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大阪城のこま犬の正しい由来と日中不再戦の決意が明記された説明板設置を求める陳情書及び要望書を提出。

大阪城のこま犬の正しい由来と日中不再戦の決意が明記された説明板設置を求める陳情書及び要望書を提出。

 5/22(木)、大阪城狛犬(こまいぬ)会は、「大阪城のこま犬の正しい由来と日中不再戦の決意が明記された説明板設置を求める陳情書」を大阪市会議長に、同要望書を橋下徹大阪市長と大森不二雄教育委員長にそれぞれ提出した。

 

 提出した陳情書、要望書の本文。

 大阪城の北西、西の丸北門前に中国侵略戦争のさなか旧日本軍(以下日本軍と記す)によって中国天津市市役所前から略奪されてきた一対のこま犬があります。1937年(昭和12年)7月7日「盧溝橋事件」直後、7月29日~30日日本軍は天津を爆撃、進攻、占領し、その後こま犬略奪に及びました。    
 こま犬は1938年(昭和13年)「凱旋記念の戦利品」として侵略の武勲を自慢し西宮球場で開催された「支那事変聖戦博覧会」に出展されたのです。こま犬略奪の契機となった天津占領後、国際連盟の非難決議にもかかわらず日本軍は中国各地を空爆、進攻、占領を繰り広げついに同じ年の12月13日南京大虐殺を引き起こしたのです。まさに、大阪城のこま犬は、日本帝国主義者の血ぬられた手で略奪され、日本軍国主義の戦意高揚に利用された略奪文化財だったのです。その後大阪城に運ばれ天守閣うら山里丸姫門の石垣の上に置かれたままになっていました。

 1983~84年、私たち市民は「こま犬返還と軍国主義・侵略戦争への戒め平和のシンボルとしての複製こま犬建立」をもとめ《こま犬運動》に声をあげました。《こま犬運動》は15,000筆の署名を集め大きく盛り上がりました。その声におされ大阪市が中国にこま犬返還を申し出たところ、中国は「返還の申し出は、日本国民の友誼の気持ちのあらわれだ。」として、1984年11月こま犬を改めて「友好の証」として大阪市に寄贈してくれたのです。

 1984年当時、こま犬の由来については詳しくわかりませんでした。そのため大阪市のこま犬説明板には「日中戦争の最中に日本に運ばれ…」とあるだけです。しかし、その後の調査研究で上述したこま犬の詳しい由来が明らかとなりました。

      こま犬説明板(現況)写真

 こま犬の由来が明らかとなった以上現状のこま犬説明板では不十分の誹りを免れません。日本が侵略の歴史を認め真摯に反省と謝罪をし二度と侵略戦争の誤りを繰り返さないことを誓わない限り、中国をはじめアジアの国々と信頼関係は築けません。説明板にはこま犬略奪の歴史的真実、「略奪文化財」を「友好の証」に改めて寄贈してくれた中国の厚意、侵略戦争への真摯な反省と謝罪、再び侵略戦争の誤りは許さないという日中不再戦の決意の言葉は不可欠です。

 こうした大阪城のこま犬の正しい由来と日中不再戦の決意が明記された説明板を設置し、中国をはじめ発展著しいアジアの国々との信頼関係を回復しアジアへの玄関口商都大阪市の発展と日本の未来を切り開くべきです。
 しかも、大阪城のこま犬は「歴史街道シンボルマークステッカー」貼付対象文化財でもあります。伊勢、飛鳥、奈良、京都、大阪(歴史街道:商人文化の中心地)、神戸(歴史街道:国際交流を象徴する都市)と古代から近代に至る歴史街道における代表的な文化財のひとつとして、大阪城のこま犬は日本の文化と日本人の心を伝える象徴的存在となっています。こま犬の由来が明らかとなった今、こま犬略奪の歴史的真実に目をつぶり、軍国主義・侵略戦争への謝罪も反省もせず、日中不再戦の決意表明をしないことが果たして日本の文化、日本人の心、歴史的商人文化の中心地大阪市が取るべき態度と言えるでしょうか。  
 こま犬が略奪された天津市は神戸市と友好都市です。こま犬略奪の契機となった天津攻略のわずか2週間後日本軍は上海市を空爆、進攻します(第2次上海事変)。上海市は大阪市と友好都市です。日本軍国主義による中国侵略戦争は日中両国民にとっての不幸でした。この不幸な歴史を繰り返さないことが日中両国、大阪上海両市の相互発展の大前提です。
 1984年こま犬寄贈にあたり、中華人民共和国駐日特命全権大使宋之光氏直筆の「中日友好萬古長青(日中友好は古来から未来永劫続く) 寄贈大阪市 中華人民共和国大使館」の石碑が贈られました。これに応え、歴史を鑑とし、こま犬の正しい由来を明記した説明板を設置し、こま犬を軍国主義・侵略戦争への戒め、未来に向けた平和友好のシンボルとして平和な未来を築くことこそ日本の文化、日本人の心であり、歴史的な商人文化の中心地・商都大阪市、ひいては日本の発展を保障する道だと言えるでしょう。

 以上の趣旨のもと以下のことを大阪城のこま犬説明板に明記することを要望します。

1、こま犬は、1937年(昭和12年)7月29日~30日、中国天津市を攻略した旧日本軍により「凱旋記念の戦利品」として天津市役所前から略奪され、翌1938年(昭和13年)西宮球場で開催された「支那事変聖戦博覧会」に出展され戦意高揚に利用された歴史的事実。
2、こま犬を改めて「友好の証」として大阪市に寄贈した中国の厚意。
3、こま犬を「平和友好」のシンボルとして末永く大切にすべき旨の呼び掛けの言葉。
4、こま犬略奪を惹起した日本軍国主義による中国侵略戦争への反省と謝罪の言葉。
5、日本軍国主義復活を許さず、再び侵略戦争の誤りを犯さない日中不再戦の決意の言葉。

上記要望に対する回答期限を2014年6月30日(月)までと致します。併せて説明板書き直しに向けた文言のすり合わせ等具体的な協議に応じること要望します。

以上
コメント ( 1 ) | Trackback ( 0 )
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コメント
 
 
 
Unknown (Unknown)
2017-01-30 01:15:21
伊関よ、もはや「人民」の名は使えまい。
 
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