仁淀川ファンクラブ 

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羽迫さんの町屋あれこれ・・・佐川の町並み~その1

2011-02-21 | 佐川町ファンクラブ

羽迫さんの町屋あれこれ・・・佐川の町並み~その1

司牡丹と坂本龍馬

 司牡丹酒蔵、竹村家の屋号は「黒金屋」と言い、
 慶長8年(1603)より佐川の地にて
 酒造りを営んでいました。
 一方、坂本龍馬の本家「才谷屋」も、質屋などと併せて、
 酒造りを営んでいました。
 才谷屋と佐川の酒屋との間には、煩雑な交流があり、
 竹村家には黒金屋弥三右衛門が
 才谷屋助十郎から、酒造りの株一軒分
 買ったという書状が残っています。
 更には、両家は姻戚関係に在り、
 極め付きは、竹本本家には龍馬の
 手紙(甥の高松太郎宛)も
 所蔵されており、
 代々受け継がれています。

司牡丹と宮尾登美子

 「揚梅(やまもも)の熟れる頃」という
 小説風・ルポ風エッセイ集があります。
 その中に「おきみさんと司牡丹」と題する短編があります
 が、この話は司牡丹に働く土佐の女「おきみさん」と
 蔵人の「恒さん」のほのかな恋心を描いた作品です。
 また、テレビ、映画で放映した
 「蔵」のあとがきには、司牡丹の酒造
 の雰囲気に憧れ、酒造りの文化に
 魅せられたとの記述もあります。

司牡丹と吉田茂

 戦後日本復興の立役者、吉田茂もまた、土佐が生んだ
 偉人ですが、彼の著書「世界と日本」の中に「味のお国
 自慢」として以下の文章があります。
 「土佐の酒はまずいから、よい酒を東京から持っていこう」
 と語ったことがある。これを伝え聞いた選挙区の有志たち
 から「土佐には自慢の酒がある」と叱られた。
 なるほど、飲まされた酒は上等だった。
 「司牡丹」という名の酒で、
 以来その酒を愛飲している。
 昭和35年、遊説のため来高した
 吉田茂元首相は、司牡丹酒造を訪ね、
 会長と快談している。そのときの写真と
 色紙は今も社宝として司牡丹酒造に
 所蔵されています。

司牡丹と牧野富太郎

 牧野富太郎博士の生家は、屋号を「岸屋」と称し、
 代々佐川の地で酒造りを営んでいました。
 明治の中頃、牧野博士はこの酒造を人手に譲り、上京し、
 植物の研究に生涯を捧げます。
 その後、この酒造は司牡丹に譲られますが、昭和中頃の
 台風で一部、牧野博士の
 勉強部屋を残し倒壊した。
 長らく「牧野蔵」として町民に
 親しまれてきましたが、
 平成16年の台風で
 倒壊してしまいました。 

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