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ドキュメンタリー“日中平和友好条約締結45周年記念大阪集会”

ドキュメンタリー
“日中平和友好条約締結45周年記念大阪集会”

 人類史的大変動のなか、行く年2023年、来る年2024年。お世話になり、ありがとうございました。また、今後ともどうかよろしくお願いします。

 “日中平和友好条約締結45周年記念大阪集会”のドキュメンタリー動画ができました。お正月休みに、ご覧になってみて下さい。(下記URLをクリックしてご覧下さい。)

https://youtu.be/LqqIo_XK68g ⬅クリックしてご覧下さい。


新疆ツアー第2陣参加者による、旅紀行報告(日中平和友好条約締結45周年記念大阪集会にて)


シルクロードローラン歌舞団・歌うニジャットさん(左)、踊るジャミラさん(右)

日中友好
万古長青
2024年迎春
日中友好ネット

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新疆ツアー第2陣 作文コンテスト1等賞  平山邦孝さんの作文

新疆ツアー第2陣 作文コンテスト1等賞
平山邦孝さんの作文


中国駐大阪総領事館の方煒副総領事(右端)より、表彰を受ける新疆ツアー第2陣 作文・写真コンテスト受賞者の皆さん。(平山邦孝さんは左から3人目)


「私が見た新疆」
新疆ツアー第2陣に参加して

       第二陣新疆ツアー参加者 平山邦孝

 今回、ツアーに参加して4つの目標を持って臨みました。1つは新疆について日本のメディアが流しているフェイクの実態をこの目でしっかりと確認すること、2つ目に新疆の歴史と文化に触れ楽しむこと、3つ目にリアルタイムでツイッターなどを通して伝えていくこと、4つ目に参加された方々としっかりと交流し意見交換をしながら今後の日中交流の関わり方を自分なりに見出していくことです。

 正直、3つ目のリアルタイムの情報発信は達成できず、第1陣の方たちも中々大変だったなと参加して理解できました。
 とにかく、新疆は想像をはるかに超える広さであり、9月と雖も気温は高く、移動するだけで疲れてしまうこと、また、遅めの夕飯を取り、これまた個性豊かな参加者が食事をしながらお互いを知り、お互いの意見を交流し、お酒が入って更に激論を交わしたり、あっという間にその日が終わってしまいました。中々3つ目の目標は達成できませんでしたが、1つ目と2つ目、4つ目の目標では非常に素晴らしい成果がありました。

先ずは、一つ目
民族弾圧の噓、News23が伝えた特警はいったいどこ?
 ウルムチからカシュガルの日常生活の暮らしの中で、新疆の人々が生き生きと暮らしを動画に撮り、新疆の現在の姿を収めてきましたが、ニュース23が報じた至る所で警察が厳重な警戒?とか全く見られませんでした。また、ウルムチでもカシュガルでも毎晩と若い人たちは夜市に繰り出し安全で賑やかでとても楽しかった、どこに民族弾圧や厳重な警戒があるのか、と感想を述べていました。News23の報道との違いにあまりにも違和感を覚えました。
万を超し数えきれないモスクがある新疆!ウイグル語、中国語、英語を学ぶ子供たちって凄い!

 第8日目にカシュガルにある新疆最大のイスラム寺院であるエティガール寺院では中国イスラム教協会副会長であり全人代の代表である方にガイドして頂き、寺院の方はウイグル語で話され、次にウイグル語を中国語に、また次に中国語を日本語にと3人によって説明を受けました。副会長の話では、中国政府がいかに少数民族とイスラム教を守ってくれたか、例えば500年以上前に作られた寺院の修復やインフラの整備、また、イスラム教指導者の会議等における交通費や宿泊費などもすべて出して頂いていることに感謝していると。
 話の終わりで、News23では閉鎖された1つのモスクをあたかも全体の如く宗教弾圧があるかの報道をしていた為、「モスクの数は今どのぐらいあるのか」と質問させて頂いた。以前聞いた話では8000ぐらいと聞いていたが副会長の話では「そんな数ではない、万を超し数えきれない。」との返答でした。

 その後、喀什市第11小学校を訪問し、とても可愛い小朋友们のウイグルダンスと歌のお出迎えにとても感動。そして、ウイグル語、中国語、英語、数学、音楽、体育の授業風景を見学し子供たちの生き生きと楽しく学ぶ姿を拝見。News23の言論統制って一体どこにあるのでしょうか、直ぐにばれてしまう嘘をなぜ流すのでしょう。

新疆綿の強制労働?ウイグル語が使用できないという嘘
 第6日目、アクスの綿花畑に行き、アクス農民組合長がウイグル語で解説し、ウイグル語から中国語、中国語から日本語の通訳を聞き、ウイグル語禁止という嘘の実態を先ずは確認。そして、新疆綿花については今や90%以上が機械化されて時間的なゆとりから他産業の発展をもたらし、経済的に豊かになったとドローンによる農薬散布などを一部紹介して頂きながらお話を聞かせて頂いた。このエリアだけで303亩(20ha=200,00㎡),ほかのエリアを含めると6405亩(427ha=4,270,000㎡)と驚くほど広大な面積です。なるほど、ドローンやトラクターの強制労働は必須ですね(笑)。

 その後、上場企業であるファフ紡績工場に行き、社長自らがガイドして頂きました。もともとは、8割が海外向けで2割が国内だったところ、米国の経済制裁により大打撃を受けたものの、今は国内が8割、ASEANなど海外2割に逆転し、私たちは紡績業のファーウェイだと言っておられたが見事にファーウェイと同様に乗り越えられている姿には素晴らしいと思いました。従業員は5000名24時間稼働3交代制で残業無し、全社員が自家用車を持ち、駐車場が足らなくなっているとのこと。撤退した海外企業の中には日本のユニクロも含まれており、壮行会の時に話させて頂いた通り、米国による理不尽な経済制裁に従わざるを得なかった柳井会長の思いを某大学教授が直接生の声で聞いており、両名の怒り心頭の気持ちを改めて思い出しました。なんせ経済制裁の理由がそもそも滅茶苦茶でHuman Rights Now役員曰く「各企業が強制労働の有無を調べても最終的にはその判断ができないだろう。中国共産党支配下の中国だからだ。なので、最終的にはいかなる調査結果が出ようと企業は中国から撤退してもらいたい。」と。
 
 しかし、なぜこれほどアメリカという国は目先の利益の為にやがては首を絞めるようなバカな真似をするのかとつくづく呆れ果ててしまいます。欧米流民主主義で次期選挙に勝つ為には何でも利用してしまう。結果的に、中国という世界の工場だった国が今や世界最大の巨大市場となり、制裁により国内市場を中国自身がどんどん開拓し、さらには海外ブランドも不要となって自分たちのブランド商品を次々に創り出していけば、これまでの欧米諸国の高級ブランドはたちまち急速な衰退を余儀なくされるのは必然で、既にSHEINなどネット通販だけの中国ブランドが世界中の若者に広まり、先進諸国の経済格差により更に広がっていっているというのに。最後に、ファフ紡績工場の社長がぜひまた来てくださいと挨拶され、必ずまた来ますねと握手をさせて頂きました。本当に頑張ってほしいです。
 地震の多いカシュガルなどの都市整備、砂漠緑化、延々と続く風力発電の風車にビックリ!

 第8日目、老城改造博物館を訪れ、カシュガルでは地震も多く、洪水が起きれば簡単に崩れ、また不衛生だった住環境を中国政府の支援で見違えるほどキレイな住環境と都市に生まれ変わっている姿を知り、いかに少数民族を大切にしているかを実感。新疆の西の果てでありパキスタンに近く、思わず遠くに来たもんだと思いつつ、一帯一路の拠点として産業も物流もどんどん発展し、喀什古城などの観光地には観光客が溢れ、人口も増加し、実に活気に満ちた都市の姿に正直驚かされました。私の嫁さんの弟が仕事で時々カシュガルに行っており、果物や食べ物が美味しくとても良いところだとは聞いてましたが納得です。

 新疆は石炭の産地でもあり、火力発電に頼って空気が悪いというのはもはや過去の話、第3日目にトルファンへ向かうバスの車窓から延々と30分以上続く、膨大な数の風力発電の風車に思わず驚愕してしまいました。ガイドのヌルさんの説明では確か1990年代にデンマークの技師が僅か数本から始めた風力発電が効率もよく、その後どんどん増えて今や中国では、水力発電に加えて風力や太陽光の導入がこの10年間で急速に進み、2022年には風力発電の年間発電電力量の割合が9.3%、太陽光発電が4.7%で原発と同レベルとなり、水力も含めた自然エネルギーの全発電電力量に対する割合は30.8%に達しているというのにはなるほどと改めて中国の脱炭素の取組みの本気度を目の当たりにしました。

 同時に忘れてはならないのが、第4日目の中国国内列車からの車窓から見る緑の景色です。今回は緑化に関する博物館などには立ち寄らなかったものの、天山山脈の南側で正にタクラマカン砂漠のエリアを走る外の景色が緑に溢れている姿にもよくもこんな砂漠地帯を緑化してきたものだと改めて驚きました。第1陣の参加者の方が緑化の話題を取り上げていたことを思い出し、今回のツアー参加者の井出先生から資料を教えてほしいとのことで私も改めて緑化に関する資料を調べて先生にお伝えさせて頂きました。NPO法人緑の地球ネットワークなど日本の方が中国黄土高原で緑化活動を続けておられることは、本当に素晴らしい日中交流だと心から尊敬し、微力ながら応援していきます。

反極端主義反対展覧センターと人民中国のインタビュー
第2日目、新疆反テロ反極端主義展覧センターを訪問。
 展示センターの方と旅行社の楊さんの通訳で受けた説明の概要は以下の通りでした。
 一つ目のエリアで新疆の歴史や地理の説明を受け、新疆は中国の西北端、中央アジアの中心部に位置し、面積168万㎡新疆は8か国と隣接し昔から中国の56民族中47民族が暮らす多民族のエリアであり古来から中国の中原地域と密接につながり、秦・漢が統一して以降、新疆は中国の一部として多民族多文化のエリアとして発展し、1884年清朝時代に今のウルムチに地方政府が置かれ、1956年に新中国で新疆ウイグル自治区が正式に今日に至っている。

 次のエリアでは新疆の多民族が共に暮らしている状況を古代の歴史的遺跡から説明を受け、各民族の文化の融合の姿を見ることが出来る。新疆文化が中国文化の一部として担ってきた。中国文化と西洋文化の融合地点として新疆はとても重要な位置にあり、例えば、絨毯などの織物や民族舞踊に見られる12民族の歴史物語、多民族が共に豊かな暮らしをしてきた具体的な生活の場面の解説を受け、昔から異なる多民族が互いを尊重しあってきた歴史を知ることができた。

 3つ目のエリアはテロ反対と極端主義を除去する展示コーナー。こうした多民族の共存共栄に対して、東トルキスタン武装勢力が独立と称してテロ事件を起こし始めた。一番際立ったのが、東トルキスタン人民革命党が新疆12の地域で22件のテロ、カシュガルで起きたテロ事件が起きて、テロ思想の拠点となった。1958年、これがその後のテロ思想を育ててきた。

 とくに、アメリカの9.11以降、エスカレートしていった。
 国内国外のテロ組織が結びついて動き、残酷な行為が次々と引き起こされた。
 1990~96年の間に新疆で起きたテロ事件では彼らと異なる宗教の信者をターゲットにして引き起こされた。
1993年8.24から96年、そして97年2.5、何百名のテロ集団が襲い、4名殺害、数百名負傷、車輌30台以上放火、 
98年1.15カシュガル毒薬散布事件、6名のテロリストが何百頭の家畜を殺し6名が殺害、 
98年5.23事件 3名のテロリストが自由市場や布問屋市場など85か所に放火し、うち1人死亡負傷者多数、
03年1.25事件のテロでは生まれて僅か数か月の赤ちゃんから11歳の子供11名が無差別テロの犠牲となった。
02年6月29日、キルギスタンで中国の外交官が殺害される、
2008年オリンピックの前にテロが頻繁に起こる。08年ウルムチ3.7事件、カシュガル8.4事件、クチャ8.10事件、同時多発テロが起きる。
08年8.4、(テロリストらが)1か月にわたりの武装警察の動向を綿密に探り、ハイジャックしたトラックが行列の武装警察に突進し、別の一人が爆弾を投げ、更にもう一人が2本の刀で無差別に切りつける事件が発生。
09年7.25ウルムチの犯罪現場ではオリンピック開会反対のテロリストが 何千人のテロリストが街の各所で同時に気が狂ったように通りかかった人、役所、武装警察、警官、住宅団地、商店街などパブリック的な場所で人を襲い、190人が死亡、1700人以上が負傷、331の店舗が放火され、1325台の車も火をつけられた。
2014年7.28莎车事件、テロリストが役所を襲った後、18kmの道路を封鎖し、車は全て放火され、37名死亡、13名負傷、31台の車が放火される。
2016年12.28事件が最後となった。

 中国政府とユネスコが協力し、テロ撲滅と極端主義を無くすための法整備として中華人民共和国テロ反対主義法、安全法、ウイグル自治区の法を整備し地域安定の基礎を固められた。新疆の人々がまとまって力を合わせ、多民族の人たちと生活をしている地域を守る、平和を守る、安定を守ることで今は幸せな生活ができている。 
以上が展示センターでの解説の概要です。

 ここでは新疆のみのテロ事件であり、他にも昆明や天安門でのテロ事件を私も記憶していますが壮行会で紹介させて頂いた「ウイグル フェイクニュースに終止符を打つ」の本の中にもこれほど中国国内でテロ事件が発生していることは書かれていませんでした。
 中国がテロとの闘いでどれほど長い時間と犠牲の中で努力し克服してきたのか、56民族14億人を抱え、5000年の歴史の中で培われた多民族が共存共栄していくための知恵と文化があり、血のにじむような努力ができる中国だからここまでできたのではないかと改めて思いました。イスラム原理主義によるテロがいかに恐ろしいか、2002年9月11日、国連によって「テロ組織」と認定され、中国政府はその後の2003年12月にTIPをETIM(東トルキスタンイスラム運動)としてテロ組織に指定(遅れたのは慎重に確たる証拠を求めていた為?)、EU、キルギス、カザフスタン、ロシア、アラブ首長国連邦、イギリス、アメリカ、パキスタンなどもテロ組織に指定していたほど。にもかかわらず、突如アメリカが2020年に指定解除の摩訶不思議。米国の対中戦略で既にETIMを利用していた経緯も今では明らか。日本は米国報道の垂れ流しであり、本来、海に囲まれてどこの国とも国境を持たない島国で多民族国家のことなど全く理解できないから簡単に右から左まで米国のプロパガンダに簡単に影響されてしまうのでしょう。

 翻って見れば、9.11以降の米国は反テロで何をやってきたか、今やだれもが知るプレイム事件を思い出さざるを得ません(これ以前にも米国の謀略や嘘による戦争はいくらでもありますが)。映画「フェアー・ゲーム―アメリカ国家に裏切られた元CIA女性スパイの告白」がその経緯を見事に描き出していますが、ブッシュ政権でありもしなかったイラクの大量殺戮兵器の件をCIA女性スパイは存在しなかったことを報告したにもかかわらず、その報告をもみ消し、大量殺戮兵器が存在していたこととしイラク戦争を始めてしまう、平気で他国を土足で踏み込み、一国の大統領さえ殺害してしまうのがアメリカ。2003年以来のイラク民間人死亡数は66万人以上を出し、その後も世界中でテロ対策としてリビア、ソマリア、ウガンダ、シリアなどの介入を行ってきました。アフガニスタンでソ連侵攻に対抗すべく育てたヴィンラビンがアメリカに牙をむき、そのヴィンラビンの居所が分かるや裁きを受けさせることなくオバマ大統領は側近と共にまるでテレビショーを鑑賞するような姿で殺害場面を眺めていたのを見て世界の人は一体本音ではどう思ったことでしょう。そんな米国の指導者の姿勢を人間として正常な神経を持っているなら誰がオバマ大統領ら米国の指導者をまともな人間だと思うのか私には不思議ではなりません。

 今回、私がズーっと熱心に展示センターの解説を録画していた為、今回のツアーに同行されていた人民中国の金記者からインタビューを受けるという有難い機会を得ることができました。そこでも私が伝えたかったことは「①新疆で起きた凄まじいテロの実態を知らずして新疆問題を語ってはならないし、真実をもっと日本人に知ってもらう必要があること。②そのテロとの闘いで中国は56民族14億人を抱え、昔から多民族国家として5000年の歴史を持ち、米国のような反対する者に対して戦争や暴力で抑え込むようなことをせず、多くの犠牲を払いながら地道な努力の中で克服してきたこと。③今や以前の新疆の様に多民族が仲良く平和で安定した生活を送り、正に人類運命共同体の一帯一路の拠点としてどんどん発展し豊かになっている現在の新疆をもっと知ってもらうこと。」ですが、突然のインタビューに緊張して①と②だけしかお話しできなかったのが残念。

新疆は古代から中国の重要な一部、将軍のミイラと烽火台、繊泰大厦ウイグル経済開発区
 第2日目には米蘭の美女のミイラで有名な新疆ウイグル自治区博物館を見学し、30年前に行ったエジプト以来のミイラに感動。新疆地区の古代の生活の状況がこれほど具体的に分かっていることにやはり考古学者の業績は凄いと思いつつ、私としては美女と同時に、唐の時代に新疆を守っていた将軍のミイラを見て、将軍と雖も大変だったんだとしみじみ感じました。5日目に訪れたクズルガハ烽火台はその延長が万里の長城で、紀元前60年頃漢の時代に作られ、既に漢の時代には新疆は中国の一部だったということを改めて実感。その新疆が2日目に見学した繊泰大厦ウイグル経済開発区展示センターの通り、今やどんどん緑化が進み、交通インフラも整い、一帯一路の拠点として目覚ましい発展をとげていることも目の当たりにしました。

結論:新疆は昔から中国の一部であり多民族が融合し暮らしていたところに東トルキスタンのイスラム原理主義者によるテロで大変な時期を経験克服し、今や人類運命共同体の一帯一路の拠点としてどんどん発展し豊かな暮らしを享受している姿をもっと知らせていく必要性を痛感しました。

次に2つ目の目標です。
 まだ小学生低学年だったころに東映マンガ祭りで見た西遊記と高校生の時に見たNHKのシルクロード、いつかは行ってみたいと思っていた新疆に来られたこと、これは本当に感動モノでした。三蔵法師が訪れた火焔山、高昌古城、そしてベゼクリク千仏洞や交河古城、キジル千仏洞など映像で見たものを実際にこの目で見て肌で感じられたことは一生の思い出になりました。

 ブドウ棚の下で新疆のフルーツを食べながら羊肉料理などを楽しむ、これも憧れていた光景でした。このことを嫁さんに話したところ、今は青島でもブドウ棚の下で新疆フルーツと新疆料理を食べることができるレストランがあるよと言われ、なるほど今や広大な中国でも高速や高鉄など物流インフラが整備されているんだと納得。青島でも新疆料理を食べに行きたいですね。

 また、今回の初挑戦は富士山よりも高いところに行ったこと、標高3,600mのカラクリ湖はとても美しい湖と遠方に広がる雪をかぶった山々の景色には感激しました。こんな高い場所にも凄い数の観光客が訪れていたのも驚きでした。ここで私はやっては駄目だと言われていたことをやむを得ずやってしまいました。ツアー参加者の野田さんがご高齢にもかかわらず、トイレに急がれ、どんどん誤った道を早歩きで進まれているのを見て、私は走って追いかけてしまい、無事に追いついたものの走った後の数分間は眩暈と息切れを経験。やはり、標高の高いところでは走っては駄目だとよく分かりました(汗)。

 残念だったのはカシュガルのテーマパーク?のような喀什古城のオープニングパレードが凄い数の人で全く見れなかったこと、ラクダに乗れなかったこと、新疆は本当に広く、北疆方面などまだまだ行けていない所が多いので、機会があればまた行ってみたいものです。

目標の4つ目はツアー参加者の方々と交流を深め、今後の日中交流に役立てることですが、
 壮行会で話す機会も頂いたおかげで、その時に紹介させて頂いた本についてツアー参加者の方からたくさん聞かれました。また、ある方は早速アマゾンのkindleで本をダウンロードして読まれ、米国によるフェイクの実態に驚いておられました。参加者一人一人が実にユニークな方が多く、

 中国大好きという多くの友人を作れたことは本当に良かったです。また、大学生の当時、意見対立で離ればなれになっていた井出先生と坂本さんがこのツアーで56年ぶりに再会したというのも感動的な話がありました。残念ながら56年後も意見は対立したままの様でした(汗)。その後も、マルクス経済学や社会主義について激論を交わされ、少しばかり大変でした(汗)。その井出先生も熱心に私のお貸ししたウイグルの本を旅行中に読まれ、その後、井出先生には新疆ツアー第1陣の方が教えてくれた中国の緑化に関する情報を提供させて頂きました。

 いつもは議論好きな井出先生の別の一面を8日目の晩、目撃。ウルムチでツアー最後の夕食ではウイグルの方の結婚披露宴と遭遇し、子供たちもたくさん来ていてとても賑やかでしたが、食事を終え、レストランの外へ出ると井出先生がウイグルの子供たちと笑顔で楽しそうに会話をしていました。まるでご自身のお孫さんと過ごしているようで何とも言えない気持ちになり、私も一緒に会話に参加。するとウイグルの子供たちは中国語で「あなたたちは日本人なの?」「そうだよ。」と答えると「初めて日本人に会った!」と大はしゃぎし、嬉しいことに近くにいた私たちツアー参加者一人一人にアメを一個ずつくれたのです。これには感激、本当に素敵な思い出になりました。

 また、今回の新疆ツアーで知ったことや思い出をより多くの人に知ってもらおうと11月26日に伊関さんが報告会を主催、一緒に参加し報告させていただくことも決まりました。貫井さん、木下さん、アラファトさん、坪井さん、高桑さんも参加する予定です。

 今回は新疆についてのフェイクの実態、そして風光明媚な新疆、一帯一路の拠点として発展している新疆を知ることができとても貴重なツアーに参加できて本当に良かったと思います。もっともっと多くの人にこの新疆ツアーにぜひとも参加してほしいものです。

 また、日本のメディアや米国が流すフェイクの実態を知ることと同時に、今後、日本が絶対に忘れてはならないこと、しっかりと向き合うべき過去の戦争犯罪の歴史と中国政府が考えられないほど日本に対して寛容な対応をして頂いた歴史を日本人の人たちにもっと知ってもらえる機会を作っていく必要性も痛感しました。

 長くなりましたが、今回の新疆ツアー第2陣に参加させて頂いた私の感想は以上です。
 今回、このような機会を与えて頂いたことに心から感謝すると同時に、中日友好発展の礎になっていきたいと改めて決意いたしました。本当にありがとうございました。

              「中日友好 敬邻永安」 
                   2023年9月28日

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日中平和友好条約締結45周年記念大阪集会盛会のうちに開催された!

日中平和友好条約締結45周年記念大阪集会盛会のうちに開催された!

 11/26(日)、大阪市立阿倍野市民学習センター講堂にて、参加者約130名(東京池袋会場含)で、日中平和友好条約締結45周年記念大阪集会が盛会のうちに開催された。

 東京から、村山談話を継承し発展させる会理事で、中国略奪文化財返還運動でもお世話になっている、小川利靖さんが駆けつけてくださった。また、松原市日中友好協会会長の牛浜龍男さん、朝鮮総連大阪府本部副委員長の崔権一(チェ・クォニル)さんのご参加を頂いた。

 「民間の力が、日中友好の未来をひらく」「日中友好こそ、日本の最高の安全保障」の標題が掲げられた会場では、講演、ビデオ上映、新彊ツアー第2陣報告会、ウイグル舞踊のパフォーマンスが繰り広げられた。

 いずれも貴重な豊富な内容だった。詳しくは、まもなく全編YouTubeに記録動画としてアップします。是非ご覧ください。また、詳細を資料として、ネット上に掲載する予定です。


梶本徳彦さん(NPO法人大阪府日中友好協会会長)

 最初に、梶本徳彦さん(NPO法人大阪府日中友好協会会長)が講演をされた。(米中対立を念頭に)アメリカは、太平洋を隔てた彼方にある国だが、日本は中国の一衣帯水の隣国である。当然取りうる立場に違いがある。(外交ルートを通じ、アメリカに)理解して貰う必要がある。「民間の力が、日中友好の未来をひらく」「日中友好こそ、日本の最高の安全保障」まさにその通りだと述べられた。


泉川友樹さん(日本国際貿易促進協会業務部長)

 続いて、泉川友樹さん(日本国際貿易促進協会業務部長)のインタビュー動画が上映された。「万国津梁(ばんこくしんりょう)」(あらゆる国との架け橋・沖縄の伝統的平和外交)を中心に日中関係について話された。日中国交正常化から日中貿易額は300倍なるなど日本にとって中国は無くてはならない国となった。しかし、対米関係から「尖閣問題」「台湾問題」の虚構が誇張され、「安保三文書改定」、沖縄、石垣島、宮古島、与那国島への自衛隊・ミサイル配備と憂慮すべき事態となった。「沖縄を再び戦場にしないよう日本政府に対し対話と外交による平和構築の積極的な取り組みを求める意見書」沖縄県議会決議実現の取り組みなどを紹介された。大阪でもこの沖縄県議会の意見書支持の意見書決議を求める陳情活動を呼びかけられた。この他、玉城デニー知事の訪中や、沖縄県庁に「地域外交室」が作られたこと、来年の「日中韓サミット」の沖縄開催を呼びかけられた。このほかのテーマについても詳しく述べられた。詳細は集会記録動画やネット上公開資料(予定)をご確認ください。


山橋宏和さん(大阪城狛犬会共同代表)

山橋宏和さん(大阪城狛犬会共同代表)は、
① 「民間の力が、日中友好の未来をひらく」ということ、
② 日中友好運動は同時に、日本の自主独立の運動と表裏一体の運動だったということ、
③ 日中友好運動は単に日本と中国の二国間の問題にとどまらず、アジアと世界の平和にとって、重要な一部分で「日中友好は最高の安全保障」だということ、
の3点を、15分で簡潔に述べた。
(末尾にスピーチ掲載)(併せて集会記録動画、掲載予定資料ご参考)

 講演のあと、第2部では“新彊ツアー第2陣”報告を中心に進行した。


挨拶にたつ中国駐大阪総領事館の方煒副総領事と通訳する範夢婕さん

 中国駐大阪総領事館より方煒副総領事と聶瑞麟参事官が、アシスタント役の範夢婕さんと趙敏さんと共に第2部の“新彊ツアー第2陣”報告より参加された。冒頭、方煒副総領事が薛剣総領事の挨拶を代読され、範夢婕さんが通訳された。


アラファトさん(関西新彊同郷会長)

 更に、アラファトさん(関西新彊同郷会長)から日中の友好交流を訴えるスピーチがあった。アラファトさんも私(伊関)と同じく新彊ツアー第2陣の参加者。ツアーでアラファトさんから新彊ウイグル自治区人民対外友好協会と大阪府日中友好協会との友好交流ができないものかと、相談を受けた。言外にその願いが感じられるスピーチだった。

 続いて、新彊ツアー第2陣参加者から5名の方々がそれぞれ新彊ツアーの報告が映像を交えながら行われた。「日本のメディアが伝えるような、新疆での人権侵害など、どこにも見られなかった。」など、それぞれ中身の濃い報告だった。これも、後日、詳細を公開したいと思います。


新彊ツアー第2陣 作文・写真コンテスト入選者表彰式

 新彊ツアー第2陣報告者5名を含みツアー参加者7名が、作文・写真コンテスト入選者として表彰された。


シルクロードローラン歌舞団によるウイグル舞踊のパフォーマンス


フィナーレの様子


《山橋宏和さん(大阪城狛犬会共同代表)のスピーチ》

 私が今日お話したいことは3つです。まずこの3点の概要を申し上げます。

 1つ目は、この集会のテーマでもありますが、「民間の力が、日中友好の未来をひらく」ということについてです。1949年10月1日、中華人民共和国が建国されて日本と新中国との間で始まった日中友好運動は、当初から民間の力によって進められてきました。新中国が建国されるや、当時日本を占領していたアメリカは直ぐに「対共産圏輸出統制委員会(ココム)」を設立し、日本と中国の友好交流は厳しく統制されたからです。
 2つ目は、日中友好運動は同時に、日本の自主独立の運動と表裏一体の運動だったということです。今もそうだと思います。日中友好運動を発展させることによってしか日本は自主独立を達成することはできないし、自主独立の日本を建設することによってしか日中友好を前進させることはできません。
 3つ目は、日中友好運動は単に日本と中国の二国間の問題にとどまらず、アジアと世界の平和にとって、重要な一部分だということです。この集会のテーマでもあります「日中友好は最高の安全保障」についてです。

 まず、1つ目の問題、「民間の力が、日中友好の未来をひらく」についてですが、これは一つには、今の日本政府には頼れないということがあります。日中友好どころか、南西諸島にミサイルを配備し、自衛隊基地の強靭化など、全国で戦争準備を進めています。これに対して、やはり民間の日中友好、さらにはアジアとの友好を進めることで、こうした動きを抑え込んでいかなければならないと思います。少し歴史を振り返ってみましょう。
 1949年10月1日に中華人民共和国が建国されました。同じ年の5月、日中貿易促進会と日中貿易促進議員連盟という二つの団体が結成されます。まだ中華人民共和国が建国されてもいないのに、日本の政財界はこうした組織を結成して、日中友好往来が始まるのを熱望していました。1949年に新中国が建国されると、アメリカはただちに「ココム」(対共産圏輸出統制委員会)を結成し、日本はアメリカが主導する「中国包囲網」の中に組み入れられました。
 1950年に始まる朝鮮戦争では日本は米軍の前線基地になります。国内では「共産主義の脅威」が喧伝され、レッドパージが始まり、「共産党員とその支持者」の公職追放ということが行われました。
 こうした風圧の中で、日中友好協会が誕生します。1949年10月10日に準備会が発足し、1年後の9月30日と10月1日の二日間、第一回全国大会が開かれます。
 この準備期間の間の1950年6月に朝鮮戦争が始まります。アメリカは日本を兵站基地として朝鮮侵略戦争を開始しました。そして協会が発足して一月半後の11月15日、「人民日報」配布弾圧事件が起きます。日中友好協会大阪支部の事務局を米軍が命じた大阪市警が襲撃し、「人民日報」や「世界知識」など多数を押収し、事務局長以下3人を逮捕。裁判で証言した中央本部の小沢事務局長はその場で逮捕され、中央本部を家宅捜査した際は資料部長の赤津氏を逮捕しました。逮捕された5人は米軍占領が終了するまで拘禁されました。
 当時日本では、どういう宣伝がなされていたか?「中国では多くの人々が国民党のスパイの疑いで逮捕され銃殺されている。人々は「アメリカの声」のラジオ放送を聞きたがっている。」(11月16日朝日新聞一面トップ)「中国に抑留されている多数の日本人が苦しんでおり、特に婦女子は悲惨な生活を強いられている」(11月19日朝日新聞)などと言うデタラメな報道がされていました。で、こういうことは「人民日報」や中国の色々な文献を読めばデタラメだということはすぐにわかりますから、アメリカにとっては中国の真実の姿を知らせる日中友好協会の活動が極めて脅威だったと思います。
 このように、中華人民共和国が建国されて始まった日中友好運動は、その始まりの最初から、アメリカに従属するのか?それとも自主独立の日本を建設するのか?その闘い抜きにはありえませんでした。日中友好運動は日本の自主独立の闘いと一体のものでした。

 これは、2番目の、日中友好運動は同時に、日本の自主独立の運動と表裏一体の運動だったというテーマにつながります。
 日本国民の大多数は日中友好を願っていたにもかかわらず、アメリカの言いなりの吉田政権は中国への渡航さえも認めませんでした。
この吉田内閣に大蔵大臣として入閣した石橋湛山という方がいます。かれは当時政府がGHQに支払っていた経費が国家予算の3分の1に達していたため、GHQに対して日本政府の負担を軽減するように要求しました。アメリカは国際的な信用を気にしてこれに応じ、2割削減することになりましたが、石橋湛山に対しては公職追放し、彼は国会議員の職を失うことになります。これは吉田茂が画策したと言われ、石橋は追放解除後に鳩山内閣で通商産業大臣に就任しました。1955年に商工委員会委員長だった田中角栄とともに独占禁止法の制定を行ったり、日中輸出入組合の結成を支援したりしました。
 鳩山一郎首相は日ソ共同宣言を発してソ連との国交を回復しました。その後総理大臣になった石橋湛山は、自分が総理大臣になったら日中国交回復をやると明言していました。しかし彼は病気のためにわずか2か月で総理大臣の職を辞任しました。病気が快復したあとは1959年、中華人民共和国を訪問し、周恩来総理と会談し、冷戦構造を打ち破り、日本がその懸け橋となる日中米ソ平和同盟を主張したといいます。この時に共同声明を出しまして「日本と中国は両国民が手を携えて極東と世界の平和に貢献すべきである」と述べています。
この声明が後に日中共同声明に繋がったともいわれています。
 この鳩山内閣の日ソ国交回復、つづく石橋内閣の日中国交回復への動き、これは他でもない、日本国内にそれを心から求める声があふれていたからだと思うんです。
 1954年、李徳全女史を団長とする中国紅十字代表団が日本を訪問し、撫順戦犯管理所に抑留されている約1000名の戦犯について、いずれ釈放する方針であることと、その戦犯名簿を発表しました。日本の家族は、歓喜しました。その時、京都から大阪へ向かう50キロの沿道には代表団を歓迎しようと集まった人々が途切れることなく続いたということです。
 この訪日は前年に日中友好協会が提案したものです。中国紅十字会が残留日本人の帰還事業に非常に親切に協力してくれたことへの感謝の気持ちを表すため、中国紅十字会を日本へ招待しようというものです。全国で署名運動が開始され、全国の地方議会で政府に招待を要請する決議がぞくぞくと採択されました。そして5月27日、中国紅十字会代表団の招請決議が、衆議院で満場一致で採択されたのです。 
 1950年代、石橋政権と言う、日中国交回復をやろうとした政権が存在していたこと、そしてその政権を生み出したのは民間の力だったということは忘れてはならない重要事項と思います。

 三つ目は、日中友好は日本と中国の二国間の問題にとどまらず、アジアと世界の平和にとって、重要な一部分だということです。中国は今、一帯一路という世界規模の経済圏構想を進めています。一帯一路というのは、中国が建国された当初からの、中国の外交路線の継承発展だと思います。
 1955年にインドネシアのバンドンで第一回アジアアフリカ会議というのが開かれました。戦後独立した29か国が集まって、東西冷戦ではない、新しい世界秩序を提唱しました。この時提唱されたのが平和10原則です。これは前年、中国の周恩来総理とインドのネルー首脳の首脳会談で提唱された平和5原則が下敷きになっています。一帯一路というのは、こうした平和5原則を保障する物質的な基礎を構築しようと提唱するものです。先日、羽場久美子さんが中国へ行って一帯一路の国際会議に参加されましたが、そこでこう言われたそうです。「一帯一路、そこで建設されるアジアと欧州を結ぶ鉄道網や高速道路網、これは万里の長城のように、たとえ今の中国が滅んだとしても、ずっと後の世代に残るものだ」ということです。これは、発展途上国への経済援助と言う規模ではなく、国境を越え、大陸を越え、全世界の共通のインフラ、全世界共通の財産を建設しようと言う提案です。これこそが、世界平和の物質的基礎になるものだと思います。日中友好は世界平和への第一歩だということをみなさんと共に確認出来たら幸せです。以上です。


(報告:伊関)





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