片雲の風に誘われて

自転車で行ったところ、ことなどを思いつくままに写真と文で綴る。

11/24 帰国

2014-11-26 13:21:07 | 2014スリランカ自転車旅

中部空港で見掛けたカーゴ機、これなら戦車も積める。

 宿を9時前に出て、地下鉄2号線で浦東空港へ向かう。
今は、この2号線が虹橋空港と浦東空港を直結している。
地図を見ると、地下鉄が今では16号線まである。
10年前には1と2号線だけだったのに。
地下鉄なら人民広場から運賃7元で浦東空港まで行くことができる。
以前は、空港から龍陽路までリニアに乗って、地下鉄に乗り換えていた。
そのリニアも確か80元程度したと思う。
今でもリニアは走っているが、地下鉄が繋がり、乗り換えなしで市の中心まで行くことが出来るようになって、乗る人がいるのだろうか。
ただし、地下鉄はなぜだか広蘭路で折り返し運転されているので、乗り換えなければならない。
前回知らずにいたら、いつの間にか空港へ戻ってしまった。
空港までは余り客がいいないので、編成を少なくしているせいかもしれない。

 12時発の中国東方航空の名古屋便は8割程度の搭乗率だった。
それもほとんど中国人で、日本人は私の他に数人だけだった。
確かに、日本人観光客は減っている。
観光客だけでなく、駐在員も減っているようだ。
5・6万人と言われていた、在留日本人が1万人以上減ったそうだ。
中国事業が立ち上げ時代を終えて流れ始めていることと、最近の日中関係や人件費高騰も中国離れを早めているのかも知れない。
それに、空気の汚さも子供持ちに取っては妻子を帰国させる理由でもあるようだ。
しかし、上海に着いた翌日は拍子抜けするようなきれいな青空が見られた。

 午後3時過ぎ名古屋空港に着いた。
今回の旅では何処の空港でも、私の荷物は最初の10個以内でバゲージベルトに出てきた。
来るときと同じように、名鉄で豊橋に出て、JRに乗り換え菊川へ向かった。
休日で妻が休みだったので駅まで迎えに来てもらった。
運賃は名鉄利用の豊橋経由が一番安い。
3千円以下だ。




秋が終わり掛かっている庭。

 翌日から発掘の仕事に出る積もりだったが、雨で休みの連絡がきた。
暮れのトルコ行きで、イスタンブールに最初の宿を予約した。
東京の娘が、自分が行くときの参考にしたいと最高級のホテルを予約しろというので、2泊で8万円もするところを選んだ。
普通の宿なら、全行程7泊泊まっても半分で済むほどの金額だ。
娘が出してくれると言っているらしいが、当てにしないで待っていよう。

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11/22 上海3日目

2014-11-22 22:16:40 | 2014スリランカ自転車旅

夜9時過ぎの南京路。

 20日は夕食も食べずに、5時頃から寝に就いた。
コロンボを夜中に発って、上海に着くまで飛行機の中ではほとんど眠れなかった。
翌日21日の昼過ぎまで目覚めなかった。
20時間程眠った。
遅い昼食を吉野家の牛丼で済ませた。
価格は6百円もする。
南京路のユニクロを覗いてみると、矢張り日本価格で二倍近い。
一度ホテルに戻り、ブログをアップした後、また人民公園で夕方の時間をつぶす。
夕食は宿近くの中華飯屋。
今回の旅は、スリランカでも中国でも食事があまり食べられない。
味は特に不味い分けではないが、量が食べられない。
少し痩せてしまいズボンがずり落ちる。

 10時頃寝に就いたが、今度は眠れない。
夜中3時頃まで覚覚醒したままだ。
それでも明け方寝たようで7時前に目が覚めた。

 今日の練習は午後1時から東櫻花苑だが、早めの10時半頃出掛けた。
11時には着いてしまったので、近くの通りを散策して時間を使う。
1時からはベー
スのパート練習で3時からが全体練習だ。
全員で16人ほど集まった。
A会員は充実しつつあるようだ。
なんとか、コンサート予定曲を全曲さらうことが出来た。
終わったのは7時、6時間は流石に疲れた。
特に昨日から下痢で体力が続かない。
スリランカではなんともなかったのに、中国に戻って腹を壊すとは。

 今回上海に来て気付いたことは、日本人観光客を全く見ないことだ。
両国関係と円安元高が影響しているのだろうか?
今回1万円を両替して、4百元ちょっとにしかならない。
かつては7百元に近いこともあったのに。
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11/20 上海到着。

2014-11-21 15:57:09 | 2014スリランカ自転車旅
 夜7時前に宿を発ちバスターミナルに向かう。
しかし、事前に確認して置いた空港行き高速バスは最終が出た後だった。
仕方なくスリーウイラーで空港へ行くことにした。
ところが、この運転手がハチャメチャな神風ドライバーだ。
バスや乗用車を次々に追い越して行く。
三輪車は左端を走ることになっているらしいが、追い越しのため常に右側を走っている。
ついに警官に捕まって罰金50ルピーを取られた。
ルピーが千しかなかったので、日本円でもう千円、合計2千円だ。
バスの20倍になる。

 コロンボから昆明で乗り換え、上海に昼過ぎに到着した。
虹橋空港だ。
去年もこの空港を使ったが、今回、よく見ると全く新しくなっている。
35年以上前、麦畑の中にあった空港とは思えない。
地下鉄で街の中心に向かう。
前で座っている青年がスマホで地図を表示しているので、今日の宿の位置を表示して貰う。
前に良く利用していた南京路の東亜飯店の直ぐ近くだった。
最近、中国でも安宿のチェーン化が進み、どの街でも百元程度で泊まれる宿が増えた。
宿に荷物を置き、遅い昼食を取りに出る。
直ぐ近くの裏通りに蘭州ラーメン屋があった。
久し振りの牛肉麺(ニューロウミエン)だ。
小椀が9元、矢張り二倍になっている。
 

大世界前の歩道橋の上から人民公園。
 

 南京路で金を下ろし、人民公園に入る。


上海で紅葉を見るのは初めての気がする。

博物館の地下に古い時代の上海の街並みがジオラマのように作られている。


東方明珠にあるものよりずっとチャチだ。

 宿に戻った後は何もする事がない。
ただひたすら寝る。
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11/19 コロンボ最終日。

2014-11-19 17:11:23 | 2014スリランカ自転車旅

宿近くのヴィハーラ・マハー・デーウイ公園。

 朝飯を済ませ近くへ散歩に出た。
近くに大きな芝生の公園がある。
中に白い大きなタウンホールが建っている。
周りには博物館、美術館もある。
博物館を覗いてみようと思って来たが、開館時間が9時だった。
時間つぶしに日本大使館まで脚を伸ばした。


蔓の木ばかりが残って大木のように見える。


こじんまりした建物の大使館。
隣の工事は新築のためか。

大使館前には既に10人以上が並んでいた。日本のヴィおザ申請だろう。


途中で見掛けた仏教テレビ局。
熱心な仏教徒が多いスリランカならではだ。


美術館前の壁に自分の絵か分からないが並べている。


 一回りする内に9時になったので、博物館に入る。


正面ファサードは工事中。

 広さの割に展示物はみすぼらしい。
それに、中国製の陶器などの時代表記も14ー19DCとしか書いてない。
ましてや産地なども。

 30分程見て、宿に戻った。
マネージャーに自転車を4千で売った。
結局負担は8千、レンタルより安く済んだ。
 
 一休みして、新しい行政上の首都に30年前に作られた国会議事堂を見学に出掛けた。


日本の三井建設が施工した建物。

 従兄にスリランカ行きを伝えたら、自分の会社が作ったから、機会があったら見てくれといわれていた。
評価はやめておく。
エリアの入り口でシャトルバスに乗せられて玄関まで行く。
このバスを待っている時日本語で話しかけられたら。
大変上手な日本語で、聞くと、20年近く前から8年間、極真空手の大山増達の道場で修行したそうだ。
今は地方政府の役人をしながら空手を教えていると言う。
今日は首相に面会して陳情があるそうだ。
中まで一緒に入れるかも知れないと、交渉してくれたが、事前に名前を申請してないとだめだと断られた。
ゴールに来るなら寄ってくれと誘われた。
日本にいるとき、多くの人に世話になったから、こちらで日本人を見かけるとそのお返しをしているのだそうだ。
1人になって、周りの撮影をしていたら、ガードにしかられた。


バスの中の仏様御守り電飾。

 帰りはペターまで行き、空港行きのバス乗り場を確認してきた。


バスターミナルでの遅い昼食、ライスアンドカリー。

 もう一度宿に戻り、シャワーを浴びて、時間をつぶす。
ルピーの手持ちが心細くなったので、同宿の日本人女性に千円両替して貰う。
彼女はかつて、JAICAのボランティアでこの国に暮らしたことがあり、この国の言葉が話せる。

 深夜0時10分で中国へ向かう。

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11/18 キャンディ→コロンボ 汽車の旅

2014-11-18 20:41:09 | 2014スリランカ自転車旅

 昨日、ネットの不調で消えてしまった続きを補足する。

 茶工場の見学をしているときに、他の客を案内しているドライバーらしい男に挨拶された。
お前がダンブッラ辺りを自転車で走っているのを見掛けたと言う。
ここまでも自転車かと問うので、とても登っては来られないと応える。
どこの旅でも、必ず一回はこんな声を掛けられる。
私が道路上で遭遇する人の数はすごい数だろうし、彼らに対し、こちらは1人でも相当目立つ。
尊敬かどうかは分からないが、声を掛けられると矢張り嬉しい。
 
 工場前でバスを待っているとき、茶園労働者が、空の生葉袋の束をもって横に来たので少し話した。
1人1日摘むのは10キロ、それで50ルピーだと言った。
後になって考えたら、10キロでだとしたら安過ぎる。
多分、キロ当たりだろうと思う。

 バスが来て乗り込む。
既にローカルの人で一杯だ。
車掌は奥に行った方が席にありつけると言うがとても進めない。
2時間近く立ち続けた。
到着30分前にやっと座れた。
乗り物でこれだけ長い時間立ったのは何十年振りだろう。
思い出せない程だ。
それでも自転車で坂道を2時間漕ぐよりずっと楽だ。

 今朝は朝食後、駅でコロンボ行きの汽車の時間を確認した。
矢張り、自転車が預けられる荷物車が付いているのは少ない。
10時半と15時だ。
前のにする。


交通整理する騎馬警官、英国の影響だろうか。

それまでの時間で、まだ観ていない仏歯寺(ダリダ・マリガワ)に参観する。
入門時初めて荷物検査を受けた。
ナイフなど持っていないかと言いながらバッグを覗いたが、バッグのポケットのナイフには気が付かなかった。

内部では、思い思いの場所、姿勢で熱心にお祈りする人が多い。


仏前に捧げられた花々。

 帰りはスリーウイラーに乗る。
宿をチェックアウトする。
既に自転車が前に出してあった。
安宿にしては、女将も親切で部屋も綺麗、対応もの行き届いている。
今回一番の宿だった。

 
確かに自転車が積み込まれた。

 コロンボまで、二等車が2百円、自転車が6百円。
自転車が三倍だ。
それにしても、汽車賃が安い。
4時間の行程が中級のライスアンドカリーと同じだ。
汽車は1時間前には入線していたので乗り込む。
発車が近くなると、通路まで一杯になった。
早く来て正解だった。


デッキからも人が溢れている。

 2時間程経った時、人混みを掻き分けて大柄の坊さんが近くに来た。
私の顔を見て、無言で変われと合図する。
私が怪訝な表情をすると、窓の上の壁を指さす。
そこには聖職者の席と書かれている。
仕方なく立つと、隣の少女が直ぐ立って私に譲ってくれた。


私が座っていた席に泰然としている坊さん。


壁の表示。

幸い、坊さんは30分程で降りて行った。
何の挨拶もなしに。

 コロンボ駅には4時間後の午後1時半に到着した。
ガイドブックには2時間半から4時間と幅をもって記されている。
列車に種類があるのかも知れない。
百キロ程の所を4時間と言うことは、平均時速25キロになる。
確かに停まる駅は多いし、山中は単線で待ち合わせもあった。
山を下りきるまでは、時速30キロも走っていなかった。
平地に来て、やっと50キロ以上になった。

 最初の宿に投宿。
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