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大阪市へ公開質問状を提出

大阪市へ公開質問状を提出しました。
                    2015年7月29日
大阪市御中
橋下徹市長殿
              大阪城狛犬会
                伊関 要
              〒557-0011 
               大阪市西成区天下茶屋東2-9-16

「大阪城エリア観光拠点化事業」についての公開質問
                             
 大阪市は「大阪城エリア観光拠点化事業」を行っています。「事業概要説明資料」によれば,
――平成27年(2015年)は大坂夏の陣400年のシンボルイヤーにあたり、経済戦略局主管事業である「大坂の陣400年プロジェクト」が実施されるとともに、民主導の「PMO事業」が導入されることにより新たな魅力創出が図られ、国内外観光客の増加をめざしていくこととしている。これに備え、老朽化した施設を集中的に改修し、世界的観光拠点として大阪城公園の魅力創出を図るものである。

 また、大阪城公園は利用者の快適性や利便性の一層の向上とともに、安全性の確保が必要であり、引き続き老朽化した園路等施設の改修や、特別史跡である石垣の修復を行う。――
とあります。
そのための予算として・平成26年度(単位千円)
便所美装化         65,500
・重要文化財建造物修復    91,600
・山里丸エリア整備      53,570
・案内板整備         10,800
・事務費            2,130  
(公園整備事業)
・園内園路等整備       18,700
・遊具広場改修           0
・石垣修復          25,000
・建造物補修         19,000
・事務費              0
 合計            286,300
となっています。27年度については「調整中」となっていて、ネットでは公開されていません。27年度予算について明らかにされたい。(質問1)

 また、「特別史跡大阪城跡保存管理計画」(平成25年3月 大阪市)によると、
「大阪城(江戸時代以前は「大坂城」と表記)は、大坂本願寺に始まり、豊臣期、徳川期を経て、近代、現代に至るまでさまざまな歴史的文化遺産が重層的に存在することが、その大きな特徴のひとつです。」とし、「保存・管理の基本方針」の中に、「3. 近代以降の大阪城を特徴づける歴史的文化遺産を保存し、徳川期以前の城郭遺構との調和を図りながら後世へ継承する。」としています。「近代以降の大阪城特有の歴史的価値を構成する諸要素」として、<軍事関連施設>旧大阪砲兵工廠関連:旧化学分析場、表門と塀、守衛舎、旧第四師団司令部庁舎( 旧大阪市立博物館)、防空壕、旧兵器支廠門と塀、水門としています。

 さて、この「保存管理計画」が発表されてから2年以上が経過しましたが、これらの遺跡の現状を見ると、付近には何の説明板もなく、工事用の仮フェンスで囲っただけで、ぺんぺん草が生い茂り、朽ちるに任せている状態です。(下の写真は「砲兵工廠化学分析場」)これらの軍事施設について、どういう保存計画を持っているのか?明らかにされたい。(質問2)


 予算面でも上の公表されている予算の概要を見るだけでは詳細は不明ですが、これらの軍事関連施設の保存や修復について、予算はついているのか?どの施設のどういう工事にどれだけの予算がついているのか?明らかにされたい。(質問3)

 また「大阪城の狛犬」が「近代以降の大阪城特有の歴史的価値を構成する諸要素」の中にも、「その他の諸要素」の中にもないのはなぜか?大阪市は「大阪城の狛犬」を「どういう要素」と考えているのか?明らかにされたい。(質問4)

 トリップアドバイザーの調査によると、訪日外国人の人気スポットとして、広島の原爆ドームが、2012年1位、2013年1位、2014年2位になっています。

 ちなみに、(産経ニュース電子版 2015.4.6 07:03更新)は次のように書いています
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広島・原爆ドーム100年、観光客アンケート 外国人「平和・被爆の象徴」
 ――「非核」貢献はシビアな評価――
 広島県物産陳列館として完成してから5日に100年を迎えた世界遺産・原爆ドーム(広島市中区)前で、外国人と日本人の県外観光客30人ずつに原爆ドーム前でアンケートを行ったところ、原爆ドーム100年について知っているのは外国人10人、県外者3人だった。外国人の方が原爆ドームに関する知識が高い一方で、核兵器の不使用に対するドームの貢献度についてはより低い評価だった。

 ドーム訪問の理由(複数回答)について聞いたところ、「観光地だから」とした回答は、県外者の15人に対して外国人は8人と少なかった。一方、「平和の象徴だから」「被爆の象徴だから」との回答は合計で外国人(29人)が県外者(19人)を圧倒した。観光目的で広島に来た県外者全員が厳島神社も訪ねると答えたのに対し、外国人は半分以下にとどまった。

 「被爆前はドーム(当時は県産業奨励館)周辺が広島の中心部だった」ことについてはともに26人と、ほとんどが知っていたが、建物が町のシンボルだったことについては外国人(16人)の方が県外者(13人)より知っていた。

 一方、「ドームの存在が戦争における核兵器の不使用に役立ったかどうか」については「すごく役だった」と「それなりに役だった」との前向きな回答が、外国人の19人に対し、県外者は27人と多かった。これに対し、「あまり役立っていない」というシビアな評価は外国人(10人)が県外者(3人)を圧倒。「役立っていない」との回答はともになく、無回答が外国人に1人いた。

 また、ドームの保存についてはともに「今のまま残すべきだ」がほとんど。「崩れるままにして残す」が県外者で4人、外国人で3人いたが、「崩れたら撤去」はともにゼロだった。
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 これらの資料を見ると、訪日外国人の多くが、「近現代史」や「戦争と平和」の問題に強い関心を持っていることがわかります。

 しかし大阪市の「大阪城エリア観光拠点化事業」には、こうしたコンセプトが全くありません。大阪はアジアの玄関口となっています。現在大阪城を訪問しているのも大半は中国や韓国、東南アジアから来る人々です。だからこそ、かつて日本軍国主義が中国はじめアジアを侵略したことについて真摯に反省し、侵略の拠点としての「大阪砲兵工廠」の全貌を明らかにすることが必要です。これは大阪や日本の国を貶(おとし)めるものではなく、むしろ、大阪という都市の品格を高め、信頼を勝ち取ることにつながります。この考え方について大阪市の考えを明らかにされたい。(質問5)


 「大阪城公園内に残る戦争の傷あと」という銘板があります。
 
 「第四師団司令部庁舎」の南側にありますが、誰も通らない通路に隠すように設置されています。これは当然、第四司令部庁舎の正面に置くべきです。また、この銘板はすでに墨が薄くなって読みにくくなっています。定期的に墨をいれるなどの維持保全をしているのですか?この2点について、大阪市の見解を明らかにされたい。(質問6)


 「特別史跡大阪城跡保存管理計画」(平成25年3月 大阪市)に記している<軍事関連施設>旧大阪砲兵工廠関連:旧化学分析場、表門と塀、守衛舎、旧第四師団司令部庁舎( 旧大阪市立博物館)、防空壕、旧兵器支廠門と塀、水門については、説明板さえありませんが、その理由を明らかにされたい。(質問7)

 さらに、現在の説明板「歴史街道」は日本語と英語のみ、さらにこま犬の説明板などは英語版は内容を省略しています。最低限、英語、中国語、朝鮮語を含む多言語で記載するべきこと、日本語と外国語を一致させること、これは当然と考えますが大阪市の見解を明らかにされたい。(質問8)


 上の写真は「第四師団司令部庁舎」の周囲にかけられている看板です。保全管理ができていない証拠ですが、こういう状態をいつまで続けるのですか?保存する意思はあるのですか?明らかにされたい。(質問9)

 さらにこの看板は日本語と英語でしか書かれていません。(他の道案内などは4か国語で表示しています。)日本人とアメリカ人だけ助かればよい。中国人や朝鮮人、アジアの人達は頭に石が落ちてきてケガをしてもしょうがないという考えですか?大阪市の見解を明らかにされたい。(質問10)


 上写真のように、道案内などは4か国語の表示がありますが、「歴史街道」の説明板は、下のこま犬の説明板のように日本語と英語だけです。大阪城の歴史遺産については日本人とアメリカ人さえわかればよい。中国人や韓国人、アジアの人達はお金を落として行ってくれればよいという考えでしょうか?それともアジアの人々とはそもそも歴史についてコミュニケーションしたくないということでしょうか?大阪市の見解を明らかにされたい。(質問11)

 下の写真は、大阪城ホール南側にある「砲兵工廠跡碑」です。



「砲兵工廠跡」石碑裏の碑文

大阪陸軍造兵廠は明治三年(一八七〇)二月大阪城三の丸跡に創設され大阪造兵司と称して兵器製造の作業を始めたその後大阪砲兵工廠などと数度改称されたが終戦によって陸軍が終止符を打った昭和二十年(一九四五)八月まで七十五年の長い間主とし各種火砲戦車弾薬類を製造し終戦時の従業員は約六万人、地積は約四〇万坪であった特に当工廠は陸軍唯一の大口径火砲の製造工廠でありいくたびの戦役に際してその重責を果たした功績は大きかったまたその技術は国内外から高く評価され諸外国から受注して製作した兵器は多数に達した昭和三十四年八月十四日に殉職者のみたまを慰める式典を行ったのを機会に当時をしのぶためその遺跡の一角にこのいしぶみを建てるものである
昭和三十四年八月十四日
 大阪廠友会会長
   根本荘行 識
   道田峰石 書
 この碑文についても、4か国語を含む多国語で翻訳文を記載した銘板を建てるべきです。

 この碑文には侵略戦争を美化している部分がありますが(下線部分)、これもすでに歴史の一部であり、この内容を世界の人達に知らせるとともに、現在の大阪市の立場を表明するべきです。これについて大阪市の見解を明らかにされたい。(質問12)
 
 「大阪城の狛犬」については、その説明板で、日本軍が天津市を空爆した時に略奪してきたものであること、1938年の聖戦博覧会で展示されたものえあることなど、説明板設置時にはわかっていなかったが、その後の研究で明らかになった事実も加えて大幅に書き直す必要があります。これは歴史と真正面から向き合う姿勢の問題です。こうした侵略、略奪行為を二度とくりかえさないという反省と決意も書き入れるべきです。これについて、大阪市の見解を明らかにされたい。(質問13)

 さらに、この「大阪城の狛犬」は、日本と中国という、二国間の極めて重要な歴史資料であるにも関わらず、日本語と英語でしか表記されていません。当然、中国語表記を含む多言語で表記されなければなりません。これについて、大阪市の見解を明らかにされたい。(質問14)







 さらに、このこま犬は、中国から改めて贈られた際に、どういうわけか、山里丸からわざわざほとんど人が来ない、西ノ丸庭園北側に、隠すように移設されました。今となっては、少なくとも、山里丸に、かつてここに狛犬があったこと、そのこま犬は今あちらにあるという道案内を、誰の目にもつく大きさと場所を選んで置くべきです。「淀君自刃の碑」は、ちょっと奥まったところにあるため、そのすぐ横の人通りの多いところに、わざわざ道案内の碑がたっています。せめてこの程度の物は必要です。大阪市の見解を明らかにされたい。(質問15)



 以上、これらの公開質問について、速やかに回答をお願いいたします。私どもの希望としては、2015年8月10日までです。遅くとも8月末です。いつまでに回答できるか、2、3日中に連絡してください。
なおこの公開質問は、各政党会派、在日関係国大使館、内外マスコミに送付します。インターネットのブログ「日中友好ネット」でも公開します。よろしく。
     
2015年7月29日(日本軍が天津市を爆撃してから78年目の日に)
                             
                        
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