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7・7盧溝橋事件77周年 大阪城のこま犬に不戦の誓いをたてる集い 大阪城の狛犬をアジア友好のシンボルに!

7・7盧溝橋事件77周年
大阪城のこま犬に不戦の誓いをたてる集い
大阪城の狛犬をアジア友好のシンボルに!


日時:2014年7月5日(土)午後1時30分
場所:大阪城のこま犬前(大阪城西の丸北門外)
   (地下鉄・京阪「天満橋駅」下車徒歩10分 )
連絡先:大阪市西成区天下茶屋2-9-16  
tel/fax 06-6653-8283
    伊関(090-4640-7638) 山橋(080-6175-7067)
内容:松岡環さん(銘心会南京)講話
    有元幹明さん(元ピースおおさか事務局長)アピール他
ミニフィールドワーク
7/5午後12時30分 IR環状線京橋駅南口集合
京橋駅南口からこま犬まで、大阪城に残る戦跡を巡り、「大阪城のこま犬に不戦の誓いをたてる集い」に参加します。


 大阪城に、白玉石で作られた真っ白な狛犬があるのを知っていますか?
 大阪城西ノ丸北門の前に設置されています。
 一見して、日本の他の神社にある狛犬とはちょっと風情がちがうな、という印象を持つと思います。
 この狛犬は、1937年(昭和12年)7月7日、日本軍が中国へ全面的な侵略戦争を開始した盧(ろ)溝(こう)橋(きょう)事件のすぐあとの7月29、30日、天津市を爆撃した時、天津市政府庁舎前にあった狛犬が爆風で台座から転げ落ちていたものを、「戦利品」として略奪してきたものです。日本軍は同年の12月には南京に侵攻し、大虐殺という蛮行をはたらきました。

 この狛犬は翌1938年(昭和13年)4月、西宮球場で行われた「支那事変聖戦博覧会」(朝日新聞主催)に「凱旋記念の戦利品」として出展されました。この会場の入り口に通じる道路には南京市政府楼門が本物そっくりに再現され、そこに現地から略奪してきた「南京市政府」の看板が掲げられたそうです。
 その後、狛犬はアジアで最大規模の兵器製造工場、大阪砲兵工廠があった大阪城に移されました。
 1983年、大阪城築城400年祭りのとき、当時天守閣の裏にあった狛犬の由来を調べたところ、中国から略奪されてきたらしいということがわかりました。平和を願う大阪市民が立ち上がり、「略奪してきた狛犬は中国へ返還しよう」「侵略戦争への戒め、平和のシンボルとして狛犬の複製品を作ろう」という「狛犬運動」がはじまりました。一年足らずで1万5千筆の署名が集まり、この声におされて大阪市は中国に狛犬の返還を申し出ました。すると中国から「返還の申し出は日本の人々の友誼の気持ちのあらわれだ」として「友好の証」として改めて寄贈されたのです。
しかし、この狛犬の説明板には「中国から運んでこられた」とあるだけで、略奪されてきた経緯、侵略戦争への反省などがありません。

 2014年5月22日、こうした言葉を入れて説明板を書きかえるよう、大阪市長や大阪市議会に陳情、要望しました。

 大阪城といえば言うまでもなく、大阪のシンボルです。海外から訪れる人はたいてい立ち寄る場所です。そこに、中国から貴重な文化財を略奪してきておいて、何の反省の言葉もない、略奪してきた事実すら隠しているというのは、日本人としてとても恥ずかしいことです。大阪市を泥棒都市にしてはなりません。

 2014年7月5日、この大阪城のこま犬の前で「7・7盧溝橋事件77周年 大阪城のこま犬に不戦の誓いをたてる集い」を行います。日本軍の犠牲となられた中国、アジアの人々に対し、心から哀悼の意を表します。ここから安倍によって引き裂かれたアジア人同士の友好の絆を打ち固めたいと思います。趣旨に賛同される皆さんの参加を歓迎します。                 
大阪城狛犬会
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