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日中国交正常化50周年記念・中国文化財返還運動大阪集会

◆◆ お知らせ ◆◆

日中国交正常化50周年記念・
     中国文化財返還運動大阪集会



田中角栄首相と周恩来首相が北京で日中共同声明に署名


日中不再戦の決意新たに 
日中友好こそ日本にとって最高の安全保障
民間の草の根の力で、中国略奪文化財返還を通じ、信頼醸成に努め、侵略戦争の誤りを再び許さず、
日中友好を基礎に平和を守りましょう。


日 時:9月24日(土)午後1時~
場 所:難波市民学習センター 講堂
   (【地下鉄】【JR】他各線「難波駅」スグ、
   「JR難波・OCAT4階」)
講 演:「日中国交正常化50周年に思う。」
             浅井基文さん
報 告:「中国文化財返還運動とは」
             大阪城狛犬会
資料代:1,000円
主 催:日中国交正常化50周年記念・
    中国文化財返還運動大阪集会実行委員会
   「アジアから問われる日本の戦争」展2022アフター企画
お問合せ:090-4640-7638(伊関)



略奪文化財だった靖国神社の狛犬
  


戦利品として献上された皇居の「鴻臚井の碑」

略奪文化財から、侵略戦争の戒め・友好の証へ
大阪城のこま犬の正しい由来の銘記を!


 大阪城のこま犬は中国侵略戦争の略奪文化財だった。
 大阪城のこま犬は、1984年こま犬返還に声をあげた日本の市民の声にこたえ、改めて「友好の証」として中国から大阪市に寄贈されたものだ。ところが、大阪市が設置したこま犬の説明板にはこうした歴史的経緯が書かれていない。そこで、大阪城狛犬会では、2014年、当時の橋下徹市長及び市会議長に「こま犬の正しい由来と日中不再戦の決意が明記された説明板設置を求める陳情書及び要望書」を提出した。しかし、大阪市はこの要望を理由もなく拒絶した。
 また、2015年には、大阪城にある「ピースおおさか」から南京大虐殺や日本軍慰安婦に関する展示を撤去した。
 歴史隠蔽を許さず、こま犬が語る軍国主義・侵略戦争の惨禍を後世に伝え、再び軍国主義・侵略戦争の誤りを許さないための戒めとして、平和な未来を築くため、「こま犬の正しい由来が明記された説明板」設置が不可欠だ。


大阪城のこま犬

中国は本当に「敵」なのか?!
喧伝される「中国脅威・敵視論」「排外主義」「台湾有事」の虚構


 今、「反中嫌中」が90%を超える世論に、「リベラル」や「革新」までもが同調し、ますます「翼賛化」する社会状況は、こま犬略奪や南京大虐殺の1937年当時を彷彿とさせるものがある。「中国脅威・敵視論」「排外主義」「台湾有事」を口実に、中国との戦争を準備する辺野古、琉球弧の軍事要塞化が進められ、「憲法改悪」が政治日程にのぼる可能性が取りざたされる事態となった。85年前、市民がこぞって提灯行列に繰り出し、南京大虐殺を銃後から応援した痛恨の歴史を繰り返してはならない。

痛恨の歴史を繰り返さないために

 中国略奪文化財は、侵略戦争の過ちを繰り返さないための戒めであり、日中不再戦が日中友好の原点であることを象徴的に物語る。今、中国文化財返還運動に声をあげることは、平和憲法を守り、日中不再戦を訴え、戦争ではなく日中友好を基礎とした外交で日中関係改善に道を開く一助となるだろう。折しも今年は、日中国交正常化50周年の節目の年に当たる。日中共同声明や日中平和友好条約など4つの政治文書で確認された日中友好の基本精神を再確認し、日中友好こそ日本にとって最高の安全保障であることにおもいをいたし、中国文化財返還運動大阪集会を開催したい。

プロフィール
浅井基文さん
元外交官、東大、日大、明治学院大、広島大広島平和研究所所長等、教授歴任。

大阪城狛犬会
大阪城のこま犬返還運動(1983年)をルーツとし、現在、大阪市に対し「こま犬の正しい由来と日中不再戦の決意が明記された説明板設置」を求め、「大阪城を平和公園にしよう」と訴え活動中。
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岸信介さん安倍晋三さん お悔やみ申し上げます でも国葬には反対です

== 古賀さんからの投稿 ==
岸信介さん安倍晋三さん お悔やみ申し上げます
でも国葬には反対です



東京裁判で東條英樹氏は絞首刑、岸さんは不起訴

 私の名前は※※豊子と申します。1938 年頃、※※益一さんと結婚し、西宮市に暮らしていました。益一さんは神戸電鉄の車掌。悪くないお仕事だったのですが、満蒙開拓団募集があり、支度金とお手当て合計が通算で当時の千円くらいいただけるとの触れ込みでした。現代とは数千倍くらいの貨幣価値の差があるので、最低でも数百万円くらいでしょう。 その上、中国の広大な土地も手に入ると言うのですからお国のためにもなるし、喜び勇んで旅立ちました。東条内閣の岸信介商工大臣(偽満州国総務次官)も推奨していたし・・・戦後 2 年しか生きれなかったのでお孫の安倍晋三さんのお顔はもちろん知りません。

関釜連絡船 南満州鉄道を経て 牡丹江へ
 
 列車で下関まで、連絡船で釜山、南満州鉄道でソウル・義州を経て瀋陽・ハルピンを経てソ連国境に近い牡丹江に着きました。何週間かかりましたか、森繫久彌さんのお歌のように「ここはお国を何百里、離れて遠き満州へ♪」着いたのです。益一さんは食糧分配のお仕事を割り当てられました。中国人から取り上げた広大な農地から膨大に取れる作物を日本人に配給する楽な仕事(益一さん談) もちろん偽満州国皇帝溥儀の婉容王妃も吸って中毒死したアヘンで岸さんたちが日本軍の元で大儲けしていることなど知る由もありませんでした。狭苦しい日本と違い王道楽土の暮らしで、大きな気持ちで子どもでもと思っていたら 5 年後に暗転。ドイツとの戦争に勝利したソ連軍が米英との約束にもとづいて日本との戦争に向き始めたのです。朝鮮・中国の解放のために関東軍の武装解除が必要だったのですね。益一さんは 30 歳のロートル兵として緊急招集。それがまさか死に別れになるとは!?

助けに来てくれなかった日本政府

 1945 年 8 月、ソ連軍が進駐して来ましたが中国軍にすぐ置き換わり、撤退していきました。益一さんはカチューシャ連射砲や重戦車の猛攻で身体が飛散して亡くなっていないか心配でしたがどうしようもありません。牡丹江の日本人村にはたくさんの高齢者・女性・子どもが残っていましたが今までの農地は中国人の所有に戻り、備蓄食料も尽き、餓死者も続出。中国政府は国土再建に必死の上、内戦が始まりました。東北部は八路軍が強かったので規律も厳しく、日本人村を襲うのは厳禁だったので少し助かりました。まあ、お国の方針で 30 万人以上がこの地に来たのだから何とか食いつなげば政府が助けの手を差し伸べて下さると言う人もいて、2 年間待ちましたが、それは一切なかったのです。村は飢えや寒さや病気で亡くなる人が続出。満州の事を熟知している岸信介さんはその頃、戦犯裁判を逃れる工作で必死だったのでしょう。そして体力が限界に来ていた私も病気にかかりそのまま、中国の大地に倒れました。敗戦後 2 年以上後ですが、こんな例は多数でした。



子々孫々の友好

 益一さんの消息を初めて聞いたのは、日中友好訪問団で牡丹江に半世紀後来てくれた、後妻様の子息「※※滋」さんからです。松花江という美しい川に亡くなる前の益一さんのお元気な写真を持参され、「あれからシベリアに 5 年近く抑留されたものの舞鶴港から帰国出来て、息子一人娘一人、孫にも恵まれ、倒れる前日まで元気に一生を送りました。私の母も、孫の姿に目を細めながら元気なままで亡くなりました。来るのが遅くなって義母上、すみません。こんな悲劇が二度と起こらないよう子々孫々日中友好に努めます」と報告くださいました。年は取っても懐かしい写真のお顔、うれしかったです。
 若妻のままで中国の大地になっている私は何も言えませんでしたが。ましてや、大地を命を奪われた2千万とも言われる中国・朝鮮の方々の想いはどうなのでしょうか?


黒竜江省牡丹江市鏡泊湖

安倍元総理! 逝ってはなりませぬ(罪を悔い改めるまでは)

 残念なのは日本の総理になられた岸信介さんが私たち中国残留日本人やシベリヤ抑留者の救出・救済に冷淡で、大日本帝国がやった戦争犯罪に無反省のまま、生涯を終えられた事です。
 そのおじいちゃんをこよなく尊敬する安倍元総理は「日本は悪くなかった」という姿勢でしたね。リベンジで「満州の夢よもう一度」と夢想していたのではないでしょうか? でも人間は変わるもの、「やはりアジアとの友好を大事にしたい」と、首相退職で自由になった時間を使い、この美しい牡丹江やノモンハンや南京大虐殺記念館や 9 ・18(満州事変勃発を忘れないよう建設された)紀念館やシベリヤ抑留地を訪れて数十万同胞、中国2千万の慰霊をして下されば、ゆく先々で大群衆の歓呼に迎えられ、日本の、どころかアジアの偉大な名宰相と呼ばれたのではないでしょうか?

山上徹也さんの「動機」は間違っていますか?

 勝共連合・統一協会は中国・ソ連・朝鮮を滅ぼしてしまえと言う極端な思想と行動を維持するために莫大な献金を強引に集めていたようですが、1億円献金した熱心な信者の息子さんに安倍さんが射殺されたのはとてもお気の毒です。しかしアジア平和どころか再び戦争をしたい教団に1億円を貢いだお母様は「安倍さんや昭惠さんにお詫びの言葉を」とおっしゃったそうです、謝る相手はこの地やシベリアに眠る同胞と中国・朝鮮の方がたではないですか? 家庭を破産させてなお、勝共連合・統一協会に貢ごうとする母親さんの心が恐ろしいです。それをやめさせる実力行使をする動機は間違っていますか?手段は賛成できませんが。
 中国を蹂躙し、日本人を大量に送り込み、逆に中国・朝鮮の人々を日本へ強制動員した商工大臣のお爺様の間違いも、それを美化・肯定したご自分の誤りも(他にもいろいろあるようですが)「償う機会」が永遠に失われてしまいました。その事をこそ、お国を何百里離れた牡丹江から、ついに祖国日本に帰れなかった、ここに眠る多数の同胞とシベリヤに眠る益一さんの同僚(両者の総数は 30 万人ほどであり、沖縄戦・広島原爆・東京大空襲を上回るそうですね)と共に、お悔やみ申し上げます。
 「いや勝共連合・統一協会もアジアと世界の平和に努力する団体になったんです」とおっしゃるならそれは大きな変化で、歓迎いたします。元総理の後継政治家ともども、その行動を中国・朝鮮で実践されますように。国葬ともなれば 1 億以上お使いになるでしょう。それを子々孫々にわたる友好に向けたら、どんなに世界から喜ばれるでしょう。


統一協会文鮮明教祖と岸信介さん






文鮮明教祖率いる勝共連合の機関紙に度々登場する安倍さんの勇姿
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