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ADD?傾向のある塾教師がADHDやアスペルガー症候群の子にどうかかわり教えたらいいのか模索していくブログです。

番外  同じ屋根の下で… 1

2008-12-04 14:16:08 | 番外
このブログでは番外として、私の子ども時代の出来事を
つづっています。
なぜかしらそれを楽しみにブログにいらしてくださっている方もいるようで、
「また子ども時代の話を…!」と熱心におっしゃっていただきます。
それで、また昔のことを思い出しながら記事を書いてみようと思います。ついでに関連する過去記事も紹介しますね。

☆ だ~れが 殺したクックロ~ビン~?? 1
☆ だ~れが 殺したクックロ~ビン?? 2

☆番外 ひっくり返ったがんもどき

☆番外 子どもの頃の思い出


何度かこのブログでも書いているのですが、
私は大阪の自然がまだたくさん残っている静かな地域の団地で育ちました。
当時、その地区の団地の住人というのは、
地の大阪人というのはほとんどなくて、地方から出てきた人々の寄せ集めでした。
とにかく考え方も生活様式もまったく異なる人々が、
ひとつの団地で、どこか大家族を思わせる「近さ」で暮らしていました。

近さって…わかりづらい表現ですよね。

うまく表現できないのですが、
現代の団地やマンションの住人同士が仲良く暮らしている様子とはずいぶん
ちがう感覚で、お互いがつながりあってたんです。
似た考えの人同士集まったり、似た境遇の人同士親しくするのとは
ちがって、さまざまな雑多な人がごちゃまぜに暮らす中で、

「自分とはちがいすぎる」「正反対」「敵だ!」「あんなの最低最悪の人間だ!」と感じるほど、へだたりがあるもの同士でも、

「同じ屋根の下に暮らすもの」

として、あくまでも「自分の延長線上に存在するもの」としてとらえていた感があるのです。

自分の身内のはみ出し者や自分の性格の中のいや~な部分や
自分の鼻水…

のように、嫌は嫌でも、どこかに自分の一部であるような近さがあったのです。
団地には、変質者と噂される男性もいましたが、
年老いた母親がその男性の世話を焼きに来てせんたくなどしていると、
その母親とはだれも話したこともないのに
「あんなに…腰が曲がってまで苦労して…」と気の毒がる人がいました。

また、こんなこともありました。
団地内に精神を病んで近所中の家に、
夜昼かまわず無言電話をかけ続ける女性がいました。
あるとき、腹にすえかねた私の父が、口論の末、その女性をなぐってしまいました。
するとその女性の夫が、
(なぐられた側なんですが…)迷惑をかけてきたことを詫びて
父にセーターを届けてきたのです。
私の父は…というと、まるでお気に入りの一着みたいに
そのセーターをよく着ていました。

私の母はクリスチャンで「綺麗なこと、正しいこと、真面目なこと、親切なこと」をいつも愛している人でした。
基本的に見た目も中身も「天然」なので、そうした良い人ぶったところが
さほど周囲の鼻につくこともなく、
暮らしていました。

すぐ下の階に住んでいたのは、
ちょっと悪ぶっていて、お酒を飲みながら、
とうてい主婦とは思えぬ
ルーズな暮らしっぷりで、子育てをしている方でした。
よくナイトクラブの話やディーナーショーの話を母にしていましたが、
最近の中学生よりも小さな生真面目な世界でしか暮らしたことのない母には、
想像することすらむずかしく、
何やら怪しげな雰囲気しか伝わっていなかったようです。
母が、おやつも…カルピスやパンまでも(ハードル高いですね
手作りを決め込んでいるのに、
下の奥さんは、「昼食も夕食もインスタントラーメンよ」と言ってはばからない人で、
このふたり…いくら上下の階で生活しているからって、
まず仲良くはできないだろう…と誰の目にも明らかなのに、
なぜか姉妹のような親しさが、
互いに互いがわからないまま…
わかりあおうともしないままに…
十数年という年月に渡って続いていました。

長くなったので次回に続きます。


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