日中友好を発展させ、世界平和に貢献するため、中国の真の姿を知り知らせる。
日中友好ネット
日中の平和友好への鍵を探る(5) 地域の被害を掘り起こす:青年が未来に託す歴史
日中の平和友好への鍵を探る(5)
地域の被害を掘り起こす
青年が未来に託す歴史
石田隆至 上海交通大学副研究員
人民日報海外版日本月刊 2023/11/21 15:13 雑誌
人民日報海外版日本月刊 2023/11/21 15:13 雑誌
半年ほど前、自分が暮らす地域の戦時中の歴史に向き合う中国の青年と知り合った。若い世代が負の歴史に積極的に関心を持つのは、中国でも珍しい。経済成長が進んで自己実現の機会が高まり、娯楽も溢れている時代だ。歴史や戦争被害が自分に直接影響を与えていると感じる若者は多くはない。
20代後半の沈涛さんもそうした世代の一人である。違うのは、彼が浙江省桐郷市で民間の歴史研究センターを運営していることにある。羊毛業が盛んで観光地でもある同地にどのような戦争被害/抗日戦があったかを、10年あまり調査してきた。南京大虐殺や従軍「慰安婦」など広く知られている出来事には、中国でも関心が高い。ただ、各地に埋もれている史実を掘り起こそうとする取り組みは稀少だ。彼の経験は、重い歴史的な負荷を背負っていない世代が、どのように日中関係の未来を切り拓く可能性があるのか、示唆を与えてくれる。
20代後半の沈涛さんもそうした世代の一人である。違うのは、彼が浙江省桐郷市で民間の歴史研究センターを運営していることにある。羊毛業が盛んで観光地でもある同地にどのような戦争被害/抗日戦があったかを、10年あまり調査してきた。南京大虐殺や従軍「慰安婦」など広く知られている出来事には、中国でも関心が高い。ただ、各地に埋もれている史実を掘り起こそうとする取り組みは稀少だ。彼の経験は、重い歴史的な負荷を背負っていない世代が、どのように日中関係の未来を切り拓く可能性があるのか、示唆を与えてくれる。
* * *
沈涛さんは多くの中国の子どもたちと同様に、祖父母や両親から故郷でどんな戦争被害があったか聴いて育った。祖母からは、日本軍の飛行機から機銃掃射を受け、自宅周辺の屋根瓦が損傷し、家族とともに逃げたと聴いた。曾祖父は門前にあった果物の木に日本兵が登って万一転落すれば報復されると恐れ、その木を伐採したと、父が教えてくれた。
その後も、元日本兵が訪中し謝罪したという報道に関心をもった。転機となったのは、2014年に同地を訪れた日本人K氏との出会いだった。K氏の親族は戦時中、同地で行われた国民党軍との戦闘で死亡していた。一緒に戦跡を探したが、観光開発が進んでいて戦争の面影は何も見つからなかった。
K氏は日本の加害の歴史に向き合う調査活動や平和運動にも取り組んでいた。それは、沈さん自身の日本観を問い直すきっかけとなった。日本人は侵略の歴史をきちんと認めようとしないという印象を持っていたからだ。「日本人=悪者」という単純な捉え方を疑い、日本の多様な側面を見ようと努めるようになった。今では日本語の勉強も兼ね、日本のドラマから日本人の日常生活や人間関係、社会の特徴を学んでいると微笑んだ。
K氏は、戦死した親族が所属していた日本軍の部隊名を具体的に語り、どんな関連資料を調べたかも教えてくれた。他方で、沈さんが耳にしてきた戦争体験談は「日本軍が・・・をした」という語り口で、具体性に乏しかった。沈さんは、初めて知った部隊名を手がかりに、自ら資料や情報を調べ始めた。日本の連隊史や当事者の回想録も入手して調べると、K氏の親族がどのように亡くなったのか、K氏が語った通りだったことが確認できた。
その後も、元日本兵が訪中し謝罪したという報道に関心をもった。転機となったのは、2014年に同地を訪れた日本人K氏との出会いだった。K氏の親族は戦時中、同地で行われた国民党軍との戦闘で死亡していた。一緒に戦跡を探したが、観光開発が進んでいて戦争の面影は何も見つからなかった。
K氏は日本の加害の歴史に向き合う調査活動や平和運動にも取り組んでいた。それは、沈さん自身の日本観を問い直すきっかけとなった。日本人は侵略の歴史をきちんと認めようとしないという印象を持っていたからだ。「日本人=悪者」という単純な捉え方を疑い、日本の多様な側面を見ようと努めるようになった。今では日本語の勉強も兼ね、日本のドラマから日本人の日常生活や人間関係、社会の特徴を学んでいると微笑んだ。
K氏は、戦死した親族が所属していた日本軍の部隊名を具体的に語り、どんな関連資料を調べたかも教えてくれた。他方で、沈さんが耳にしてきた戦争体験談は「日本軍が・・・をした」という語り口で、具体性に乏しかった。沈さんは、初めて知った部隊名を手がかりに、自ら資料や情報を調べ始めた。日本の連隊史や当事者の回想録も入手して調べると、K氏の親族がどのように亡くなったのか、K氏が語った通りだったことが確認できた。

この経験が沈さんを地方史の探求へと深く引き入れた。同地での戦闘にかかわった抗日老兵やその遺家族などを訪ね、当時の様子を聴いて回った(写真1)。老兵は高齢になり、記憶がはっきりしないところもある。史料調査を同時に進めることは不可欠だった。その過程で、子どもの頃に沈さんが聞いた地域の歴史と、史料や聴き取りのなかで見えてきた歴史との間には、埋めるべき溝があることに気付いた。当事者の子ども世代の語りになると、正確ではない内容がさらに増える。歴史の実像にもっと迫りたいと思うようになった。
沈さんの探求は、やがて周囲の人々を巻き込んでいく。2015年6月に地域史の研究センターを発足させた。民間組織で予算がなく、専従スタッフもいない。それでも、今では300名のボランティアが、自分にできる形で運営にかかわる。その関与の仕方も現代的で興味深い。同地の人々はもちろん、ネットを通じて関心を持った人たちが、史料や経験談の提供、史料の読解に必要な語学面の協力など、各自の得意分野を活かして集い合う。同センターでは、同地の方言の保存や子供たちへの継承活動も行っている。戦争期の史料が方言で記されていることも理由の一つだが、沈さんの地域への愛着も無関係ではない。
沈さんの探求は、やがて周囲の人々を巻き込んでいく。2015年6月に地域史の研究センターを発足させた。民間組織で予算がなく、専従スタッフもいない。それでも、今では300名のボランティアが、自分にできる形で運営にかかわる。その関与の仕方も現代的で興味深い。同地の人々はもちろん、ネットを通じて関心を持った人たちが、史料や経験談の提供、史料の読解に必要な語学面の協力など、各自の得意分野を活かして集い合う。同センターでは、同地の方言の保存や子供たちへの継承活動も行っている。戦争期の史料が方言で記されていることも理由の一つだが、沈さんの地域への愛着も無関係ではない。
桐郷市は、南京大虐殺が行われる直前の1937年11月に日本軍に占拠されたが、その時期に民間人虐殺が行われたという話は確認していないという。しかし、史料を読み込むうちに、1943年末に住民50名あまりの虐殺が行われた痕跡が見つかった。ただ、当時の新聞を見ても、被害者名や人数など具体的な情報が不足していた。公文書も取り寄せたが、今も被害者の具体的情況は見えていない。何より、自分の暮らす地域でそうした住民虐殺が行われていたことが驚きだった。今も温和な人柄の住民が多い地域で、「三光作戦」に通じるような虐殺があったことは想像を超えていた。また、「慰安所」が複数設置されていた事実にも行き当たった(写真2)。いずれも地元の人にほとんど知られておらず、今では旧址も残っていない。まだ調査中だが、毒ガス使用の痕跡も出てきたと沈さんは語った。静かな地方都市の「歴史の地層」には、侵略戦争の縮図が埋もれていることが見えてきた。

こうした歴史の掘り起こしには、沈さんの「歴史勘」が作用している。文字通り埋もれつつあった町外れの抗日烈士の墓碑を見付けては、由来を調べ、保存に努めてきた。まず記された碑文や案内文などを読み、気になったところは当時を知る古老に尋ね回る。それから関連の地方史や新聞報道、内外の公文書館の史料という順に調べていく。そうするのは、沈さんより若い青少年世代に具体的な歴史を残したいからだという。いま以上に実物や遺跡が失われていくと、史実を知りたくても分からなくなってしまう。具体的な情報がなければ、曖昧にされたり、なかったことにされる恐れもある。中国や日本の軍隊の史料や回想録だけでなく、その事件が起きた地域にある史料や語り、埋もれた手がかりによって、より具体像に近づく。それは、歴史を地域住民の手に取り戻していくことでもあるのだろう。
沈さんから話を聞くなかで、「中日友好」といった大上段から構えるような言葉は出てこなかった。歴史の事実を様々な側面からできるだけ具体的に解明していく。それをどう受け止め、評価するかは、現在と未来の読み手に委ねるものだという信念が伝わってきた。足下の歴史を具体的に知れば、一人一人が日中間の関係をどう切り結んでいくかを自分で選ぶことができる。そうした芯のある楽観主義が新世代の日中関係を切り拓くことを願う。
人民日報海外版日本月刊より転載
↓日中友好ひろば・クリックしてご覧下さ↓↓
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
日中の平和友好への鍵を探る(6) 自らの主体性を 取り戻すための反省へ
日中の平和友好への鍵を探る(6)
自らの主体性を 取り戻すための反省へ
石田隆至 上海交通大学副研究員
人民日報海外版日本月刊 2023/12/23 12:04
人民日報海外版日本月刊 2023/12/23 12:04
侵略戦争への贖罪意識だけでは戦後生まれの世代には継承されにくい。“戦略的互恵関係”といったドライな理念は時の状況に簡単に翻弄されてしまう。日中関係を開く「鍵」は思いもしないところにあるのではないか。そう感じていた時、新中国で戦犯となった泉(いずみ)毅一(たけ かず)が、裁判までの自身の変化を振り返った回想録「思い出の張(ジャン)夢実(モゥン シー)先生」(1991年)を手にした。末尾の一節が特に印象的だ。「純粋な若い世代は『許すことは出来るが、忘れることは決して出来ない』という日中友好の原点を、きっと理解して呉れると思う」とある。ただ、この文の含意は、私のような戦後世代が理解するのは容易ではない。忘れることができないほど重大な出来事を、許すことができるとは、どういうことなのか。それがなぜ日中友好の原点となるのか。泉には見えていても、戦後世代には見えていないものがあるようだ。

写真1:前列左から2人目が張夢実
泉毅一と張夢実との関係から始めよう。泉は1950年代前半、新中国で戦犯として収容された日本人の一人だ。その管理教育担当者として接していたのが張である(写真1)。張を「先生」と呼んでいるように、泉は張に格別の思いを持っていた。日本人戦犯が自らを収容・管理する側を尊敬し、数十年後に回想録を書くというのは、想像し難いことだ(写真2)。戦争によって国土が破壊され尽くしても、新中国は復讐ではなく、平和な日中関係を作り出すためのアプローチが必要だと考え、戦犯に向き合った。それがいかに決定的な意味を持っていたかを物語っている。私たちは、中国がどれほど平和を希求し、それをいかに実現しようとしてきたか、どこまで知っているだろうか。

写真2:左から2人目が張、右端が泉
東京裁判等では戦犯の大部分は罪を認めず、反省もなかった。政府も戦後間もなく中国封じ込めに主体的に関与するまでになっていた。この状況下で建国した新中国は、一部の戦犯に極刑を科すだけでは平和には繋がらないと考え、別の道筋を探った。ただ、赦せば済むわけでもないという葛藤を張は伝えていた。
「侵略戦争で二千万の中国人が犠牲になりました。家屋財産の損失は莫大です。その恨みを中国人民は永久に忘れません。あくまでこれが原点、一切の出発点です。しかし、今になって君たちを処罰しても、死んでしまった人々が生き返りはしません。私たちにもそれは解っています。しかし、戦争だから仕様がないだの、上官の命令に従っただけの俺に責任がない、では中国人民の忘れ得ない深い恨みはどうなりますか。」
戦犯たちのこうした弁明は、現在の日本社会にも広く存在する。
そこで、新中国は、戦犯が罪を深く自覚し、反省を貫くようになれば、二度と侵略戦争に加担せず、平和の担い手になると考え、過去を自ら振り返るための工夫を凝らした。「率直に罪行を坦白(自白)する者は寛大に許し、頑固に反抗する者には厳罰」という方針は、寛大政策とも呼ばれた。朝日新聞の記者だった泉はこの状況を機敏に察知した。「すっかり忘れ去っていた」事実を思い返し、それを管理側に伝えれば、「誠実な反省の実を認めて貰えるキッカケになる」と考えた。そこで、「早稲田大学に留学した経験があると聞き、短い時間だが東京の学生々活などを話し合い、その人柄に親しみを覚えていた」張夢実に面談を求めた。
「侵略戦争で二千万の中国人が犠牲になりました。家屋財産の損失は莫大です。その恨みを中国人民は永久に忘れません。あくまでこれが原点、一切の出発点です。しかし、今になって君たちを処罰しても、死んでしまった人々が生き返りはしません。私たちにもそれは解っています。しかし、戦争だから仕様がないだの、上官の命令に従っただけの俺に責任がない、では中国人民の忘れ得ない深い恨みはどうなりますか。」
戦犯たちのこうした弁明は、現在の日本社会にも広く存在する。
そこで、新中国は、戦犯が罪を深く自覚し、反省を貫くようになれば、二度と侵略戦争に加担せず、平和の担い手になると考え、過去を自ら振り返るための工夫を凝らした。「率直に罪行を坦白(自白)する者は寛大に許し、頑固に反抗する者には厳罰」という方針は、寛大政策とも呼ばれた。朝日新聞の記者だった泉はこの状況を機敏に察知した。「すっかり忘れ去っていた」事実を思い返し、それを管理側に伝えれば、「誠実な反省の実を認めて貰えるキッカケになる」と考えた。そこで、「早稲田大学に留学した経験があると聞き、短い時間だが東京の学生々活などを話し合い、その人柄に親しみを覚えていた」張夢実に面談を求めた。
泉は、中国農民6人の虐殺現場に居合わせており、上官から斬首を命じられていたが実行しなかったことを伝えた。そして、「事実はこれだけですが、最後に付け加えますと、私は当時からヒューマニストでした。これは自信を以て申せます。だから中隊長がいくら厳命し、怒鳴っても、結局首を斬るなんかに手は下しませんでした。また、穴の底で血まみれにノタ打ち回る農民の苦痛を見るに忍びなくて、早く楽にしてやるよう、下土官に命じたのです。」
これで許されると考えていたが、張は「込み上げる怒りを押さえるように静かな語調で」応じた。
「自分はヒューマニストだったから、と君は言った。ヒューマニズムを君が口にしたから私も言いましょう。私の考えは君と違います。裁判も何もなしに、無辜の農民を日本軍の一中隊長の命令で殺害する、そんな非道な残虐行為を身を以て阻止する、それが私たちの言う本当のヒューマニズムです。ところが君はその虐殺現場に平然として立っていた。殺される農民の眼に、そんな日本軍将校がヒューマニストとして映りますか。また、若しその場に被害者の肉親がおって、まだ息がある、生きているとなれば、当然なんとしても命を助けたい、と必死になります。それを君は『殺せ!』と冷然と命じている。そんなヒューマニストがありますか。血まみれの殺裁者、最も憎悪する“日本鬼子”そのものです。」
これで許されると考えていたが、張は「込み上げる怒りを押さえるように静かな語調で」応じた。
「自分はヒューマニストだったから、と君は言った。ヒューマニズムを君が口にしたから私も言いましょう。私の考えは君と違います。裁判も何もなしに、無辜の農民を日本軍の一中隊長の命令で殺害する、そんな非道な残虐行為を身を以て阻止する、それが私たちの言う本当のヒューマニズムです。ところが君はその虐殺現場に平然として立っていた。殺される農民の眼に、そんな日本軍将校がヒューマニストとして映りますか。また、若しその場に被害者の肉親がおって、まだ息がある、生きているとなれば、当然なんとしても命を助けたい、と必死になります。それを君は『殺せ!』と冷然と命じている。そんなヒューマニストがありますか。血まみれの殺裁者、最も憎悪する“日本鬼子”そのものです。」
殺される農民の眼など「一度だって思ったことはなかった」泉は、「心を動転させる激しい衝撃」を受けた。ただ、張の眼差しはさらに先を見ていた。
「君が真面目に戦争責任を考えようとしたのは、君の為に大変良いことだ。これから更に学習を進めるのを期待するが、私たち中国人民の手前をどう上手く取り繕うか、に苦心しても無駄です。(略)大事なのは君自身の問題です。その頃の思想と行動の本質を、自ら点検する。君の言うヒューニズムの為に、それが最も肝心なのだ。その点検の結果は己れだけの胸に納め、口外しなくて宜しい。私たちの方もまた、問いはしないだろう。」
被害者が求めるから反省するのではなく、自身の主体性を取り戻すために過ちの反省が必要だという示唆を与えている。2年ほど後、張は再び泉を励ました。
「中国人民のこの恨みは、どうすれば少しでも和らげられるか。軍国主義の悪、戦場での残虐行為の数々を反省するのは、“君自身の為に”良いことだ、と私は度々言った。中国人民の手前をどう言い逃れるか、ではなく君自身のヒューマニティの為に、軍国主義の思想と行為を、悪かったと本当に思って欲しい。失った本来の人間性を取り戻し、君の思想として定着すれば、少なくとも君は二度と同じ侵略戦争を繰り返すまい。やがて日本の全国民がそれを共通の思いとして呉れる。その時こそ、中国人民は忘れ難い恨みも許せましょう。それを私たちは切に願うのです。永久に忘れない恨みが原点、というのはこのことです。」
「君が真面目に戦争責任を考えようとしたのは、君の為に大変良いことだ。これから更に学習を進めるのを期待するが、私たち中国人民の手前をどう上手く取り繕うか、に苦心しても無駄です。(略)大事なのは君自身の問題です。その頃の思想と行動の本質を、自ら点検する。君の言うヒューニズムの為に、それが最も肝心なのだ。その点検の結果は己れだけの胸に納め、口外しなくて宜しい。私たちの方もまた、問いはしないだろう。」
被害者が求めるから反省するのではなく、自身の主体性を取り戻すために過ちの反省が必要だという示唆を与えている。2年ほど後、張は再び泉を励ました。
「中国人民のこの恨みは、どうすれば少しでも和らげられるか。軍国主義の悪、戦場での残虐行為の数々を反省するのは、“君自身の為に”良いことだ、と私は度々言った。中国人民の手前をどう言い逃れるか、ではなく君自身のヒューマニティの為に、軍国主義の思想と行為を、悪かったと本当に思って欲しい。失った本来の人間性を取り戻し、君の思想として定着すれば、少なくとも君は二度と同じ侵略戦争を繰り返すまい。やがて日本の全国民がそれを共通の思いとして呉れる。その時こそ、中国人民は忘れ難い恨みも許せましょう。それを私たちは切に願うのです。永久に忘れない恨みが原点、というのはこのことです。」
忘れ難い恨みを許せるようになるまで、日本社会が主体性を取り戻すのを中国は今も待っている。
〔本連載は「山西抗日戦争文献捜集整理与研究(19KZD002)」の成果の一部である。〕
〔本連載は「山西抗日戦争文献捜集整理与研究(19KZD002)」の成果の一部である。〕
人民日報海外版日本月刊より転載
↓↓日中友好ひろば・クリックしてご覧下さ↓↓
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
今日9月2日は 80年前に日本が降伏文書に署名した日
今日9月2日は
80年前に日本が降伏文書に署名した日
今から80年前の1945年9月2日は、日本が東京湾の戦艦ミズーリ号上で降伏文書に署名した日だ。日本軍に侵略され植民地化されたアジアの国々にとっては、抗日戦争勝利、反ファシズム戦争勝利の記念日だ。

写真は重光葵(しげみつ・まもる)外務大臣が署名している場面、このあと大本営を代表して梅津美治郎(うめづ よしじろう)が署名した(梅津は極東裁判で無期判決)。
次に連合国軍最高司令官ダグラス・マッカーサーが署名し、連合国軍の各国代表、アメリカ、イギリス、ソ連、中華民国、オーストラリア、カナダ、フランス、オランダ、ニュージーランドの代表が署名した。
それから80年の歳月が過ぎ、明日9月3日、中国北京で「中国人民抗日戦争及び世界反ファシズム戦争勝利80周年」記念式典が開かれる。この式典には26カ国の首脳が参加する予定という。この参加国をみると、80年前に降伏文書に署名した国はほとんど参加しない。それに代わって、日本を含む欧米列強から独立を勝ち取った国々が参加する。
これらの国々が経済的にもすでにかつて「先進国」と言われていた国々を追い越そうとしている。人類の明るい未来は、この式典に参加する国々の方にあると思う。
元首級が参加する国はロシア、朝鮮民主主義人民共和国、モンゴルのほか、カンボジア、ベトナム、ラオス、インドネシア、マレーシア、パキスタン、ネパール、モルディブなどの東南アジア、南アジアの国々、そして旧ソ連を構成していたカザフスタン、ウズベキスタン、タジキスタン、キルギス、トルクメニスタン、ベラルーシ、アゼルバイジャン、アルメニアなどの中央アジアの国々、イラン、コンゴ共和国、ジンバブエ、セルビア、スロバキア、キューバ、ミャンマーだ。(インドネシアは国内事情で不参加になった)
日本からは鳩山由紀夫元首相が招待されているという。
次に連合国軍最高司令官ダグラス・マッカーサーが署名し、連合国軍の各国代表、アメリカ、イギリス、ソ連、中華民国、オーストラリア、カナダ、フランス、オランダ、ニュージーランドの代表が署名した。
それから80年の歳月が過ぎ、明日9月3日、中国北京で「中国人民抗日戦争及び世界反ファシズム戦争勝利80周年」記念式典が開かれる。この式典には26カ国の首脳が参加する予定という。この参加国をみると、80年前に降伏文書に署名した国はほとんど参加しない。それに代わって、日本を含む欧米列強から独立を勝ち取った国々が参加する。
これらの国々が経済的にもすでにかつて「先進国」と言われていた国々を追い越そうとしている。人類の明るい未来は、この式典に参加する国々の方にあると思う。
元首級が参加する国はロシア、朝鮮民主主義人民共和国、モンゴルのほか、カンボジア、ベトナム、ラオス、インドネシア、マレーシア、パキスタン、ネパール、モルディブなどの東南アジア、南アジアの国々、そして旧ソ連を構成していたカザフスタン、ウズベキスタン、タジキスタン、キルギス、トルクメニスタン、ベラルーシ、アゼルバイジャン、アルメニアなどの中央アジアの国々、イラン、コンゴ共和国、ジンバブエ、セルビア、スロバキア、キューバ、ミャンマーだ。(インドネシアは国内事情で不参加になった)
日本からは鳩山由紀夫元首相が招待されているという。

10年前の70周年の時は村山富市元首相(現在101才)が参加のため訪中したが体調がすぐれず入院して参加できなかった。村山氏は戦後50年にあたる1995年8月15日、いわゆる「村山談話」を発表し、日本は過去に侵略と植民地支配を行い、アジア諸国に苦痛を与えたことを認め、痛切な反省と心からの謝罪を表明し、平和国家として国際協調に努める決意を示した。歴代首相の中では最も明確に加害責任を認め、反省と謝罪を述べた点で国際的にも評価は高い。
日本政府は各国に「参加しないよう」呼びかけ
ところで、この中国北京で行われる式典の一方の当事者は当然、日本だ。日本の総理大臣が参加し、誠心誠意、過去の侵略と植民地支配に対する反省と謝罪の気持ちを表すべきだ。
この件に関連して、福井県立大学名誉教授で中国社会科学院教授の凌星光(りょうせいこう)氏は、石破総理に式典への参加を促す公開状を送っています。この公開状は「日中友好ひろば」に寄稿されているので、ネット環境がある方は「日中友好ひろば」(検索)で読むことができます。
ところが日本政府は参加しないだけでなく、外交ルートを通じて、欧州やアジア各国にも「参加を自粛するよう」呼びかけていた。外交筋によると、「中国の記念行事は過去の歴史に過度に焦点を当てており、反日的な色彩が濃いと各国に説明。首脳らの参加は慎重に判断すべきだと伝えた。」という。(共同通信8月24日)。
中国で1000万人、アジア全体では2000万人以上の市民を殺害しておきながら「歴史に過度に焦点を当てており、反日的な色彩が濃い」という物言いは、加害責任を反省していないだけでなく、過去の歴史を消し去ろうとする意図さえ見える。
最近、きわめて意図的に「中国脅威論」が吹聴されていますが、戦後80年間、最もたくさん戦争をやってきたのはアメリカです。朝鮮戦争、ベトナム戦争、イラク侵略、アフガニスタン侵略、イスラエルの虐殺支援等々、そして多くの侵略戦争で日本の米軍基地は出撃拠点でした。それにくらべ中国は一度も他国を侵略したことがありません。世界から見たとき、戦争の最大の脅威はアメリカであり、中東ではイスラエル、アジアでは日本です。日本の報道は「(南中国海で)海洋進出を強める中国」とくり返し言っていますが、南中国海は歴史的に見ても国際海洋法から見ても、明確に中国の領海です。(この件についてはHP「日中友好ひろば」(検索)・「国際政治」欄、「戦争の危険はどこから来るのか?」を参照ください。)
自分の玄関先を警備する中国が海洋進出しているのか?地球の裏側からわざわざ空母を派遣しているアメリカが海洋覇権国なのか?
答えは明快です。(山橋)
日本政府は各国に「参加しないよう」呼びかけ
ところで、この中国北京で行われる式典の一方の当事者は当然、日本だ。日本の総理大臣が参加し、誠心誠意、過去の侵略と植民地支配に対する反省と謝罪の気持ちを表すべきだ。
この件に関連して、福井県立大学名誉教授で中国社会科学院教授の凌星光(りょうせいこう)氏は、石破総理に式典への参加を促す公開状を送っています。この公開状は「日中友好ひろば」に寄稿されているので、ネット環境がある方は「日中友好ひろば」(検索)で読むことができます。
ところが日本政府は参加しないだけでなく、外交ルートを通じて、欧州やアジア各国にも「参加を自粛するよう」呼びかけていた。外交筋によると、「中国の記念行事は過去の歴史に過度に焦点を当てており、反日的な色彩が濃いと各国に説明。首脳らの参加は慎重に判断すべきだと伝えた。」という。(共同通信8月24日)。
中国で1000万人、アジア全体では2000万人以上の市民を殺害しておきながら「歴史に過度に焦点を当てており、反日的な色彩が濃い」という物言いは、加害責任を反省していないだけでなく、過去の歴史を消し去ろうとする意図さえ見える。
最近、きわめて意図的に「中国脅威論」が吹聴されていますが、戦後80年間、最もたくさん戦争をやってきたのはアメリカです。朝鮮戦争、ベトナム戦争、イラク侵略、アフガニスタン侵略、イスラエルの虐殺支援等々、そして多くの侵略戦争で日本の米軍基地は出撃拠点でした。それにくらべ中国は一度も他国を侵略したことがありません。世界から見たとき、戦争の最大の脅威はアメリカであり、中東ではイスラエル、アジアでは日本です。日本の報道は「(南中国海で)海洋進出を強める中国」とくり返し言っていますが、南中国海は歴史的に見ても国際海洋法から見ても、明確に中国の領海です。(この件についてはHP「日中友好ひろば」(検索)・「国際政治」欄、「戦争の危険はどこから来るのか?」を参照ください。)
自分の玄関先を警備する中国が海洋進出しているのか?地球の裏側からわざわざ空母を派遣しているアメリカが海洋覇権国なのか?
答えは明快です。(山橋)
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
日本のマスコミがほとんど報じない「ニュース」№27
日本のマスコミが
ほとんど報じない「ニュース」№27
「抗日戦争」と「世界反ファシズム戦争」勝利記念日80周年を迎える9月3日、中国では、大軍事パレードを含む全国的な記念行事が行われます。
これには各国首脳や国際機関の要人が広く招待されています。ところが日本政府は外交ルートを通じて、膨大な経費を使って、各国に「参加を自粛するよう」呼びかけたそうです。理由は要するに「中国の“反日”プロパガンダだ!」と言いたいようです。
これは中国人民に対する悪質な侮辱なだけではなく、世界の反ファシズム戦争で犠牲となった無数の人々に対する侮辱であり、そして何よりも、歴史を正視し、「反侵略・平和」と中国やアジアの人々との友好を希求し、日々奮闘する良心的な日本人に対する最大の侮辱でもあります。
言うまでもなく、第二次世界大戦の基本的“定義”は、別に中国が言っているだけではなく、国連をはじめ、世界共通のものです。アメリカを含め、敗戦国の「ドイツ」も同様です。確か日本も「ポツダム宣言」を受諾し、戦後日本が出発したのではなかったのでしょうか?!
おそらく未だに“別の定義”をしたいのは世界中で「日本(の政府)」だけでしょう・・・。では、日本の「定義」とやらを公言して欲しいものです。「大東亜共栄圏?」「アジア解放?」・・・。
ところで、アメリカが脅迫するならともかく、日本の“顔色”をうかがう国がどれ程あると思ったのでしょう。つい数日前、中国がこの「軍事パレード」をはじめとする記念活動に参加する各国首脳の名簿を公表しました。首脳級だけで26カ国です。前回行われた軍事パレード(2015年)より約10カ国増えています。
さて、“別の定義”をする国は「日本だけ」と書きましたが、少々不正確でした。もう一つあります。かつて日本の植民地であった「台湾」です!
第二次大戦における日本の降伏から80周年を迎えるにあたって、各国政府が様々な談話を発表していますが、台湾の賴清徳・民進党政府もマスコミを通じて談話を発表しています。
信じ難いことに、この談話の中で、台湾側からすれば本来ならば戦勝記念日とすべきところを、賴清徳総統は敢えて「終戦記念日」と表現し、日本のおける過酷な植民地支配は無論、台湾民衆の「反植民地・解放闘争」にまったく触れませんでした。無論これは偶然ではありません。
詳細は省きますが、日本の台湾侵略、植民支配において、台湾民衆の抵抗運動は領有当初の「台湾民主国」の闘い(1895年~この年だけで24件の抗戦があり、遺棄死体だけで1万余人が記録されている)をはじめ、台湾総督府の記録だけでも、1857年から1900年の4年間だけで、先の「台湾民主国」関連の戦闘を除いても、台湾民衆による襲撃、戦闘は8258件に及び、殺された日本人が2124人となっています。台湾民衆側の膨大な犠牲はおして測るべしと言えるでしょう!
1947年台湾で出版された『台湾年間』では、1895年~1915年の20年間だけで、規模の比較的大きい、主な抗日事件が99件記録されています。台湾植民地時代、台湾民衆の犠牲者は10万人を超えると推計されています。
日本の中国全面侵略と台湾植民支配の確立と共に、こうした武装抵抗は1930年の「霧社事件」でほぼ終息しますが、その後も“合法的な”抵抗運動が延々と続けられ、植民地下にあっても、一部の青年たちは秘かに大陸に渡り、中国での「抗日闘争」に合流していきます。台湾人民は紛れもなく中国抗日戦争の一翼を担ってきたのです。
韓国の尹(元)政権と同様に、日本植民時代の「親日=対日協力者」を源流とする民進党政権が、こうした台湾民衆による凄まじいばかりの「抗日・解放闘争」の歴史を抹殺しようとする姿勢は、今なお政権を握る、「戦犯」の末裔(または本人)である安倍、麻生、岸田、松下幸之助(*「松下政経塾」)等が「敗戦」を「終戦」と言い換え、歴史の改ざんに汲々とする姿と“瓜二つ”と言えるでしょう。
ついでに言うと、中国は、「抗日戦争」はすべての中国人民の勝利であるという立場から、台湾にいる元国民党兵士にも、この軍事パレードなどへの参加を要請していますが、賴政権は「台湾人(*特に元国民党兵士)は参加してはならず、もし参加すれば法的処置を行い、軍人恩給を停止する」とまで脅しをかけています。これまた日本の姿勢とそっくりそのままと言えないでしょうか。
こうした民進党とは別に、数年前台湾議会を占拠し、今回は「“合法的”クーデター=野党議員のリコール運動」を強行したいわゆる「青鳥(チンニャオ)グループ」の若いリーダーが「我々(当時?)は日本人であり、戦争で負けたのに何を祝うというのか?!」と公言しています。「植民地支配」と歴史に対する無知と言うべきか、「民族意識の崩壊」と言うべきか、植民支配の「遺毒=倒錯」が今なお台湾(特に若者たち)の精神を蝕み続けているという現実を見誤り、無邪気に「台湾の民主」を称賛する日本社会に巣くう意識こそが、その実「台湾有事は日本有事」という侵略思想を受け入れる基盤となっているように思えてなりません。
(2025/8/30 墨面記)
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
抗日戦争・世界反ファシズム戦争勝利80周年を迎えて 日本軍国主義はアメリカの物量に負けたのでなく 中国人民の戦いに負けたのだ!
抗日戦争・世界反ファシズム戦争勝利80周年を迎えて
日本軍国主義は
アメリカの物量に負けたのでなく
中国人民の戦いに負けたのだ!
日本軍国主義が中国へ野蛮な侵略戦争を行い、中国人民の戦いに負けて80周年だ。よく日本が負けたのはアメリカの物量に負けたからだといわれるがそれは嘘だ。太平洋戦争で日本が負けたのは中国人民の祖国を守る命をかけた戦いに負けたのだ。武器はアメリカのように進んだものは持っていなかった中国人民の戦いに負けたのだ。以前侵略戦争に兵隊で行った人から聞いた話だが最後は日本軍の風呂番まで中国の八路軍だったと聞いたことがある。
今日本のマスコミはいつも8月の戦争の話になると日本の兵隊が中国で中国人民を無残に殺し、中国人民の財産を奪い、物を略奪し、婦人に対しては強姦を行い、悪の限りを尽くしてきたこと、南京大虐殺では30万人以上の人々を殺してきたことなどいっさい報道していない。報道するのは原爆の被害、ソ連に抑留されてひどい目にあった話ばかりだ。これでは戦争の真実は伝わらない。日本は卑怯者だと私は思われても仕方がないと思う。日本の侵略がおこなった真実を知り本当に反省してこそ日本の明るい未来が開け、平和を築くことができると思う。
立派な武器を持っていなかった中国人民が日本の侵略者に勝ったということは貧しい私たちに勇気を与えてくれる。中国人民の抗日戦争勝利80周年、世界の反ファシズム闘争勝利80周年を心からお祝いする!
田村ヨシ子
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
「過去の克服」に背を向ける日本政府
「過去の克服」に背を向ける日本政府
中国の「抗日戦争勝利記念日」は9月3日です。80周年を迎える中国では、全国的な記念行事と北京では大軍事パレードが行われます。これには各国首脳や国際機関の要人が広く招待されています。
ところが日本政府は外交ルートを通じて、各国に「参加を自粛するよう」呼びかけていたことが判明しました(共同通信8月24日)。これは歴史認識をふまえた中国の主体的な国家行事に対する侮辱であり、外交常識においても無礼な失格行為にほかなりません。そればかりか、侵略、虐殺、略奪を重ねた挙句に敗北した日中戦争やアジア侵略に対する歴史認識から生まれた反省と贖罪を胸に、反戦平和を誓って制定された日本国憲法の精神を否定する許しがたい振る舞いであり、日中両国の友好の道を汚す政府行為として、強く抗議するものです。
9月15日(祝日)、私どもは「戦後80年を日中戦争から考える講演と劇の集い」を開催します。私どもは第2次世界大戦後、日本国憲法のもとに戦争を2度と起こさせないと、努力を重ねてきた先輩方にならって、「過去の克服」をやり遂げていく学びと行動を一層強めて参ります。どうぞ皆さまもご参加いただき、ご一緒に学びましょう。
山本恒人(日中友好協会大阪府連会長)
戦後80年を日中戦争から考える
講演と芝居の集い
日時 2025年9月15日(月・祝)
13:30~16:00 開場13:00
会場 国労会館・大会議室 (JR天満駅下車)
(第1部) 劇団EN 二人芝居「りゅうりぇんれんの物語」
(第2部)講演【「日中戦争」と「中日戦争」から考える】
講師 原田敬一郎氏(仏教大学名誉教授)
主催・問合先:日中友好協会大阪府連合会
06-6372-8131
info@jcfaosaka.org
資料代 1,000円
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
シンポジウム「太平洋戦争終結80年 日本の敗戦80年 平和な世界の構築にむけて」
シンポジウム
「太平洋戦争終結80年
日本の敗戦80年 平和な世界の構築にむけて」
2025/8/14、衆議院第一議員会館で【シンポジウム「太平洋戦争終結80年 日本の敗戦80年 平和な世界の構築にむけて」】が開催された。シンポジウムでは、鳩山友紀夫元首相、呉江浩中国大使をはじめ、山田朗氏、高野孟氏、高山佳奈子氏ほかの皆さんが登壇された。
「#IWJ #岩上安身 #ニュース」(下記URL)で、シンポジウムの模様が全編視聴できます。ご覧ください。 (伊関)
「#IWJ #岩上安身 #ニュース」(下記URL)で、シンポジウムの模様が全編視聴できます。ご覧ください。 (伊関)
↑クリックしてご覧ください。(前編)↑
↑クリックしてご覧ください。(後編)
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
NHKスペシャル「シミュレーション~昭和16年夏の敗戦~」を視聴して思ったこと 伊関 要
NHKスペシャル
「シミュレーション~昭和16年夏の敗戦~」
を視聴して思ったこと 伊関 要
80年目の「8月15日」にあたり“日中友好ネット”でご紹介させて頂いた浜田紀男様の論考を拝読して、【NHKスペシャル「シミュレーション~昭和16年夏の敗戦~」】を視聴しました。以下、浜田様に感謝しつつ感想を述べたいと思います。
太平洋戦争(日米戦争)開戦(1941年12月8日)の年、4月、政府は多くの若きトップエリートたちを緊急招集し「総力戦研究所」を開設した。彼らは、日米戦争の推移と日本の敗北を正確に予測した。「この戦争は止めなくてはならない」と彼らは、勇気を振り絞って、国の指導者たちに「日本必敗」の現実を伝え「戦争をしてはならない」と訴えた。しかし、聴き入れられることは無く、予測通りの戦禍に310万人の国民が斃れ国土は廃墟と化した。
残酷無残な結果が分かっていながら、時の国家指導者たちは戦争の道を選んだのか?!その責任は極めて重要だ。「『なぜこの国は日米開戦に踏み切ったか』についてフォーカスしたものはほとんどありません。・・・・・ここまで手出しできなかった理由は、正直に言ってしまえばほとんどタブーに近かったからだと思います。」(脚本・演出の石井裕也氏のコメント抜粋)。これは、戦後、「一億総懺悔」のスローガンのもと、国家指導者たちの国を破滅に導いた責任が曖昧にされたまま、この国の支配体制の核心は戦前と何ら変わらずいまだに続いている証左ではなかろうか。「国家指導者の戦争責任を明らかにしない」というタブーを破るという意味では画期的なドラマ作品だったと思う。
しかし、日本の加害(侵略戦争)責任について一言も触れられてなったのは、残念の極みと言わざるを得ない。太平洋戦争は、日本による中国侵略戦争の帰結に他ならないからだ。中国からの撤兵、即ち侵略戦争の中止を拒否して、対米戦争に踏み切った経緯があるからだ。国家指導者が最も隠蔽したい責任は、当に侵略戦争の責任(加害責任)に他ならない。この侵略戦争を起こした責任は国家指導者にある。そして、国民の側にも侵略戦争を押し止められなかった責任がある。再び侵略戦争を許さない責任が私たち国民の側に引き続き今もあるということだ。
戦前、日本では「暴支膺懲」を国民的スローガンとして中国侵略戦争が行われた。今、「覇権主義的傾向を強める中国、海洋進出を強める中国、専制・独裁、人権弾圧、民主化弾圧・・・etc」といった中国ネガティブキャンペーンが展開されている。これらは、現代版「暴支膺懲」論であることを看破しなければならない。中国を最大の脅威とみなすアメリカによる新たな中国干渉戦争の準備であることを看過してはならない。アメリカは戦前から温存された侵略戦争の責任を取らない日本の支配層(支配構造)を利用し再び日本を中国との戦争の最前線に立たせようとしている。
「当時の日本社会に漂っていた不気味な『空気』は、確実に引き継がれて今の社会に存在するからです。」(石井裕也氏のコメント抜粋)とは、中国ネガティブキャンペーン(現代版「暴支膺懲」論)が蔓延する現在の日本の空気感に他ならない。既に、「日中友好」を訴えること自体が何か勇気のいることのようになってしまっている。このまま対中国戦争翼賛体制に組み込まれてはならない。再び侵略戦争を許さない責任を果たす時だ。浜田様の論考に「何としても戦争を回避する意志を持った政治が私たちには必要なのである。そうした国民の生命が第一に守れるなら、あとは少々生産性が悪くとも誠実にものを作り、田を耕し、身体が動く限り働いて生きるだけである。ただし、穴に落ちないよう足下に注意して。」 とある。今、日本の反戦運動の最前列に「日中友好」運動があることを自覚し、一人でも多くの方々と共に平和を守る行動を取りたいと切に願うものです。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
石破茂総理への公開状
皆様
7月25日に石破首相への公開状を認め郵送しました。が、何時倒れるか分からないので、公表を控えてきました。が、ここ一周間の成り行きを見て、石破政権が当面続くと判断し、公表することにしました。日中双方で前向きの世論が起こり、石破首相が9月3日の式典参加で訪中し、中国で歴史認識問題に終止符を打つスピーチを行うことを願って止みません。 凌星光
石破政権:難局を克服、続投の可能性大!
凌星光
石破政権は衆議院、都議会、参議院の三回の選挙に敗北し、「石破下ろし」の難局に直面することとなった。が、輿論がよい方向に動き出し、当面、政権の維持が可能となったようだ。そこで、7月25日に認めた石破首相への公開状を日中両国語で公開することとした。(石破首相には当日郵送したが、続投が不安視されていたため、公開は控えていた。)
なお、公開するに当たって、日本の現政局に対する見方と展望を、期待も込めて、以下の如く述べておきたい。
1 内閣支持率が上昇
下降気味だった世論が、支持率上昇に転じた。時事通信8月の調査によると、石破内閣支持率27.3%(+6.5%)、辞任すべきとは「思わない」が39.9%で、「思う」の36.9%を上回り、自民党支持層では「思わない」が65.9%と圧倒的に多い。
2 「石破下ろし」、拡大困難
石破首相の広島と長崎での原爆犠牲者への哀悼の辞が評判よく、輿論は益々石破内閣有利の方向に傾いている。7月28日議員懇談会と8月8日議員総会で威勢よく退陣を求めた面々も、言葉を控えるようになっているようだ。臨時総裁選を行うための署名集めも不発で終わる可能性が高い。
3 安倍派の裏金問題
「石破下ろし」の急先鋒が旧安倍派であったことが、輿論を刺激した。即ち、自民党が世論の支持を失った主要原因は、裏金問題と統一教会問題にある。輿論が「石破下ろし」に反発し、結果的に石破内閣を助けることとなった。
4 派閥解消の影響
岸田内閣の時に派閥の解消が進められ、麻生派を除いて派閥は存在しなくなった。そのため、石破氏に代わる後継者を定めにくくなった。しかも、総裁兼首相は大きな人事権を握っており、歯向かうことは冷や飯を食うことにつながる。
5 バラバラな野党
自公は少数与党であるため、政権運営は極めて困難である筈だが、野党がばらばらで統一しにくいため、個別政策での各野党との「取引」が容易となっている。しかも、石破は長い間、自民党内野党と言われ、野党との人脈も多い。それが却って石破の有利な立場となっている。
6 超党派石橋湛山研究会活性化の可能性
2023年6月、超党派石橋湛山研究会議員連盟が発足したが、石破はその重要メンバーで、共同代表は自民党岩屋毅、立憲民主党篠原孝之、国民民主党古川元久の三氏で、幹事長は自民党古川禎久氏、事務局長は立憲民主党小山展弘氏である。湛山思想即超党派即石破カラーが期待される。尚、この超党派には公明党と維新も参加している。現在メンバーは約100人。
7 「日米安保」の強化からその普遍化へ
日米安保は中国、ロシア、朝鮮を仮想敵国としており、日米安保強化による対中抑止力強化が強調されてきた。が、それを石橋湛山の平和思想に基づき、仮想敵国のない「日米中ロ平和同盟」、更には「東アジア平和同盟」を構築する方向に変えていく可能性がある。
8 「戦略的自主」と地位協定の改定
石橋湛山は日本の独立自主を主張していたし、石破氏も自主外交を主張してきた。また、在日米軍に関する「日米地位協定」、即ち米軍の日本における施設・区域の使用及びその地位について、日本の国内法が適用されない現状を改め、日本の主権を強化するよう石破氏は主張してきた。過去10カ月、それを封印していたが、日本の世論は行動に移すよう求めている。
9 8月15日の式辞で語る「反省と教訓」
今日行われた令和7年度全国戦没者追悼式で、石破茂首相は「進む道を二度と間違えない。あの戦争の反省と教訓を、今改めて深く胸に刻まねばなりません」と、進む道を間違えたこと、それへの反省と教訓を強調した。歴史問題について踏み込んだスピーチをしたい気持ちが伝わる。
10 9月3日の式典参加による雰囲気刷新
私は7月25日の公開状で、首相が訪中し9月3日の式典に参加するよう提案した。田中首相及び村山首相談話を引き継ぎ、更に踏み込んだ言葉を残し、歴史認識問題に終止符を打つのだ。それによって、石橋湛山の精神が蘇り、日中関係は一新し、日米関係も全く新しい段階に入る。
2025年8月15日
石破茂総理への公開状
福井県立大学名誉教授
中国社会科学院教授 凌 星光
中国社会科学院教授 凌 星光
石破茂総理殿
総理就任から約10か月、本当にお疲れ様でした。衆議院選、都知事選、そして今回の参議院選と相次ぐ敗北により、辞任を求める声が高まっております。そのような中、幸いにも日米間の高関税問題協議が合意に至り、わずかながら心に余裕が生まれたのではないかと拝察いたします。ここで、有終の美を飾る一手として、石橋湛山の精神を継承し、本年9月3日に北京で開催される戦後80周年記念式典へのご参加を提案いたします。それは、日中関係の改善、さらにはアジアと世界の平和への貢献となるはずです。
1. 現代に生きる石橋湛山の「小日本主義」と平和主義精神
総理はかつて『日本の進路』(2021年4月号)において、「石橋湛山の思想を今の時代に生かすべき」と語られました。その後、2023年7月には超党派の「石橋湛山研究会」に参加され、同志である岩屋毅氏を外務大臣に指名されました。石橋元総理は1950年代、中国との国交正常化を模索した人物でしたが、志半ばで病に倒れ、退任を余儀なくされました。それでも1959年には訪中し、周恩来首相との共同声明を発表、1961年には「日中米ソ平和同盟」構想を提唱しています。
今年3月11日の日経『大機小機』欄でも、「新たな日中米ロ平和同盟」による世界平和構築のパラダイム転換への期待が述べられていました。このような動きは日中両国国民の共通の願いであり、総理が記念式典に出席されることにより、田中角栄首相のスピーチや村山富市首相談話の継承、そして四つの政治文書の遵守を明言されれば、日中関係の未来に希望をもたらすことでしょう。
2. 「台湾有事」は現実に立脚しない幻想
安倍元首相が2021年12月に「台湾有事は日本有事」と語り、その直後にロシアがウクライナに侵攻したことから、台湾有事論と対中抑止論が急浮上しました。2023年10月のハマスによるイスラエル攻撃を契機にガザ戦争が激化し、次なる紛争地として台湾海峡が注目され、日本国内でも軍備強化が急ピッチで進められています。
しかし、中国は台湾独立勢力と米日による「干渉」に対抗して軍事演習は実施するものの、武力行使には至っておらず、あくまで平和統一の方針を堅持しています。西太平洋から米空母が引き揚げられ、頼清徳総統が「団結十講」で台湾独立を公然と主張する状況下でも、中国は自制を保っています。
総理ご自身も『日本の進路』(2023年4月号)で「決して採ってはならない方策は『台湾の独立』の主張」と明言されています。この冷静な姿勢こそ、今の日本に必要です。
3. 今こそ石破カラーを示す好機
昨年10月1日に総理に就任され、11月11日に第二次内閣を発足させられました。しかし、国際・国内情勢の厳しさから、総理が長年訴えてこられた「地位協定改定」や北京訪問による「対中関係強化」などの主張を打ち出すことが困難な状況が続いていました。誠に残念なことでした。
だが、今や国際情勢は新たな局面を迎え、国内世論の水面下では日中対話と関係改善を望む声が高まりつつあります。まさにニクソン訪中前夜を思わせる米中・日中関係の胎動が見られるのです。残された任期中に訪中を果たし、「石破カラー」を国際政治に刻む絶好の機会ではないでしょうか。
4. トランプ訪中と米中関係の緩和
トランプ前大統領が本年9月か10月に訪中するとの報道があり、米中関係は一定の緊張緩和へと向かっています。米国内世論や伝統的国際政治の構造からすれば、米中対立の根本は容易に変わりませんが、今後10年は「緩和過渡期」と位置づけられる可能性があります。
トランプ政権が対中強硬路線の限界を認め、調整へと舵を切りつつある今、日米安保体制やクアッド、オーカスといった枠組みもその実効性が問われつつあります。その背景には、中国が「いかなる国とも対立しない、友好関係を求める」という原則を貫いている点が挙げられます。
中印・中韓・中豪関係の改善も進んでおり、日本の対中世論も今年後半には好転の兆しが見えることでしょう。総理がその転換点を築かれることを強く期待します。
5. 「人類運命共同体」理念に基づく記念式典
総理が北京の記念式典に参加された場合、中国側は必ずや大歓迎することでしょう。正式名称は「中国人民抗日戦争・世界反ファシズム戦争勝利80周年記念式典」とされ、その「抗日」の対象は日本の軍国主義であり、日本国民そのものではありません。
当時、野坂参三は共産党の延安で、鹿地亘は国民党の重慶で、それぞれが日本の侵略に反対する運動を展開していました。石橋湛山や創価学会の牧口常三郎は日本で軍国主義に反対していました。ドイツやイタリアの国民が、他のヨーロッパ諸国民と共にナチズム、ファシズムへの勝利を祝うように、アジアにおいても日本を含む各国民が共に日本軍国主義への勝利を祝うことは可能です。
中国は人類運命共同体理念に基づき、中国人民の偉大な勝利を祝うと同時に、共に戦った日本の友人、戦後の日本が貫いた平和発展路線、中国の改革開放政策への理解と支援などに、誠意を以って讃えることでしょう。
6. 日本皇室の平和志向と総理の式典参加
かつて日本軍国主義は天皇制を利用して国民を動員したため、また「天皇陛下万歳!」を叫んで兵士が死んでいったため、「天皇制=軍国主義」と誤解されやすい面があります。しかし、昭和天皇は戦後、深く反省され、戦犯が祀られてからは靖国神社参拝をしなくなりました。そして平成天皇や今上天皇もそれを受け継いでおります。
また、平成天皇は「先の大戦は14年戦争」と捉え、満州事変をその発端と認識しています。そして戦争犠牲者への慰霊を毎年続けてこられました。当然、中国や東南アジアの人々への謝意と反省の気持ちを忘れてはおられません。
それ故に、総理が記念式典に参加されても、皇室の尊厳や国民の敬意が傷つくことはないと信じます。むしろ歓迎されるべき行為でしょう。
7. 日本は米中和解の橋渡し役へ
いま世界が直面している平和と安定の危機の鍵を握るのは米中関係です。米国が覇権を放棄し、中国との対話に乗り出すべき時機が訪れています。これを機に、国連を舞台に「覇権なき世界」構築の枠組みを模索すべきです。
その実現には日本、EU、インドなどの新興国の積極的な働きかけが不可欠です。近年、「日本が自由貿易体制のリーダーシップを担うべき」との声も強まっていますが、そのためには中国を排除するのではなく、巻き込むことが鍵となります。ASEANや南米のエクアドルのように、日本も対米・対中のバランス外交を志向するべきです。
石破総理が9月に訪中されれば、国際政治の潮流から取り残されようとしている日本外交が、国際舞台の中心へと大きく前進することになるでしょう。それは日本経済の活性化にもつながり、中国経済の回復にも寄与するはずです。
2025年7月25日
(付記)
筆者は1933年日本生まれ。1953年に一橋大学を中退し帰国。1972年には田中角栄総理訪中団の接待に参加。1993年に日本に戻り、金沢大学と福井県立大学で教鞭をとる。2003年に退職。本公開状が石破総理、そして日中両国民に受け入れられることを願ってやみません。
筆者は1933年日本生まれ。1953年に一橋大学を中退し帰国。1972年には田中角栄総理訪中団の接待に参加。1993年に日本に戻り、金沢大学と福井県立大学で教鞭をとる。2003年に退職。本公開状が石破総理、そして日中両国民に受け入れられることを願ってやみません。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
日本のマスコミがほとんど報道しない「ニュース」№26
日本のマスコミが
ほとんど報道しない「ニュース」№26
断片的とは言え、「台湾」をめぐる幾つかのニュースが日本の新聞等でも報じられています。それらは賴清徳政権(民進党)にとって厳しいものばかりです。(*一部本ニュース「既刊号」と重複します)
1、7月26日、台湾最大野党である「国民党」立法委員(国会議員)24人に対するリコール(解職請求)投票で、リコール成立「0」という大敗を喫しました。
このリコールは国民投票に関わる法律の不備を利用して強行されたものです。詳細は省きますが、実質的に25%の投票率で「罷免」できるという歪(いびつ)なものです。(*その後この法律は改定されたそうです)
本ニュース「№12」でも書いた通り、投票率の僅か40%(*総統選挙)で政権についた賴・民進党政権は、議会においても少数与党で、野党議員の6人以上を罷免させると、多数派になります。これは「戒厳令」を発布し、反対勢力(多数派野党)を一掃しようとした少数与党/韓国・尹政権と同じ構図です。おそらく世界中でこの「戒厳令発布」を実質的に支持したのが唯一台湾の「民進党」だったことも納得できるでしょう。その実、賴・民進党もこの“合法的クーデター”の機会を狙っていたわけです。
リコール対象となった国民党議員24人の誰一人として、これまで「違法行為」はなく、解職理由は単に「親中国的?」だけというメチャクチャなものです。これもまた韓国・尹政権による野党攻撃と同じ構図です。
ところで、この「リコール運動」は狂信的「台湾独立派」のグループが発動したものです。先日アメリカで「議会占拠騒動」を起こしたトランプの熱狂的支持者とよく似ています。因みに、数年前、「両岸の交流促進」を進める法案を審議中の台湾議会を襲撃し、占拠したグループはまさにこの若者たちです。
そうです!当時、日本のリベラルと称される人々でさえ:「すばらしい」「英雄的行動」「民衆蜂起」・・・と、もてはやした「事件」です!
2、賴清徳が8月にパラグアイ、グアテマラ、ベリーズなどの外交関係(?)を持つ数少ない国を訪問する予定で、そのときにニューヨークを経由する予定でした。これは李登輝から続く台湾の「トランジット外交」と称されるものです。これまでの歴代総統で、この「訪米」が実現しなかったのは一回だけ(*台湾側の都合)で、中国側の抗議にも関わらず、アメリカ側は常に応じてきたものです。
それをトランプがあからさまに「立ち寄り」の拒否を通告しました。「台湾側」の“メンツ”さえ気にかけないトランプの“公言”に、アメリカ国内でも“外交儀礼に反する”とする反発が起こっているくらいです。
因みに、この決定は単一のことではなく、台湾の国防部長(国防相)の訪米拒否や、有力政治家の相互訪問が中止になったことなどが報じられています。
トランプらしい“露骨さ”とは言え、中国との「関税交渉」や「包括的戦略交渉」等を控えて、「台湾問題」が“足枷”になることを恐れた結果と評されています。「台湾」はアメリカにとって単なる「駒(こま)」に過ぎないという現実を台湾民衆も否応なく目にしたことでしょう。
3、賴清徳総統は、民進党各派の中でも、「親日媚米」傾向が強く、最も過激な独立志向を持つ「新潮流」という派閥に属しています。日本で言えばさしずめ「親米極右」と言える存在です。政権発足後から一貫して「抗中(国)保台(湾)」を掲げ、親中勢力は言うに及ばず、「中国との民間交流」や「中国的なるもの」に対してさえ、あからさまな攻撃を繰り返してきました(本ニュース「№12」参照)。そればかりか、野党の一つ=「民衆党」党首の柯文哲を政治献金の虚偽記載“疑惑”・汚職“疑惑”で逮捕するなど、頼清徳政権の言論弾圧や強引な政治手法は一般民衆の反感を買い、特に、「リコール運動」に際し、頼清徳が公然と「野党は濾過(ろか)されるべき不純物」という趣旨の発言(6月24日)に至っては、もはやファシズムの再来と感じたことでしょう。
4、こうした賴政権のファッショ体質に対する警戒感と、トランプによる台湾への無謀な要求に対し、賴政権が何ら抵抗することもなく汲々と応じるのではないかという不安が相まって、賴政権、または賴清徳個人への評価が急落していることからも覗えます。
台湾の「護国神山(*国の大黒柱)」と称される「台積電(TSMC)」さえアメリカに「献上」し(本「ニュース№20参照」)、軍事予算の大幅引き上げや兵役の大幅延長等々、民衆の生活に直結する課題が目白押しに逼ってきている現状では尚更と言えます。(因みに、アメリカに対し媚びるだけ媚びながら、台湾への「追加関税」が、日・韓以上の20%になりそうな状況に台湾社会では衝撃が走っています)
以下、直近の世論調査の結果を見てみます(*『美麗島』という民進党系の報道機関による)。
賴政権への信任度は24年度(8月)の約59%から、25年度(7月)には約37%まで暴落しています。逆に、不信任が(同)約30%から50%に急伸しています。
また、賴清徳の施政に対する満足度も、同じく54.4%から34.6%に暴落、逆に不満度が約33%から56.6%に急伸しています。
加えて、賴政権の残りの任期(約2年)に対する期待値の統計(同)では、楽観が「52.6%」から「22.2%」に急落、悲観では「38.1%」から「63.6%」に急伸しています。
因みに、この数値は、トランプによる「追加関税」発表前の数字です!
5、賴清徳が就任後、やったことと言えば「抗中保台」を掲げて台湾民衆の「敵視」と「憎悪」を煽り、社会に「分裂」を持ち込む以外、こと「民生面」での施政成果は皆無と言えます。近年起こった大規模停電や地震、つい先日起こった高雄を中心とする水害に対する民進党政権の「無策」に対し民衆の怒りが高まる中、さらに、賴政権が台湾民衆が過去30年にわたって延々と築いてきた“財産”を“のしを付けて”アメリカに差し出す醜態を目の当たりにして、台湾民衆も騙され続けるはずはありません。
こうした“逆境”に対し、賴政権は「反省」と「謝罪」をするどころか、さらに火に油を注ぐように見え透いた「嘘」を積み重ね、民衆の反発をさらい強めています。
「リコール運動」の大敗に際し、賴清徳は:「私はリコール運動にまったく関係していない。リコール不成立は、中国の影響が台湾社会に如何に“浸透”しているかを証明するものである・・・ウンヌン」と嘯く。「論理の逆転」の典型と言えるでしょう。
また、民進党内でも8月23日に予定されている別の国民党議員7人を対象としたリコール投票を中止するよう提言した議員が“利敵行為”として袋叩きに遭うという醜態も晒しています。
また、「アメリカへの入国拒否」についても、賴清徳はメンツを保つために平然と:「外遊の予定そのものがなかった。情報はフェイクだ」と言い出す始末です。トランプの発言は“嘘”で、訪問予定のパラグアイ、グアテマラなど訪問予定国の発表も“嘘”で、中国政府の訪米に際しての「抗議声明」も“嘘”で、何より台湾のマスコミ報道(民進党系を含め)もすべて“嘘”と言いたいようです。
こうした「無反省」と「無責任」から、見え透いた嘘を平然と語る賴清徳(政権)に対し、台湾民衆の不信感は一層高まり、賴政権の「無能ぶり」に加え、賴清徳個人の「人格」への懐疑が加わり、先の「世論調査」の結果となって現れたと言えるでしょう。
因みに、トランプによる「追加関税」の詳細について、賴政権は交渉における「密約?事項(*「税率」以外の妥結項目)」については今だ“非公表”を貫いています。これが国会で明らかになったとき、賴政権の命運も尽きることでしょう。(*因みに、賴政権がリコール運動を急いだ理由も、大敗しながら引き続き8/23のリコールを強行しようとする理由もこの為に他なりません)
2025/8/6 墨面記
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
« 前ページ |