は田沼意次の跡を継ぎ、老中として幕政を立て直したと自負している。老中を引いた後、家督を子に譲り、楽隠居として楽翁とか風月翁と称してのんびり暮らそうと思っていた。しかし家督を譲った子が頼りない。しきりにその藩運営に指図する。それを近習にたしなめられる。そこで尊敬する大権現家康所縁の地を訪ねようと旅に出る。引退したとて元老中、目立たぬようとしても従者を十数人も連れた陣容。岡崎まで足を延ばしたその帰り、大井川の川止めで仕方なく掛川城に逗留することになる。その退屈しのぎにどこか行くところはないかと近くの者に問うと、年若な近習が、尼子十勇士の山中鹿之助が生まれたという諏訪原城があると応える。はてそんな話は聞いたことがない、誰の説かと問うと、日坂宿に住まいする栗杖亭鬼卵が著した読本から知ったと答える。それではその男に会ってみようと駕籠を仕立てて日坂宿を訪れる。煙草屋に入ると主人の鬼卵が出てくる。たいそうな一行に怯むことなく飄々と対応する。定信が、その方は何者かと問うと、それならばと生い立ちやこれまでの諸国放浪を語る。この形式は前作と同じだ。しかし前作が単なる人情噺に陥りかけていたのとは異なり、話に深みが増している。鬼卵は相手が元の老中定信と知ってか知らずか、下々が定信が出した倹約令や禁書例などを如何に批判していたかも話に盛り込む。
鬼卵の父親は河内で陣屋の手代をしていた。その職は領内で文武に優れた者や名士の役目だ。しかし武士ではなく武家奉公人というらしい。その父は暇があれば大阪や京都の文人墨客との交わりに出かけていた。ある日父親が文吾(鬼卵の幼名)に絵や文章を書かせた。それを見て、ほな行こか、と大阪へ連れて出た。訪ねた先は栗派の祖である連歌師の栗柯亭木端だ。十二歳の文吾はその日から木端の弟子となった。父は文吾に「名門ではない家の倅としてなんぼ勤めたかて出世は望めない。耐え忍んでも禄は増えない。とはいえただ怠けるのも、それはそれでしんどい。せやから楽しいことをせい。それはいずれ、お前を助けてくれる。」と諭し、文人墨客の道を示した。木端のところには多くの人が出入りする。大店の主人であったり、医者であったり学者であったとその本来は様々だが連歌を楽しみ、風流を愛する人々だ。皆好きなことに励んでいる。
そんな時、出先でやくざ者の女衒に連れられて遊里に入ろうとする母娘に出会った。その娘は近くの小藩の目付をしていて、木端のところにも出入りしていた武士の娘だった。どうもお家騒動で父親が処罰され訳も分からず家を追い出されたという。その母娘を何とか救う。しかし藩の秘密を洩らされると困る藩からの追手が心配される。そこで木端はこれを読本にして出版しようとする。これを鬼卵が執筆する。出版は同業者の検閲があり闇出版は罰せられる。しかし、闇で出版すれば、お家騒動がすでに世に広まったと藩は知る。そうすればもうこれ以上追手はかけまいと木端は説く。これが出版の力だと。
このようにそれまでの出来事を語る。中で出色は鬼卵の嫁となる夜燕の話だ。夜燕は「やえん」と読み、蝙蝠のことだ。彼女は本名を八重というがこれに似た夜燕を号としている。蝙蝠は鼠のような小さな体で翼をもち夜空を飛ぶ。これにあこがれて付けた名だ。やはり木端のところに出入りしている。酒乱の父親のところから逃れ母の姉のところに厄介になっている。彼女は連歌、俳諧、絵画のほかに心学も研究している。心学とは陸九淵や王陽明が唱える、心を修練し、その能力と主体性を重視する学問だ。まさに自主独立を進める学問である。そのころ定信が推し進めた朱子学のように秩序を重んじる学問とは反対の学問だ。当時婦女子の教科書とされた「女大学」の教えとも相反する。これも目の前で聞いている定信への当てつけのように語る。
師匠の木端があるとき、鬼卵に三河吉田に行く気はないかと問うた。都落ちのようで、大阪での楽しみがなくなると躊躇っていたが、行くについては嫁を貰えと命じる。相手は夜燕だと。返事を延ばしていると、街角で夜燕に出会う。彼女は明るい顔をして縁談になぜ応じないかと聞く。一緒に三河吉田へ行きたいとも。まさに現代の自立した女性だ。
生涯大した仕事は残せていないと自覚する鬼卵だが、楽しい人生を送ることはできたと、父親の遺言を振り返る。この辺りは我が身に通ずる。