片雲の風に誘われて

自転車で行ったところ、ことなどを思いつくままに写真と文で綴る。

6/27 ダバオ滞在 31

2010-06-28 19:53:36 | フィリピン 2010

多くの学生が見送ってくれた。
デビット、ジョン、アユミとヒデは空港まで送ってくれた。


 30日滞在したE&Gを離れる日が来た。
英語が上達したかと問われれば、少しとしか答えられないだろう。
確かにヒヤリングは上達したかもしれない。
しかし、それも限られた人たちとだけ話していたからで、空港や飛行機内のアナウンスが以前より沢山聞き取れるようになったとは思えない。
 教材に使っていたのは、韓国製の教科書なので、その内容が儒教的だ。
トピックスが「教育」だとか「家族」だとか近代人はかくあるべきと言う内容が多い。
もう少し一般的なシチュエーションを扱ってくれればより日常の会話になると思った。
話す方はそれでも、知った単語を使ってなんとか表現すると言う昔のレベルに少し戻ったかとは思う。

 帰り便もセブパシフィックを使った。
ダバオを10:10に発ち、マニラでのトランジットも2時間なので比較的順調に18:30関空まで辿り着いた。
それでも家に着いたのは23時。
ビール、ウイスキーを飲んで夜中過ぎに寝た。


散らばる島々の上にだけ雲が出来ている。
大地から水蒸気が立ち上るのだろう。



 
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6/26 ダバオ滞在 30

2010-06-26 22:49:42 | フィリピン 2010

町で見かけた街路樹の花

  今日は朝から良く晴れた。
時々薄雲は掛かるが、強い陽射しが降り注いだ。

 昼前に町に出た。
フィリピン料理を食べるのが目的だ。
例のブログの中に出てきたいくつかの店を目当てに歩いたが、なかなか見つからない。
その内、ブログに出てくる日本料理屋があったので入った。
寿司、刺身が主流のようだが、彼が良く食べるというカツ丼を頼んだ。
それに、魚の塩焼きも。
サンミゲルのビールを飲みながら待っていると、マニラ新聞という邦字紙が眼に入ったので取ってみた。
形はタブロイド版の幅で長さが通常紙と同じという変な形だ。


マニラ新聞。
中国の大都市では日本の新聞がそのまま配達されているので、このような現地邦字紙はなく、週刊、月刊のフリーペーパーが多く発行されている。

毎日配達されているようで、今日の日付もあった。
二三日前の一面に、最近モンテンルパの刑務所から恩赦で出獄した、日本人元死刑囚の記事が出ていた。
彼が14年前空港で逮捕された時、日本の大使館、領事館が何もしてくれなかったそうだ。
言葉が分からないから通訳を派遣してくれだとか、家族に連絡して欲しいとかの要求に対してもなんら支援をしなかったらしい。
確かに、外務省のエリート日本人職員にしてみれば、フィリピンあたりでフラフラしている日本人はみな不良と決めて掛かっているのだろう。
日本の在外公館の職員が一般の日本国民を援護の対象と考えていないという話は良く聞く。
上海領事館でも何かのとき、日本人青年が頭をぺこぺこ下げさせられ、その前で職員が尊大に、迷惑そうな顔で話を聞いているのを見たこともある。
また、私たちの合唱グループに領事と同じ大学の法学部出身者がいると言うことで、何かの話がスムーズに通じたとも聞いた。
政府にとって優良な国民とそうでない国民があるのだろう。
話がそれた。
カツ丼は肉が少し硬いがまあまあの味だ。
魚はカサゴのような魚で、白身がぷりぷりしていて、久し振りに旨いものを食べたと実感できた。
客は最初から最後まで私一人だけだった。


帰りのジプニーの中

 その後は部屋に帰って、少し寝た。
4時ごろからまたプールへ行った。
しかし今日は遊泳客が多く、少し泳ぎにくかった所為もあり、長くは泳がなかった。
昼のビールがまだ少し残っている感じだった。

最後に夕食は、また最高齢者だけのテーブルで、食後も暫く話した。


私の右から、47歳銀行マンで一年の研修期間中のデイビット、友人と建築設計事務所をやっているジョン、彼は高校生の娘と半年の予定。
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6/25 ダバオ滞在 29

2010-06-25 22:48:39 | フィリピン 2010


昨夜のパーティー、先頭の太った女性が、みんなからグランマと呼ばれている校長先生。
市内の大学教授を退職した後ここへ来ている。
父親が、ユダヤ系スペイン人で、最近もスペインに行って来たと言う。
私がサンチアゴへ行くといったらそれは良いことだ、気を付けて行けと言ってくれた。
ほぼ1ヵ月前に少し話しただけなのに私の名前を覚えていてくれた。

 今日は朝から雨がずっと降り続いた。
雨が上ったらダウンタウンへ出てフィリピン料理の焼き魚を食おうと考えていたが、とうとうそのチャンスがないままに夜になってしまった。
しかし、夕食に集まってきたのは三分の一ほどだった。
みんな町に出ているのだろう。

 気分はもう、帰りモードに入ってしまっているため、勉強も1時間もするといやになり眠くなってしまう。
昨夜は、久し振りに大量のビールを飲んだ所為で、睡眠が不規則になり、明け方前に眼が覚めてしまった。
おかげで、例の50男のブログを最近まで読むことが出来た。
彼女はこの6月からダバオ市内の大学に通い始めた。
大学の授業料は凡そ年3万ペソ、日本円で7万円を少し越えるほど。
安いが、それでもここの人の年収を越えるのではないだろうか。

 明日天気がよければ、プールと食事の両方をこなそうと思っている。
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6/24 ダバオ滞在 28

2010-06-25 04:14:35 | フィリピン 2010

パーティーに出されたフィリピンのお祝い料理レチョン、豚の丸焼き。
既に胴体は刻まれてしまっている。

 今日でほぼ一ヶ月の授業が終了した。
本来は明日が最終のはずだが、30日が新大統領の就任式で休日とされたので、それを明日25日と振り替える事になった。
その理由は、今夜この学校の4周年記念パーティーが開かれ、みんなが酒を飲むので翌日休みの方が良いだろうとの配慮だそうだ。
その結果私の授業が減ったことになる。
このことは、パーティーの席で、マネージャーのイアンがわざわざ私の席まで来て謝ってくれた。
この学校は、今まで私の先入観の中にあった韓国人に対しての悪いイメージをほとんど覆してくれた。
お互いに親しく知り合うということが如何に大事なことかが改めて実感された。
今までも個人的な付き合いは何人もしてきて、少しもいやな思いはしなかったが、韓国人総体に対しては何の経験もないくせに、メディアの影響で悪いイメージを持ってしまっていたようだ。
それが数十人の集団の中に入ってみると、その総体に対するイメージも変えてしまった。


次から次と私と写真を撮りたがる。
少し良い気分になっている。


中国に留学していたスコットと。


日本から来ているアユミと。
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6/23 ダバオ滞在 27

2010-06-24 00:25:59 | フィリピン 2010

学校を出たところの道に立っているねむの木のような木の花と実。

 今日もプールに行った。
20周泳いだ。
途中で少しストレッチのために水から上ったが、その後15周泳いで合計20周。
この伝で言えば昨日は17周。
終わったのは丁度6時だった。

 今朝早く、4時過ぎぐらいだと思うが、韓国人学生が何か叫びながら各ドミトリーのドアを叩いて廻っていた。
3時ごろからWC韓国戦があったからその結果が出たのだろうと思った。
6時ごろ私がシャワーを浴びようとしていたら、中国語の出来るスコットが来て早朝騒ぎの詫びを言った。
朝食の席でも、何人かの韓国人学生から謝られた。
騒いでいたのは一人だけだったようだが、関係のない学生が謝ったのだ。

 朝食のテーブルがスコットと一緒だったので少し話した。
彼も私と同じ日の早くにここを発つそうだ。
その後、オーストラリアで2ヶ月、更にその後ロンドンで一年近く勉強するとの事。
何時かは中国で仕事したいと言っていた。
彼と中国語で話していたので回りの学生が驚いていた。


ホテルのカラツチの花はまだ咲き続けている。
次から次へと花開き、マグノリア類の爽やかな甘い香りを道一杯に漂わせている。
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