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佐川町内の記事

2012-11-17 | 佐川町ファンクラブ

佐川町内の記事

"宇宙桜の苗木"が牧野植物園で、牧野富太郎生誕150周年を記念して植樹される (宇宙桜 その5)

仁淀川・四国カルストジオパーク に関する情報

第1回仁淀川こども祭&お国自慢大会

羽迫博己さんの 仁淀川の沈下橋 目次

 

第1回仁淀川こども祭&お国自慢大会 3月18日(日)、いの町 波川公園で開催されました 目次

仁淀川流域"宇宙桜の会" に関する記事

その21 佐川町からの出店 野っぱら工房&横畠冷菓

仁淀川流域の情報

佐川町の見所・ウオッチング
佐川町の乗台寺 に関する記事
佐川町立青山文庫  の記事
JAコスモス佐川支所はちきんの店佐川店 に関する記事
佐川町・一目千本桜の和楽園 に関する記事
佐川町・虚空蔵山の「斗賀野(とかの)ワールド高原の観光花園」
佐川町・「岡林製茶
虚空蔵山(こくぞうさん・高知) に関する記事
佐川地質館(佐川町)
横畠冷凍

HN: 佐川地質館・Hashikake の記事

佐川町の うなぎ「大正軒」

栗田真二(佐川町)さんの模型の世界

羽迫博己さんの、町屋あれこれ



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羽迫さんの町屋あれこれ・・・佐川の花見~その1 青源寺庭園

2011-03-04 | 佐川町ファンクラブ

羽迫さんの町屋あれこれ・・・佐川の花見~その1 青源寺庭園

 

11~青源寺庭園 「鶴亀園」

 江戸初期の寺創建時に築庭。
 禅寺の風格をもった簡素な庭園で、書院廊下から、
 現在は本堂前に移築されているが、元庭園内にあった
 茶室に向かう露地の飛び石と石組みで構成された前庭
 と、山側南端の空滝石組みから池への庭との相対が、
 この庭園の趣きとなっている。
 植栽は山科面から、もみじ・椿・つつじ・石楠花・さつきで
 点綴され、前庭には四基の石灯籠が配された
 枯淡な庭園である。
 昭和10年に文部省の指定名勝に、昭和三十一年より
 県指定名園に移行している。土佐三名園の一つである。

 

羽迫博己さんの、町屋あれこれ

栗田真二(佐川町)さんの模型の世界

 

羽迫博己さんの、町屋あれこれ・・・いの町編

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羽迫さんの町屋あれこれ・・・佐川の地質~その4

2011-02-24 | 佐川町ファンクラブ

羽迫さんの町屋あれこれ・・・佐川の地質~その4

 

 

33~佐川ナウマンカルスト
                とエドモンド・ナウマン

 「鳥の巣石灰岩」を定義し世界に知らしめた
 ドイツ人エドモンド・ナウマンの来町を記念して、
 同町唐岩に分布するカルスト地形を佐川町が
 整備し、「佐川・ナウマンカルスト」と命名し、
 その功績を称えることとした。
 過去・現在・未来の時間を超越した物質の
 無限性と変化を当地に表現したものである。

 小規模ながら石灰岩が雨水によって侵食された
 カルスト地形を観察することができる。

 

羽迫博己さんの、町屋あれこれ

栗田真二(佐川町)さんの模型の世界

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羽迫さんの町屋あれこれ・・・佐川の地質~その2

2011-02-24 | 佐川町ファンクラブ

羽迫さんの町屋あれこれ・・・佐川の地質~その2

 

32~不動ガ岩屋洞窟遺跡
              と聖獄の鳥の巣石灰岩  
       

 縄文時代草創期(12,000~10,000年前)の高知県の
 代表的な遺跡である。(国指定の埋蔵文化財遺跡)
 旧石器時代から縄文時代に移る頃の住居跡で、石灰岩
 帯の鳥ノ巣石灰岩脈に属する佐川町西町にある聖獄の
 中腹の南斜面に、洞窟は開口している。
 洞内に不動尊像が祀られていることから、
 不動ガ岩屋と呼ばれている。
 主な出土遺物は、旧石器時代終末の特徴とされる、
 草創期の細隆線文土器片、有舌尖頭器(石器)など
 日本で最も古い時代の土器とが発見された。
 その他タカラガイ、いもがい等の垂飾品等も
 多く見つかっている。

 

羽迫博己さんの、町屋あれこれ

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羽迫さんの町屋あれこれ・・・佐川の地質~その1

2011-02-24 | 佐川町ファンクラブ

羽迫さんの町屋あれこれ・・・佐川の地質~その1

 

30~佐川地質館

 世界的に注目されている佐川盆地の特異性をはじめ
 高知県内の地形とか地質についての展示説明。
 著名なナウマン博士並びに小林博士の佐川での活動記録。
 国内外の化石コレクションや動く恐竜
 「ティラノザウルス」、プレート運動を解説する動く
 大陸装置「プレート・テクトニクス」などが展示されており、
 「地質・化石の佐川」ならではのミュージアムとして、
 地球の生命の歴史を学ぶことが出来ます。

      ~壮大な地球の宝物を見に来ませんか~

 

羽迫博己さんの、町屋あれこれ

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羽迫さんの町屋あれこれ・・・佐川の町並み~その4

2011-02-24 | 佐川町ファンクラブ

羽迫さんの町屋あれこれ・・・佐川の町並み~その4

17~西谷退三旧邸

 本名は竹村源兵衛で、住居と書斎である。
 西谷退三は昭和17年からペンネームに使い活躍す。
 家は薬種問屋でその長男に生れた。
 札幌農学校で日本植物学会の草分け、三好学博士から
 セルボーンの植物誌の講義を受け傾注。
 翻訳の仕事に生涯を捧げている。
 訳書「セルボーンの植物誌」は死後、
 友人の森下雨村により出版された。

19~名教館の玄関

 安永元年(1772)佐川藩主、深尾氏が土居邸内に家塾
 として、「名教館」を創設、のちに藩校として士分の教育に
 資した。1830年東元町に広大な校舎を建設、以来幕末
 まで数多くの人材を育成し、佐川郡の文運を高めた。
 明治2年、版籍奉還により「佐川小学校」と改名し、
 中本町に佐川尋常小学校としての校舎の建築、
 玄関を移設した。

 

羽迫博己さんの、町屋あれこれ

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羽迫さんの町屋あれこれ・・・佐川の町並み~その2

2011-02-22 | 佐川町ファンクラブ

羽迫さんの町屋あれこれ・・・佐川の町並み~その2

1~町並み模型館
 
 ここには佐川町の上町周辺の古民家を、1/20に縮小した
 模型を展示しています。
 建物の外観は勿論のこと、内部の障子やふすま・
 掛軸まで細かく再現しています。
 なお、模型造りと製作者のガイドを通して、
 建物の構造と昔の職人の技が見学できます。

2~伊藤蘭林塾(寺子屋)

 蘭林は深尾家に仕える儒官となり、郷校「名教館」及び
 「蘭林塾」で教授すること50余年であった。
 当時の佐川では、大半の学徒の人々は蘭林塾の教えを
 受けている。
 牧野富太郎、田中光顕、広井勇、古沢滋などもすべて
 門下生で、この寺子屋から育っていった。

3~司牡丹 酒蔵

 長大な酒蔵は、長さ85mで国内でも有数の長さを誇る。
 建築は天保9年(1839)で、東西2棟を繋いでいる。
 幕末の頃は、上町だけで9軒の造り酒屋があったが、
 大正7年には3軒になり、竹村本家・竹村出店・浜口家が
 合併して「佐川醸造」を設立した。
 その後、「司牡丹」に発展した。

4~牧野富太郎の生家跡

 植物学者で「日本植物学の父」と呼ばれている。
 富太郎は造り酒屋「岸屋」の跡とりであったが、幼少の
 時代から植物に関心を示し、東京帝大植物学教室に
 出入りするも、さらには独学で研究を深めながら、
 日本人では初めての植物の新種を発見、
 命名を数多く行っている。
 ~草をしとねに木の根をまくら、花を恋して50年~

5~元青山文庫 庫舎

 旧須崎署佐川分署として明治19年に建てられた。
 県内では、最も古い洋風建築である。
 その後、図書館として川田文庫に。時の宮内大臣、
 田中光顕から大量の書物を寄贈され、田中光顕の
 雅号「青山(せいざん)」をとり、青山文庫となる。
 民具館を経て、現在はイベント等で利用されている。

6~浜口家住宅

 浜口家は天正の頃、長宗我部信親の家臣であり、
 江戸中期に香南市手結から移り住み、
 高知・佐川・須崎で酒造業を営んだ。
 屋号を「生金屋(あらがねや)」と言い、大正7年に
 竹村本家、出店、浜口家 三軒の酒屋が合併し、
 佐川醸造(後の司牡丹)を設立した。

7~竹村家住宅  国指定重要文化財

 東の店舗部分は230年、西の客間は170年前のもの。
 幕府の巡検使を迎えた程の格式の高い住宅で、
 高知城「懐徳館」と同様の貼り付け壁(和紙貼り付け)。
 付け書院の花頭窓は、土佐でしか見られない特徴である。
 東棟(店舗)、中棟(住居)、西棟(客間)の
 三棟からなっている。
 入口は西と東の2ヵ所で、西門は巡検使や高官を迎える
 正門で、東門は家人の入口である。

8~町の駅、観光案内所

 この建物は武村本家の貸家棟であり、
 三軒長屋の形式を留めた古い建物である。
 中央の家は、町の駅として観光案内や、
 おみやげの販売もしています。
 一寸一服いかがでしょう

 

羽迫博己さんの、町屋あれこれ

栗田真二(佐川町)さんの模型の世界

羽迫博己さんの、町屋あれこれ・・・いの町編

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羽迫さんの町屋あれこれ・・・佐川の町並み~その1

2011-02-21 | 佐川町ファンクラブ

羽迫さんの町屋あれこれ・・・佐川の町並み~その1

司牡丹と坂本龍馬

 司牡丹酒蔵、竹村家の屋号は「黒金屋」と言い、
 慶長8年(1603)より佐川の地にて
 酒造りを営んでいました。
 一方、坂本龍馬の本家「才谷屋」も、質屋などと併せて、
 酒造りを営んでいました。
 才谷屋と佐川の酒屋との間には、煩雑な交流があり、
 竹村家には黒金屋弥三右衛門が
 才谷屋助十郎から、酒造りの株一軒分
 買ったという書状が残っています。
 更には、両家は姻戚関係に在り、
 極め付きは、竹本本家には龍馬の
 手紙(甥の高松太郎宛)も
 所蔵されており、
 代々受け継がれています。

司牡丹と宮尾登美子

 「揚梅(やまもも)の熟れる頃」という
 小説風・ルポ風エッセイ集があります。
 その中に「おきみさんと司牡丹」と題する短編があります
 が、この話は司牡丹に働く土佐の女「おきみさん」と
 蔵人の「恒さん」のほのかな恋心を描いた作品です。
 また、テレビ、映画で放映した
 「蔵」のあとがきには、司牡丹の酒造
 の雰囲気に憧れ、酒造りの文化に
 魅せられたとの記述もあります。

司牡丹と吉田茂

 戦後日本復興の立役者、吉田茂もまた、土佐が生んだ
 偉人ですが、彼の著書「世界と日本」の中に「味のお国
 自慢」として以下の文章があります。
 「土佐の酒はまずいから、よい酒を東京から持っていこう」
 と語ったことがある。これを伝え聞いた選挙区の有志たち
 から「土佐には自慢の酒がある」と叱られた。
 なるほど、飲まされた酒は上等だった。
 「司牡丹」という名の酒で、
 以来その酒を愛飲している。
 昭和35年、遊説のため来高した
 吉田茂元首相は、司牡丹酒造を訪ね、
 会長と快談している。そのときの写真と
 色紙は今も社宝として司牡丹酒造に
 所蔵されています。

司牡丹と牧野富太郎

 牧野富太郎博士の生家は、屋号を「岸屋」と称し、
 代々佐川の地で酒造りを営んでいました。
 明治の中頃、牧野博士はこの酒造を人手に譲り、上京し、
 植物の研究に生涯を捧げます。
 その後、この酒造は司牡丹に譲られますが、昭和中頃の
 台風で一部、牧野博士の
 勉強部屋を残し倒壊した。
 長らく「牧野蔵」として町民に
 親しまれてきましたが、
 平成16年の台風で
 倒壊してしまいました。 

羽迫博己さんの、町屋あれこれ

栗田真二(佐川町)さんの模型の世界

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羽迫さんの町屋あれこれ・・・佐川の町並み~栗田真二の世界6

2011-02-19 | 佐川町ファンクラブ

羽迫さんの町屋あれこれ・・・佐川の町並み~栗田真二の世界6

04~臨済宗妙心寺派「青源寺」

 開山したのは慶長8年(1603)創建。1766年再建。
 掛川・長蓮寺の高僧だった丈林宗規が、戦国大名、
 山内一豊や重臣である深尾重良と交わりが深く、
 静観の地 佐川を好んで青源寺を開いた。
 深尾家の菩提寺となる。
 この高僧は特に天皇が許す僧衣に紫の衣があり、
 紫衣僧(しえそう)として人々から尊敬されている。
 青源寺は代々紫衣僧の高僧、名僧を輩出している。

 

 02~名教館の玄関

 安永元年(1772)佐川藩主、深尾氏が土居邸内に家塾
 として、「名教館」を創設、のちに藩校として士分の教育に
 資した。1830年東元町に広大な校舎を建設、以来幕末
 まで数多くの人材を育成し、佐川郡の文運を高めた。
 明治2年、版籍奉還により「佐川小学校」と改名し、
 中本町に佐川尋常小学校としての校舎の建築、
 玄関を移設した。

 

 

 

羽迫博己さんの、町屋あれこれ

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羽迫さんの町屋あれこれ・・・佐川の町並み~栗田真二の世界5

2011-02-19 | 佐川町ファンクラブ

羽迫さんの町屋あれこれ・・・佐川の町並み~栗田真二の世界5

 

09~竹村家住宅  国指定重要文化財

 東の店舗部分は230年、西の客間は170年前のもの。
 幕府の巡検使を迎えた程の格式の高い住宅で、
 高知城「懐徳館」と同様の貼り付け壁(和紙貼り付け)。
 付け書院の花頭窓は、土佐でしか見られない特徴である。
 東棟(店舗・屋号を黒金屋)、中棟(住居)、西棟(客間)の
 三棟からなっている。
 入口は西と東の2ヵ所で、西門は巡検使や高官を迎える
 正門で、東門は家人の入口である。

09~竹村分家(マル久呉服店)

 分家の初代は、安右衛門守信で安政6年(1777)に
 本家より分家する。屋号を「 久 」を掲げた
 建築は、文政11年(1828)に、そして明治5年に改修。
 当初は質屋を営み、次第に発展して呉服商となる。
 三代目安七守本のころ、土佐国西部では唯一の
 絹織物商として繁盛した。
 この安七が店舗と住居を別棟として
 連続させた家を新築している。

 

羽迫博己さんの、町屋あれこれ

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羽迫さんの町屋あれこれ・・・佐川の町並み~栗田真二の世界4

2011-02-17 | 佐川町ファンクラブ

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05~元青山文庫 庫舎

 旧須崎署佐川分署として明治19年に建てられた。
 県内では、最も古い洋風建築である。
 その後、図書館として川田文庫に。時の宮内大臣、
 田中光顕から大量の書物を寄贈され、田中光顕の
 雅号「青山(せいざん)」をとり、青山文庫となる。
 民具館を経て、現在はイベント等で利用されている。

06~浜口家住宅

 浜口家は天正の頃、長宗我部信親の家臣であり、
 江戸中期に香南市手結から移り住み、
 高知・佐川・須崎で酒造業を営んだ家系の住居です。
 屋号を「生金屋(あらがねや)」と言い、大正七年に
 竹村本家「黒金屋本家」、竹村出店「黒金屋出店」、
 浜口家「生金屋」の三軒の酒屋が合併し、
 佐川醸造(後の司牡丹)を設立した。

 

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羽迫さんの町屋あれこれ・・・佐川の町並み~栗田真二の世界3

2011-02-17 | 佐川町ファンクラブ

羽迫さんの町屋あれこれ・・・佐川の町並み~栗田真二の世界3 

10~司牡丹 酒蔵

 長大な酒蔵は、長さ85mで国内でも有数の長さを誇る。
 建築は天保9年(1839)で、東西2棟を繋いだものである。
 東棟は「黒金屋本家」、西棟は「黒金屋出店」であった。
 幕末の頃は、上町周辺で9軒も(「黒金屋本家」「出店」
 「岩屋」「入吉屋」「生金屋」「西秤屋」「吉田屋」「岸屋」
 「高橋屋」)造り酒屋があったが、やがて淘汰され、
 大正7年には3軒になり、竹村本家・竹村出店・浜口家が
 合併して「佐川醸造」を設立した。
 その後、「司牡丹」に発展した。 

07~町の駅、観光案内所

 この建物は武村本家の貸家棟であり、三軒長屋
 (東棟・中棟・西棟)の形式を留めた古い建物である。
 東棟は当初、納屋として建築されたが、後に住宅として
 改築。中棟はかっては味噌蔵であったものを、終戦後、
 住宅に改造後に、納屋として建築。
 西棟は大正期頃までは、高陽銀行(現四国銀行)
 佐川支店として使用されていた。
 現在は、中央の家を、町の駅として観光案内や、
 おみやげの販売もしています。
      ~一寸一服いかがでしょう~

 

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羽迫さんの町屋あれこれ・・・佐川の町並み~栗田真二の世界2

2011-02-15 | 佐川町ファンクラブ

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20~森下雨村の生家

 小説家。明治23年佐川町上郷に出生。
 早稲田大学卒業後、「やまと新聞」の記者をを経て、
 「博文館」に入社、同社の雑誌「新青年」の編集長として
 活躍し、探偵小説翻訳や創作活動をながら、
 推理作家の養成に務め、江戸川乱歩、横溝正史等を
 育てた。今日の「探偵小説の父」と言われている。

        ~五月雨の土に残るや足の跡~

03~伊藤蘭林塾(寺子屋)

 蘭林は深尾家に仕える儒官となり、郷校「名教館」及び
 「蘭林塾」で教授すること50余年であった。
 当時の佐川では、大半の学徒の人々は蘭林塾の教えを
 受けている。
 牧野富太郎、田中光顕、広井勇、古沢滋などもすべて
 門下生で、この寺子屋から育っていった。

 

羽迫博己さんの、町屋あれこれ

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羽迫さんの町屋あれこれ・・・佐川の町並み~栗田真二の世界1

2011-02-15 | 佐川町ファンクラブ

羽迫さんの町屋あれこれ・・・佐川の町並み~栗田真二の世界1

 

01~町並み模型館
 
 ここには佐川町の上町周辺の古民家を、
 1/20に縮小した模型を展示しています。
 建物の外観、庭は勿論のこと、内部の障子や
 ふすま・掛軸・欄干にまで細かく再現しています。
 なお、模型の説明を(土・日のみ、佐川くろがね会
 )解り易く、ガイドいたします。
 プロの大工気分で、見学し、古民家の造り方と、
 構造、生活様式をご堪能ください。
 さらに、昔の職人の技が随所で見学できます。

 古民家は全国どこででも見られますが、
 ここでの時間と空間は、あなたにきっと大きな
 満足感、心のお土産を与えられるものと、
 信じています。

 

 

 

羽迫博己さんの、町屋あれこれ

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宇宙を旅した桜ー稚木の桜、その後の成長の様子

2011-01-21 | 佐川町ファンクラブ
宇宙を旅した桜ー稚木の桜、その後の成長の様子
  
2011年1月18日日東京読売新聞本社科学部山田記者から突然の電話がありました。
内容は「宇宙を旅した桜ー稚木の桜、のその後の成長の様子を取材したいとの事でした。
  
高知ファンクラブで、佐川町尾川小学校が育ててくれているこの宇宙桜が成長して、今年には花を咲かせそうだと言う内容を紹介してくれたのを早速見た山田記者からの相談でした。
  
ここで少し宇宙を旅した稚木の桜の紹介をしておきます。
稚木の桜は佐川町出身の牧野富太郎博士が佐川町尾川で発見した、桜で実生から種を蒔き、発芽して1年後には花を咲かせる大変珍しい桜です。
 
Kochi_Sakawa.jpg
  
その桜の種を尾川小学校の児童が採取して宇宙へ送りました 
2008年 5月24日 尾川小学校児童の手で発見の地尾川で稚木の桜の種を採取
 
2008年 7月下旬 (株)有人宇宙システムがその種をアメリカ航空局(NASA)へ届ける。
 
 2008年11月15日 アメリカヒューストンのNASA航空基地よりスペースシャトルで宇宙へ旅立つ
 
地球上空約400kmを時速27,500kmで飛行を続け、その速度は1時間30分で地球を1周する速度で、1日に地球を16周し、8ヶ月半、地球を約4,080周しました。
 
2009年7月31日若田光一宇宙飛行士とともに無事地球に帰還。
 
2009年9月7日 (株)有人宇宙システムの手により、採取の地佐川町尾川へ運ばれ、尾川小学校児童に無事変換されました。
 
2009年11月中旬この宇宙を旅した稚木の桜が日本で最初に5本発芽しました。その後12本の桜が発芽し現在17本の宇宙桜が生長している。
 
2011年1月20日この桜のその後を取材するために山田記者が佐川を本日訪問しました。桜は全長1m35cm程に成長し、花芽をつけており、今年の春には宇宙を旅した14の桜の中で最初の宇宙桜を咲かせる事でしょう。
 
 
wakagi-011.jpg
 2010年1月日本で最初に発芽した宇宙桜の様子。 
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2011年1月20日の宇宙桜の様子 
  
 
wakagi-03.jpg
 2011年1月20日花芽をつけている宇宙桜の様子。今年の春には世界初、日本発の宇宙を旅した桜が咲く?