片雲の風に誘われて

自転車で行ったところ、ことなどを思いつくままに写真と文で綴る。

11/5 ジキタリス、小笠山

2022-11-06 00:07:36 | 山行き

  今日の散策路から見えるエコパスタジアム。

 

 妻がジキタリスの苗が欲しいというので出かけたが、その前に前回私だけが参加した、「小笠山の会」で散策した山道を覗いてみることになった。

沢山あるパーキングの内、一番南にある10番に車を駐め、隣接の散策路に入る。

妻の目的は鳥だが、やはり””声は聴けども姿は見えず””だった。

有効な写真は撮れなかった。

私は前回説明を受けても全て忘れている植物の名前をもう一度記憶しようと写真に収めた。

山の中ではネットに繋がらないこともあるので、撮ってきた写真をグーグルフォトで再生すると、そのままレンズで類似する映像を探し、名前を教えてくれる。

 高野箒(コウヤボウキ)

下田菊(シモダギク)あるいは沼大根(ヌマダイコン)判別困難

野菊(ノギク)

冬苺(フユイチゴ)

臭木(クサギ)

犬ほおずき(イヌホオズキ)

裸ほおずき(ハダカホオズキ)

雌藪まお(メヤブマオ)

花蕨(ハナワラビ)

 面倒だが、こうしてもう一度写真と名前をアップすると少しは記憶に残るかもしれない。

 

  以前妻がどこかの苗屋さんで話した方が、ジキタリスの翌年も咲かせる方法を教えてくれた。

そこで、今年その様に花が終わった後してみたそうだが、教えられたようにならなかった。

それで購入となったわけだ。

最初に何時もの苗屋に行くと、もう売り切れで再入荷はないといわれた。

それで藤枝まで足を延ばしてそちらの苗屋さんでは最後の2ケースが残っていた。

ジキタリスはスペインのサンチアゴ巡礼路の山の中では林の中に自生しているのをよく見かけた。

ゴッホが医者のゴシェがジキタリスを持っている絵を描いている。

ジキタリスは全身に毒を持っていて、西洋では薬草としても用いられているそうだ。

ゴッホはゴシェにジキタリスの薬を処方されていて、その副作用が精神に影響してヒマワリの黄色などの表現が出てきたなどという説もあるそうだ。

 

 

 

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10/22 小笠山を愛する会自然観察会

2022-10-23 01:11:08 | 山行き

  高校時代の同級生が主催する自然観察会に参加した。

前回に引き続き2回目だ。

愛野駅近くのエコパの駐車場に集合して、施設に隣接する林の中を散策。

この施設建設当時、オオタカだとかサシバの営巣地が壊されたと説明を受けた。

もう20数年前のことらしいが、私はこの前は何度も通ったことはあるが中に入るのは初めてだ。

広いいくつものグラウンド、駐車場が続き。稀にみる大掛かりな施設だった。

小笠山山塊の北部分に位置する。

小笠山は古大井川の川筋が隆起したものだ。

上の写真の様に丸くなった玉石が積み重なっている。

 当時と言っても何時頃のことかよく分からないが、海岸が近くまであったようだ。

現在では海岸から30キロ以内ぐらいに生息するウバメガシが広がっている。

和歌山の備長炭の原料になる固い樹木だ。

ウバ(姥)という言葉が名前に入っているように、建材等には余り役に立たなかった樹種だったようだ。

現在でも、祭りに使う山車車の心棒に使われているぐらいだ。

 ホトトギスが群咲く余り高低差がない散策路を3時間ばかり歩いた。

途中トレイルランで走っている人、散歩の風体で歩いている人、犬の散歩で歩いている人、山歩きの装束で歩いている人、様々な出立姿の人たちと擦れ違う。

手近な山道だ。

近くに住まいする人々にとっては、人生を豊かにしてくれる優れた環境だろう。

  

 昼過ぎに家に帰りつくと、待ち兼ねた様に、今日は留守番だった妻が食後は勝佐の野花を見に行こうという。

「ホオジロの会」のメンバーが季節ごとに雑草を管理して、時々の花を守っている里山だ。

晩春はササユリ、今はホトトギス、ツリガネニンジン、ノハラアザミの花が堪能できる。

今日一日で1万4千歩以上を記録した。

帰りに、知り合いの山荘が先日の大雨で、裏庭に土砂崩れの被害を被った見舞いをした。

シュウメイギクが種が飛んでか根のライナーが伸びてか彼方此方に生えているというので、この株を幾つか貰った。

ついでに、山崩れの腐葉土を含んだ土砂も4袋ほどいただいた。

帰り着いた時は疲労困憊して直ぐベッドへ直行、1時間以上の昼寝。

その分深夜眠れずこれをアップ。

 

 

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8/31、9/1 鳳凰三山(薬師岳、観音岳、地蔵岳)縦走

2016-09-03 11:05:31 | 山行き

登山口から1時間登った夜叉神峠から見る白根三山。

  夜叉神峠登山口には8時半に着いた。
家から3時間半だ。
駐車場に車はまばらだ。
登山口で登山届を認め歩き出す。
急な斜面の林の中をジグザグに登る。
1時間ほどで夜叉神峠にたどり着く。
ここでやっと視界が開け白根三山が目の前にデンと並んで姿を現した。


右から北岳、間ノ岳、農鳥岳。
今回は行く先々でこの三山を眺めながら、前回の縦走を反芻することになる。

  山に入ってもほとんど人と出会わない。
下ってきた人3人、登りはカップル1組だけ。
単独行なので、全く気ままに自分のペースで歩むことができる。
用心しながらかなりゆっくりに歩を進める。
休憩も多めにとった。
30分に1回5分ぐらい休んだ。
南御室小屋には2時半に着いた。
コースタイム5時間30分のところを6時間だった。
地図のコースタイムは休憩を含んでいないし、含まれていない辻山の展望台へも30分往復しているので、ほぼ順当な歩みか。
時間によっては更に上の薬師岳小屋まで登ろうと考えていたが改修に入っていて泊まれなかった。
ここまではあまり急登もなく、比較的楽な登りだった。


南御室小屋。

  南御室小屋はこじんまりした小屋で客も10人程度だった。
三人部屋同室は68歳、73歳の単独行の男性2人。
2人とも私より2時間近く後から登り始めて同じころ着いた。
大した健脚だ。
夕食までの時間ビールを飲みながら山行の話を聞いた。
お2人とも山登りを本格化させたのはやはり定年前後からとのこと。
73歳氏はモンブランなどヨーロッパやヒマラヤ山系にも行っているという。
今回も、札幌から来て、この後、甲斐駒ケ岳、仙丈岳を登り、八ヶ岳へも回るそうだ。

  翌朝、5時半の朝食時残っていたのは我々3人だけだった。
他の人は皆もう出発していた。
今日の広河原まではコースタイム7時間、68歳氏は14時発のバスに間に合うようにと早めに出た。
その次は16時40分だ。
私もできれば14時に乗りたいが、遅れても乗合タクシーがあるだろうと無理をしないと決めた。

  本日のコースは三山を縦走するので、アップダウンを繰り返す。
それぞれが急坂だ。
小屋の裏からまず最初の急登にしがみつく。
登ると砂払岳にでて視界が広がる。
また夜叉神峠とは違った角度の白根三山が拝める。


砂払岳からの白根三山。

鞍部の薬師岳小屋からまた急登を登り、薬師岳に立つ。
ここからの景色は360度見渡せる。


東側は甲府盆地越しに八ヶ岳。

  薬師の手前で73歳氏が追いついてくる。
私より15分後に出たそうだ。
先に行ってもらうが、付いて行けるか試してみる。
何とか付いて行けそうだった。


辿った尾根道の向こうに富士山が見える。

  次の地蔵岳までは少し長めのアップダウンがある。
コースの赤抜沢ノ頭から地蔵岳まではまた下って行かなければならない。
73歳氏と荷物を置いて行く。


赤抜沢ノ頭から見る地蔵岳オベリスク。

賽の河原には地蔵さんがたくさん並んでいる。
地蔵岳のピークまでは行けそうになかったが、岩山に取付いた。
一番上に並んだ2個の大岩の下まで登ることができた。

  ここまで73歳氏に付いて歩いたので、少し急げば14時のバスに間に合う可能性が残っていた。
広河原への分岐点、白鳳峠に着いた時12時15分。
健脚の73歳氏に劣らずに歩いてこれて、まだ脚も大丈夫そうだった。
ここからのコースタイム2時間15分を1時間45分で下りればバスに間に合う。
残りはほぼ全て下りだ、何とかなるだろうと、73歳氏に別れを告げて先を急いだ。
道は大きな石の転がる急なガレ場続きだ。
飛ぶように降りて、途中までは1時間のところを30分ほどで下った。
しかし、限界だった。
膝が笑い始めた。
踏ん張りが効かなくなった。
10分ほど休んでいると73歳氏が追い付いてきた。
しばらくは同行したが、途中で落後した。
このままでは無事下山できるかも心配になった。
馬鹿なことをしたものだ。
それでも幸い、数年前の赤石岳の時ほどひどくはなくて、コースタイムプラス15分で広河原に着いた。
15時、乗合タクシーで車のある夜叉神へ向かった。











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8/11-14 白根三山縦走(北岳~間ノ岳~農鳥岳)

2016-08-15 15:20:46 | 山行き

北岳・間ノ岳間の尾根道

  バケットリストにも挙げていた白根三山縦走を実現した。
娘夫婦に同行させてもらう積りでいたが、彼らが行けなくなったので独りでと考えていた。
しかし、単独行は家人の反対が強かった。
そこで、ツアーを物色しクラブツーリズムに申し込んだ。
新宿発のツアーだが登山口の広河原で合流する。
車で自宅から下山口の奈良田温泉まで行き、バスに乗り換え広河原。
広河原には10時前に着いたが、本体の到着は大幅に遅れ午後2時を回った。
新たに制定された山の日から始まるお盆連休では仕方ないことだ。


広河原のインフォメーションセンター。
昨夏の仙丈ケ岳行きもここから北沢峠まで入った。


御池小屋のテント場から北岳の一部が覗いている。

  白根御池小屋には5時前の到着。
たった3時間の登りだったが、久しぶりの登山で足が疲れた。
ここ数日酷暑の中、暑気払いのアルコールが体内に残留していたせいか異常に大汗をかいた。
総勢はガイド1、添乗1を含め女性13、男性9人の22人。
平均年齢は55歳辺りか。
山小屋では男性だけで1部屋当てがわれた。
中にいびきの大きな人が2人ばかりいて、その競演に悩まされ殆ど眠った気分になれなかった。

  肩の小屋で弁当を食べ、11時前に北岳山頂。

3,193メートルは日本第二の標高。

頂上直下の急登は堪えた。
だが達成感は一入だ。


第2峰から第1峰富士山を望む。


去年登った仙丈ケ岳の全容が見渡せる。

  いよいよ長年憧れていた稜線歩きに入る。
北岳から間ノ岳を経由して農鳥岳に至る稜線ルートは3千メートル級の日本一の長さになるそうだ。
この晩は山頂から少し下って北岳山荘に泊まる。
客は溢れるほどで、1枚の布団に3人だと申し渡された。
上向きに寝ることが出来ない。
しかし、夕食後、予備であったらしい屋根裏のスペースが空いているのを見付け、急いでもぐり込んだ。
いびきも気にならず、清々眠ることができた。


日の出を拝む。


3,190メートル間ノ岳山頂。

  間ノ岳は子供のころから大井川の源流となる山だと聞かされてきた。
頂上から見回すと、多くの谷を作っている大きな山体だ。
深田久弥も『日本百名山』の中で、その図体の大きいことは日本アルプス第一だろうと云っている。


次に向かう農鳥岳の右横に塩見岳が望まれる。間には荒川三山も。

  農鳥岳との鞍部に位置する農鳥小屋で弁当を食べる。
農鳥岳(3,026)より西農岳(3,051)の方が高い。
農鳥を極めると、これでメインは終わったと思った。
大門沢小屋までは下りで、コースタイムは3時間半、遅くとも4時までには着くだろうとたかを括った。
これが大間違いだった。
急なゴロタ石の下り坂や崩れかけた傾斜道で難儀させられた。
途中で故障者も出て、大いに時間を食った。
小屋に着いたのは5時だった。
全行程12時間を要した。
今回一番ハードな道行だった。
自身も最後は膝がもつのか心配になってきた。

  粗末な夕食の後一杯飲んですぐに横になった。
ひと眠りして、外が騒がしいので目を覚ます。
消灯時間の8時を越えているのに明りが灯っている。
9時近く、消灯に来た従業員が云うことには、我々の後ろを下山してきた人が滑落してけがをした。
それをグループで担ぎ下ろしてきたとのこと。
幸い意識は回復したが病院搬送は夜が明けてからだ。
けが人は韓国の女性、小屋には韓国の客が多く、数グループで40人近く泊まっているらしい。


翌朝夜明けに到着した救急のヘリコプター、隊員を下ろし収容の準備に入った。

  翌朝、収容作業を横目に見ながら下山を開始。
コースタイムでは4時間弱だが、厳しい下りが続くようだ。


手入れの悪い橋。


壊れかけた桟道。

 南アルプスは北に比べまだ入山者が少ないので設備のメンテナンスが十分ではないようだ。
登山を快適にする梯子や橋、ロープなどの設備も貧弱だ。
登山道の整備も不十分だとガイドが云っている。
しかし、本来の自然な山を楽しもうと思ったら不満を言うべきではないのかもしれない。

  最終日の下りも急坂の連続で始まった。
回復した脚がまた心配になる。
幸い、後半はなだらかな道になり、ほぼコースタイムで下山口に着くことができた。
奈良田温泉で疲れを取り、昼食を済ませ、グループを離れた。

  途中何度か心配になる場面もあったが、もし単独行だったら無理をして故障の原因になるようなこともあったかもしれない。
長年の懸案を片付けることができた。
更に欲も出てきたが。



















 
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7/19 仙丈ヶ岳登山

2015-07-20 08:42:48 | 山行き

シャクナゲの花が散り残っている。


この3連休は娘と南アルプスの北岳-間ノ岳-農鳥岳の縦走を予定していたが、台風11号の影響が残ったため計画を変更させられた。
17日金曜日様子を見て、土日に仙丈ヶ岳なら登れそうだと決めた。
土曜の朝家を出て、昼前に娘を甲府の駅で出迎えた。
中央線で降りてくる客の中には山行きの姿が目立った。
娘の旦那は北アルプスを予定していたが、急遽、我々が断念した北岳に金曜の夜に向かったらしい。
土曜の朝から登り始めているという。
北から南に変更した人は多そうだ。
途中のコンビニで食料などを調達して、芦安の駐車場を目指す。
最終の北沢峠行のバスに乗る。
芦安温泉の市営駐車場から広河原まで山梨交通のバスに乗る予定だったが、甲府の駅で既に満員で、立ち席承知なら切符を売るという。
仕方なしに購入してバス停で待つと、すぐ前に乗合タクシーが客引きをしている。
ワゴン車でバスより70円余分に出すだけだという。
慌ててバスをキャンセルして乗り換えた。
7人乗りに4人だけで荷物もトランクで、ゆっくり座れた。
バスなら座れても荷物は膝の上だ。

北沢峠には3時過ぎに着いた。
テント場に急ぐと、既に大方は埋まっている。
隙間を選んで設営した。


通路近くしか空いていなかった。手前の黄色が私の。奥のオレンジの向こうの青が娘。

設営後は山小屋の売店で買った高い生ビールとつまみで一休み。
あちこちで炊事のよい香りがしてくる。
我々もインスタントラーメンにもやしを入れて煮込み、ゆで卵やらハンバーグを準備する。
娘の持ってきた赤ワインで食せば優雅な食事となる。
食後、7時前にはそれぞれのテントに潜り込んだ。
直ぐに寝入ったようで、12時ごろまで熟睡した。
それからは近くの通路を歩く人の音で眠れなかった。

4時に朝食を準備し、5時に出発した。
登山コースは幾つかあるが、南側を行く、早めに稜線に出る出るコースを採った。
ゆっくり登る我々を多くが追い越してゆく。
今回娘が、旦那と別行動になったのも、旦那の今回の同行者は体力充分の早登りの人だとかで迷惑を掛けるからと辞退したそうだ。
樹林帯の道は気温12度程度で、初めは寒いかと思ったが、直ぐに薄着になった。
まだ新緑の感じでと手の爽やかだ。
稜線に出ると景色が広がる。
東側には甲斐駒ケ岳の白い花崗岩でおおわれたピラミッドが見える。
まだ台風の影響だろうか、ガスや雲が視界を遮ることもある。
南には北岳が山頂を雲に覆われている。


ライチョウが雛を連れて歩いていた。


富士山の左に北岳、間ノ岳がよく晴れて見える。
この稜線を歩いてみたかった。

登り始めて4時間後仙丈ヶ岳の頂上に着いた。
まだ9時を過ぎたばかりで昼には早いが、頂上直下の仙丈小屋の前で、むすび1個とゆで卵を食べた。
娘が、これなら午後1時半のバスに乗れるかもしれないと言い出した。
当初は4時のを予定していた。
3時間以内に下山完了すれば、テント撤収を含めて十分可能だ。
急いで下山することにした。
来る前、私は、下山後は娘を東京まで送って行き、新居を覗いてみるつもりだった。
しかし、娘は静岡に帰るつもりでいたという。
それならば夕食に間に合うようにということで急いだ。


下山途中、まだ雪渓が多く残っている。

幸い、膝もそれほど痛まずに歩き通すことができた。



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