片雲の風に誘われて

自転車で行ったところ、ことなどを思いつくままに写真と文で綴る。

8/16 ジョン・バカン『三十九階段』読了

2024-08-16 13:24:38 | 読書

 新刊コーナーで表紙が目に留まり手を伸ばした。見開きに釣り書きが貼ってある。「ヒッチコック監督が映画化した、スパイ小説史上不朽の名作がカルト的人気を誇るエドワード・ゴーリーの魅力的なイラストをまとい蘇る!」スパイ小説の原点だとも書いてある。1915年発表の小説だとか。

 南アフリカの鉱山で一稼ぎした鉱山技師リチャード・ハネーがロンドンに帰ってくる。特に目的があるわけでもない。ロンドンに飽きてきたころおかしなアメリカ人男が訪ねてくる。どうもそのころきな臭くなってきたヨーロッパのドイツと英国とに関係する何事かの秘密をにおわす。窓の外には彼を狙うと思われる怪しい影が。彼を部屋にかくまうが、翌日そのアメリカ人は殺されていた。このままだと犯人にされてしまうとハネーは牛乳配達の男の衣装を借りて脱出する。

この後いろいろなところを巡りながら、警察や陰謀団から逃げ回る。そうしながらアメリカ人の残した暗号で記されたノートを読み解いてゆく。この間、スコットランドの野原や田園の風景、貴族、ブルジョアの屋敷やらの佇まいなどが描かれる。

百年以上前のスパイ小説なので今頃のサスペンスものとはスピード感が違う。しかし、古典として読めば上に書いたような描写はそれだけでも楽しめる。

どうも私にはこういったミステリー、サスペンス小説はあっていないような気がする。

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8/15 高坂正尭『歴史としての二十世紀』読了

2024-08-15 13:31:16 | 読書

 ここ暫くは小説などの柔らかい本ばかり読んでいたので読み通せるか心配だったが読み終わった。著者は若く(25歳)して京都大学助教授に就任し、早くから若手の論客として論壇に登場した。私より14歳年上だが、我らが世代という意識はあった。しかし、1960年代後半ごろからの時代は世界的に若者が声を上げ行動する時代だった。彼は若くして当時の政治権力者と近くそのブレーンとみられていた。彼の主張の中身をあまり知らずに保守反動と思って、テレビなどでの発言も頭から真面に聞こうとはしなかった。彼の著作も読まずに来た。彼は30年ほど前62歳の若さで亡くなった。この本はそんな彼の著作として昨年冬に出版された。1990年に行われた6回の連続講演をベースにしている。今頃新刊書の棚に並んでいるのを見つけ借りてきた。

 講演を文字化したものだからなのか大変読みやすい。またどのような聴衆を前に行われたのか、内容も理解しやすい。今となっては彼を保守反動として片付けてしまったのは失敗だったと思う。当時の若者はある意味、共産主義の影響を受けて教条主義的なところが強かった。リベラルニュートラルな私と思ってはいたがどうもそちら側にいたのかもしれない。彼は現実主義者、リアリストだ。彼の父親は高坂正顕、京大で哲学を教えていた。wikiによると、幼少の時から父親と糺の森を散歩しながらモンテスキューやカントについて聞かされたという。当時の学生の青臭い、大した知識もなく、受け売りで叫んでいるような言説にはあきれていたのだろう。

 出版に携わった慶応大学の細谷雄一もやはり政権に近い経路を歩いてきたが、彼が今この本を出す意義として挙げているのは、日露戦争から始まった20世紀が戦争の世紀であったとみると、現在の21世紀もイラクのクウェート侵攻やロシアのクリミア併合、ウクライナ侵攻、イスラエル・パレスチナ紛争などやはり戦争の世紀であるとの認識だ。20世紀で戦争がなかったのは東西ドイツ統一、ソ連崩壊の1990年以降のわずか10年間だけだ。その時フランシス・フクヤマが歴史は終わったと書いた。しかし、世界単独最強となったアメリカはソ連、ロシアの大国としてのメンツを顧みることなく扱った。それはあたかも第一次世界大戦後、ドイツに対して英仏が執った態度と同じだったという。それが第二次世界大戦につながった。

日露戦争では、守備しているロシア軍に対して日本は下手な戦術で大勢の戦死者を出しながらも攻撃を繰り返し勝利した。これが戦史上「守備より攻撃が有利」との観念を世界に与えた。冷戦終結後、アメリカも中国もロシアの大国としてのメンツを尊重していない。今のプーチンもじりじりとNATOやアメリカに追い詰められている。ここで一転攻撃に出た方が場面が展開できると考えている節はある。

日本のように、敗戦後アメリカの胸に飛び込み、抱かれながらうるんだ目つきで見上げているだけの国には、自分から戦争を起こす心配はないのかもしれないが、一部にはそんな日本の現状に怒りを覚えている人々も少数ながら存在する。彼らはアメリカに対しては強く出ることができないので、かつて日本より弱いと思っていた朝鮮半島や中国大陸にその思いをぶつけているようだ。

歴史は繰り返す。または、歴史に学べ。

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8/12 金原ひとみ『ハジケテマザレ』読了

2024-08-12 16:02:41 | 読書

 去年の秋の中日新聞「大波小波」で取り上げていた。彼女の作品はたぶん芥川賞受賞作『蛇にピアス』を読んだか読みかけだったと思う。同じとき同賞を受賞した綿矢りさの最近作『パッキパキ北京』は今年の1/28に読了してこのブログに挙げた。これもやはり書評で見つけて読んだ。彼女の受賞作『蹴りたい背中』を読了した記憶はなかったがこの作品は読み終えた。

この二つの作品は去年の暮れ辺りに発表されたもので同じように新聞が注目した。彼女たちも受賞後20年以上たち、ともに40歳台になっていると思う。今の二十歳前後の若者よりは余程私に近い年代だ。だから私が読むことができたのかもしれない。受賞当時の彼女たちの年代は当時の私が理解できる年代ではなかったのだと思う。彼女たちも私を含む年代に入ってきていると言えるのか。

 あるイタリアンレストランで働く女性たちを中心にした話だ。いくつかあるチェーン店で、彼女たちの店の店長は急に店長不在になった系列店の応援に行っている。彼女たちの店にはベテランの店員がいるのでほとんど顔を出さなくなっている。ある意味労働者の自主管理が行われている。アルバイトたちは、シフトが多いもの、まばらの者と多様だ。主人公の女性はほかの会社で、コロナによる業務量減少でリストラされこの店に来ている。ほかにイタリヤ留学が出発直前になて中止せざる得なくなった女子大生、自分たちが立ち上げたイベント会社がせっかく軌道に乗り始めたのに整理しなければならなかったりした女性などコロナ渦の影響を受けている。彼らは夜な夜な、仕事が終わった後店の休憩室でしゃべったり、食べたり、飲んだりで楽しんでいる。場合によっては終電を超えて始発で帰らなければならないこともある。主人公はこのみんなといることが大変心地よい。個性的なメンバーがそれぞれ自己の目的を見つけそちらに進んでいこうとするが、彼女はこの心地よい店を当分舞台としていくだろうと予想はしているが、大きなウォータースライダーを滑っているような気分もありどこで突然放り出されるかわからないとも考えている。

彼らの会話が今風の言葉でなされているので、理解が完全にできていないシチュエーションもあるのかもしれないが、会話のリズムがラップのようだと書評にもあるよう心地よく読めた。

エリーと通る散歩道、二三日の間に空き屋が取り払われて更地になっていた。サンルームなどもあって、それほど荒れてもいなく、敷地も200坪ほどはあるので、誰か借り手もつくだろうと思っていたのに。もう一軒解体中の空き家がある。

 モンタロウはこの連休、父親と燕岳山小屋伯登山。大きくなったものだ。父親も子育てが面白くなっていることだろう。

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8/10 永井沙耶子『きらん風月』読了

2024-08-10 08:20:22 | 読書

 やはりまだ時差ボケは癒えていないのかも知れない。昨夜は早く寝ようと10時には床に就いた。この本を読みながら眠くなるのを待った。12時近くに兆しを感じたので本を閉じ灯りを消した。しかし眠れない。午前2時近く耐え切れず床を抜け出した。それから朝の6時まで続きを読んだ。

 これは直木賞を受賞した前作よりも数段優れた小説だ。最近私の心に残った多和田洋子や村田喜代子に並ぶ作家になるのではないか。読み始めてなぜこの本をスクリーンショットして残したか思い出した。表題のきらんは栗杖亭鬼卵のこと。風月は享保の改革で名を成した松平定信が隠居した後の号。舞台は掛川宿、鬼卵は日坂宿で煙草屋を営んでいる。松平定信は田沼意次の跡を継ぎ、老中として幕政を立て直したと自負している。老中を引いた後、家督を子に譲り、楽隠居として楽翁とか風月翁と称してのんびり暮らそうと思っていた。しかし家督を譲った子が頼りない。しきりにその藩運営に指図する。それを近習にたしなめられる。そこで尊敬する大権現家康所縁の地を訪ねようと旅に出る。引退したとて元老中、目立たぬようとしても従者を十数人も連れた陣容。岡崎まで足を延ばしたその帰り、大井川の川止めで仕方なく掛川城に逗留することになる。その退屈しのぎにどこか行くところはないかと近くの者に問うと、年若な近習が、尼子十勇士の山中鹿之助が生まれたという諏訪原城があると応える。はてそんな話は聞いたことがない、誰の説かと問うと、日坂宿に住まいする栗杖亭鬼卵が著した読本から知ったと答える。それではその男に会ってみようと駕籠を仕立てて日坂宿を訪れる。煙草屋に入ると主人の鬼卵が出てくる。たいそうな一行に怯むことなく飄々と対応する。定信が、その方は何者かと問うと、それならばと生い立ちやこれまでの諸国放浪を語る。この形式は前作と同じだ。しかし前作が単なる人情噺に陥りかけていたのとは異なり、話に深みが増している。鬼卵は相手が元の老中定信と知ってか知らずか、下々が定信が出した倹約令や禁書例などを如何に批判していたかも話に盛り込む。

 鬼卵の父親は河内で陣屋の手代をしていた。その職は領内で文武に優れた者や名士の役目だ。しかし武士ではなく武家奉公人というらしい。その父は暇があれば大阪や京都の文人墨客との交わりに出かけていた。ある日父親が文吾(鬼卵の幼名)に絵や文章を書かせた。それを見て、ほな行こか、と大阪へ連れて出た。訪ねた先は栗派の祖である連歌師の栗柯亭木端だ。十二歳の文吾はその日から木端の弟子となった。父は文吾に「名門ではない家の倅としてなんぼ勤めたかて出世は望めない。耐え忍んでも禄は増えない。とはいえただ怠けるのも、それはそれでしんどい。せやから楽しいことをせい。それはいずれ、お前を助けてくれる。」と諭し、文人墨客の道を示した。木端のところには多くの人が出入りする。大店の主人であったり、医者であったり学者であったとその本来は様々だが連歌を楽しみ、風流を愛する人々だ。皆好きなことに励んでいる。

 そんな時、出先でやくざ者の女衒に連れられて遊里に入ろうとする母娘に出会った。その娘は近くの小藩の目付をしていて、木端のところにも出入りしていた武士の娘だった。どうもお家騒動で父親が処罰され訳も分からず家を追い出されたという。その母娘を何とか救う。しかし藩の秘密を洩らされると困る藩からの追手が心配される。そこで木端はこれを読本にして出版しようとする。これを鬼卵が執筆する。出版は同業者の検閲があり闇出版は罰せられる。しかし、闇で出版すれば、お家騒動がすでに世に広まったと藩は知る。そうすればもうこれ以上追手はかけまいと木端は説く。これが出版の力だと。

 このようにそれまでの出来事を語る。中で出色は鬼卵の嫁となる夜燕の話だ。夜燕は「やえん」と読み、蝙蝠のことだ。彼女は本名を八重というがこれに似た夜燕を号としている。蝙蝠は鼠のような小さな体で翼をもち夜空を飛ぶ。これにあこがれて付けた名だ。やはり木端のところに出入りしている。酒乱の父親のところから逃れ母の姉のところに厄介になっている。彼女は連歌、俳諧、絵画のほかに心学も研究している。心学とは陸九淵や王陽明が唱える、心を修練し、その能力と主体性を重視する学問だ。まさに自主独立を進める学問である。そのころ定信が推し進めた朱子学のように秩序を重んじる学問とは反対の学問だ。当時婦女子の教科書とされた「女大学」の教えとも相反する。これも目の前で聞いている定信への当てつけのように語る。

師匠の木端があるとき、鬼卵に三河吉田に行く気はないかと問うた。都落ちのようで、大阪での楽しみがなくなると躊躇っていたが、行くについては嫁を貰えと命じる。相手は夜燕だと。返事を延ばしていると、街角で夜燕に出会う。彼女は明るい顔をして縁談になぜ応じないかと聞く。一緒に三河吉田へ行きたいとも。まさに現代の自立した女性だ。

 生涯大した仕事は残せていないと自覚する鬼卵だが、楽しい人生を送ることはできたと、父親の遺言を振り返る。この辺りは我が身に通ずる。

 

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8/9 永井沙耶子『木挽町のあだ討ち』読了

2024-08-09 17:00:17 | 読書

 静岡県島田市生まれの女性だ。育ったのは横浜。次に読む『きらん風月』を書評で見て図書館の棚を探しているとき一緒に借りてきた。これが直木賞を受賞した作品で、後のが受賞後第一作とあった。

明け方近くまで読んだ。それから寝たので午前10ごろまで眠ることができた。意図した時差ボケ解消になったかもしれない。

 江戸の木挽町の芝居小屋を主な舞台とする人情噺だ。木挽町は現在歌舞伎座があるあたりの古い地名だそうだ。

田舎の武士の子菊之助が父親の仇討のために江戸に上る。まだ少年にとっては大任だ。江戸の街で往き暮れて覗いた芝居小屋が物語の始まりだ。この少年の縁筋にあたる男が後日江戸を訪ねて、芝居小屋を中心とする関係人にこのあだ討ちの話を聞いて回るというのが筋立てだ。芝居小屋の入り口で客の呼び込みをやっている木戸芸人の一八、立て指南の与三郎、衣裳部屋の芳澤あやめなどがそのあだ討ちを語る。あだ討ちの様子だけでなくそれぞれの来歴について聞き出すのも目的だ。吉原の娼婦の子供として生まれ落ちたもの、農村の飢饉で母親と江戸に流れてきて、その行倒れた母親を弔った焼き場の隠亡の爺さんに育てられたもの、武士の次男で剣術で身を立てるしかなかった男が道場の師範の無理筋で国元を飛び出し侍を捨てたものなど多くがつらい過去をもっている。そして吹溜っている。みんな善人だ。難局に陥っている者に対してはそおっと自分のできる範囲の援助の手を差し出してくれる。落語の「文七元結」など人情噺は昔から人気だ。

途中で、このあだ討ちの凡そが予想できてくる。なぜ「仇討ち」でなく「あだ討ち」となっているか。小説中では「徒討ち」の言葉も出てくる。

また江戸時代の様子も良く調べてあるので、当時を想像するのも楽しい。

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