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中国中央テレビ「東方時空」より(no.2)~拉魯・次旺多吉 3.14事件について

95歳の拉魯・次旺多吉 元チベット自治区政治協商会議副主席はラサの「3.14」焼き討ち暴力事件に対して憤慨している。


拉魯・次旺多吉:今度の事件はダライ集団が綿密に計画した悪事であり、彼らは殴打破壊略奪をしたばかりか、中には生きたまま焼き殺すなどといったことをしている。私は大変憤りを感じる。


1959年以前、拉魯・次旺多吉の一族はチベットでは最大の貴族であった。1946年拉魯・次旺多吉本人はチベット地方政府の高官であるガロン(旧チベットでダライラマの命を受け政治全般を処理する役職)を勤めた。1959年チベット反乱時にはチベット軍の総司令を勤めている。反乱は、チベット各民族人民の支持のもとにラサに入城した人民解放軍により平定され、反乱軍の総司令官を二日間だけ務めた拉魯・次旺多吉は即座に逮捕された。その後、(新中国の)政府幹部の教育により拉魯・次旺多吉は自分が犯してきた犯罪行為を認識し、最終的には寛大な処理にふされ1965年8月31日チベット自治区成立前夜には釈放、ラサに戻る。故郷の目覚しい変化を目にし、感慨無量の彼は妻とともにラサ郊外の農村で農業に従事することを申し出た。
1977年、当時のチベット自治区の委員会は各政策を積極的に実行し、拉魯・次旺多吉自身の態度に基づき広く大衆の意見を求め、彼に張られていた「反乱分子」のレッテルをはずした。これにより拉魯・次旺多吉にとって大きな思想的な重荷が取り払われた。「愛国に後先はない」という党の政策の下、8月には自治区の政治協商委員に任じられ、1983年4月からは連続してチベット自治区政治協商会議副主席に選ばれた。
今、拉魯・次旺多吉氏は95歳。彼はチベットの近代と現代に起きた重大事件、旧チベットと新チベットの大きな変化を自ら経験してきた。チベットの歴史を経験しつぶさに見てきた生き証人である。
ラサ「3.14」焼き討ち暴力事件の発生から3月27日、拉魯・次旺多吉、金中・堅賛平措、唐麦・貢覚白姆 は連名で「チベット日報」に署名文書「揺るがぬ立場、旗色鮮明に一切の分裂破壊分子と分裂破壊活動と断固闘争する」を発表した。


拉魯・次旺多吉:私はダライ集団と我々の矛盾は敵味方の矛盾であると考える。だから私たちはダライ集団と徹底して戦わねばならない。自分は年をとってはいるが自分の力を尽くす覚悟である。

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