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のびたとブレイク

生き生きと第三の人生を歩んでいます
うたごえ ウォーキング 川柳 ベランダ栽培など楽しんでいます

ベランダで 助け求める 救いの輪

2016年08月20日 08時24分00秒 | うたごえ

これは一昨日 東京地方を猛烈な雷雨が襲った時の わがマンションの騒動記である

私は うたごえバスツアーの打ち合わせを旅行業者としている時 突然激しい雷とともに豪雨が来た

終わって 降りしきる雨の中をわがマンションへ帰ると 玄関付近で知った顔が4.5人集まっていた

 

あれっ 何かの話で盛り上がっているの?と聞くと そうじゃないのよと説明する

実は5階のベランダに 年配の男性が出ている 話を聴けば 部屋へ入れないそうだ

外へ出て 多分雨が吹きこまないようガラス戸を閉めたのだろう

 

ところが その拍子にカギがすとんと落ちて かかって終ったらしい 

何をしてもびくともせず 雨は降って濡れてしまい 困り果てていたようだ

助けを求めて下を通る人へ声をかけても 雨の音で掻き消えてしまったりする

 

 

向かいのマンションに郵便配達さんが来たようだ

ようやく気が付かれて事情を知る 玄関のカギでもあれば助けてあげられるのに持っていない

その方が親切にカギ屋さんに電話して そのことを伝えて帰って行ったそうである

 

この頃には下の住民や マンション出入りの方たちも数名となる

みんな自分の家に帰ることが出来なくなった 放っておけないのである

時たま 上を見上げて励ましたりする そしてカギ屋さんの到着を待っていた

 

そんなときに私が帰って来たらしい それからかなり待つもカギ屋さんは来ない

どうやら1時間以上経っていたのだろう 私が着いても 30分は待ったような気がする

郵便局の方が手配してくれたのだから 来ることは確かだ

 

ところで どこのカギ屋さんに頼んだのと聞くと 郵便局の方に聴いていないと言う

仕方なく 私が部屋へ戻り城東郵便局 この地域の本局へ電話して聴く

集配課のコールセンター なかなか出ない 10分くらいリ・コールを繰り返した

 

ようやく出て事情を説明すると 局員から報告を聴いていますと言う

その局員にどこへ頼んだか 聴いて頂けますか と言うと快く答え 折り返し電話があった

カギ屋さんの電話が分かった カギの救急専門業者だった

 

ここへ電話すると受けています 間もなく到着するでしょうと言う

再び玄関で集まっている皆さんに伝えた 5階のベランダに女性が大きな声で伝える

カギ屋さんが分かって もうすぐ到着するからね~がんばってよ~

 

しかし それから30分経っても到着しない

他所の車が玄関前を通ると 来たかな?とみんなで期待する

どれも違う たまりかねて私がまた電話する 出ています それだけの返事だ

 

ようやく業者が到着した かれこれ3時間近くになるらしい

マンションの玄関の鍵に特殊の装置で 入り口のカギを外す努力をしている

ところがピッキング防止装置の 二つの鍵だ 私の家とは違い はるかに困難のようだ

 

その上に玄関扉の裏側に何かが障害になって どうしても開かない

壊さないでが 第一の目標だが すでに業者でも30分以上はかかっている

壊すと それの後の措置 無論 費用も掛かる 

 

ベランダの戸を壊せは早いけれど そちらの方が修理が大変だ

他人事とはいえ 見放しては帰れない お金は仕様が無い

壊してでも開けて と みんなでお願いする

 

 

ようやく錠を壊して家を開けることが出来た

部屋へ入って行って ベランダの戸を開け 男性を中へ入れることが出来た

雨で良かった かんかん日照りだったら 水分不足で熱中症になってしまう

 

それにしても 数名の女性の方たち やはり下町人情の深さがあると 改めて思った

それぞれ部屋へも帰らず 男性を励まし 業者到着を一緒に待つ思い遣りが素晴らしい

そして 城東郵便局の集配の方 本業が忙しいのに有難う 受付の方も優しかった

 

くれぐれも ベランダに出たら 少しは隙間を作って置くようにね

自分にも言い聞かす 古いマンション こんなこともあるので ブログにも書いた

もっとも 皆さんの家は そんな心配の要らない 瀟洒な家だったっけ(笑)

 

 

 

       最後までお読みくださいまして有難うございました m(_ _)m

 

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遥かな地 ガイド語れば 旅誘う

2016年08月19日 08時31分36秒 | 旅行

旅に出て ガイドさんのお話は 惹きこまれるものがある

地域の歴史や風習 言葉 その他 郷土料理まで及ぶ

観光土産など ガイドさんが触れれば それを求めてお客様が我先にと買いに急ぐ

 

こんな話を聴いていると 私の添乗員時代も重ね合わせて 親しく興味深く聴いている

私もガイド無しツアーが多く 観光ガイドも兼ねて お客様から喜ばれた

お勧めのお土産など語れば いっぺんに売り場から消え 店長などが驚いていたものである

 

毎週木曜日は 鹿児島のFM銀河 てんがらもんラジオを聴く

和やかなシニアのパーソナリティが進行し 全国のリスナーさんの便りなども紹介する

のびたさんの声などと 読み上げられたら 恐縮してしまう

 

てんがらもんラジオ 録画放送 スタジオ風景も見られます

http://www.ustream.tv/recorded/90598263

 

今回のゲストさんは 何回か出演している地元の観光バスガイド 向井さんである

鹿児島市から南薩半島にかけてガイドし始めて 昨日は3回目だ

何か緊張している 前回 地名を誤って伝えて 地域の方から指摘を受けたそうだ

 

私ならこんな誤りは多数あり あははと笑って謝り さらに親近感を強めてしまう

彼女はお人柄が誠実で まじめに考え込んでしまうのだろう

私も 同じような仕事をしてきたから 聴いていて頑張れと思わず声にならないエールを送る

 

 

南薩半島の指宿あたりまでは 前回までに知られざる話などを聴いていた

今回は更に半島南端を西に辿る 私たちも台風などでは良く聞く 枕崎 が最初の最寄地であった

JRでは日本の最南端の駅で ゼロ起点駅でもある

 

 

ここはカツオ料理が有名で 駅前に 美味しく食べられる店があると言う

ガイドさんが美味しいと言えば それは各地の味を極めているから 素直に信じても良い味だ

ビンタ料理 ネーミングが面白い カツオの頭の部分が どーんと皿に盛られている

 

 

この近くの海岸に 火の神公園がある 目の前にたてがみ岩があり 写真スポットでもある

 

 

公園の中に平和祈念展望台がある そこには戦艦大和殉難鎮魂碑がある

戦争中 劣勢が続く日本の海軍の救世主の様に造られた 世界最大の戦艦である

この地の沖合で 願い虚しく他の船と共に撃沈された

 

 

最近になって タイタニックの姿を海底から撮影した会社が 戦艦大和の眠りも確認したのである

それを契機にここに鎮魂の碑が建立された 3000人の乗組員のうち助かったのが276名と言う

実は 広島の呉市 ここで建造されたが そこに戦艦大和ミュージアムがある

 

全体模型もあるが 実寸で完成させた船の艦橋部などが 雄姿を見せている

映画 戦艦大和 は この実寸大の一部を使い撮影され 私は現地で試写会を観た

ツアーが組まれ 大和を偲び 江田島の基地も見学したものである

 

 

海ゆかば この歌が全編に流れ 歌詞がジーンと胸にしむ 

8月は戦争と平和を改めて思う月 平和祈念をここに来たら 更に思うだろう

海岸線をさらに西へ進むと坊津へ着く 鑑真和上(わじょう) の日本上陸の地でもある

 

 

7~9世紀に遣唐使がここから出発したことは 昔 歴史で教わった記憶がある

日本から唐に渡った留学僧の依頼を受け 鑑真は日本へ来ることを決意した

当時の船 荒海を乗り切れず5回も失敗して引き帰し その間に眼も殆ど見えなくなった

 

 

6回目にしてようやく日本へ来られた この極限の尊い信念が信者ならずとも手を合わす 

奈良の東大寺で5年 唐招提寺5年で生涯を終えた

坊津には くらはま荘という豪邸が現存している

 

 

もとは旅館を経営していたとのこと 現在では内部を見られないらしい

からくり屋敷の様でもあり その歴史を知ると興味が深くなる

この地域全体は 江戸時代 中国や琉球など海外貿易が盛んであったが それは密貿易でもあった

 

長崎だけが 鎖国政策で唯一世界に門戸を開いていた港だが この地では正式に認められない

島津藩が実権を握り 貿易船があくまで食料などの寄港地として体裁を保ち 裏では貿易で盛んだった

さすがに幕府に知られることにより 大がかりな手入れがあり 各地へ逃れたり寂れていった

 

 

007の映画もここで撮影されたのよと 楽しそうに語っていた

あまり好きな分野ではないが 007は2度死ぬ 多分 この映画は見たような記憶がある

こんな感じに 現職ガイドの向井さんが語ると 私の旅ごころは一気に誘い込まれてしまうのだ

 

写真は全てお借りしました

 

 

       最後までお読みくださいまして有難うございました m(_ _)m

 

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郷愁の 音色胸打つ ハーモニカ

2016年08月18日 09時06分35秒 | うたごえ

ハーモニカの音色は どことなく哀愁もあり 日本人の心に染み入るものだ

私の記憶に残る映画のワンシーン 高倉健さんが出演していた ほたる がある

故郷の空 と言う曲をハーモニカで演奏していた 特攻隊のいのちある日の時間だった

 

昨日 下町のうたごえ 何年かぶりに パーモニカを皆さんの前で披露した

以前は 添乗員時代 毎回ツアーの途中で あるいは帰りの車中で演奏して 皆さんが感動する

少し疲れた身体に ハーモニカの音色が心地良く届いたのだろう 感激して涙さえ見せる方も居た

 

 

お寺の住職さんがお客様の時 ぜひわが寺の施餓鬼法要に来てほしいと依頼された

大勢の檀家さんの前 大きな須弥壇の前で演奏したり 皆さんを歌わせた想い出がある

ボランティアの中では キーボードの伴奏の他に ハーモニカで伴奏すると高齢者の顔がほころぶ

 

ハーモニカも劣化する 音が悪くなるので 買い替えてきた数は人生でかなりの本数になる

現在あるのも決して良くない そのため最近は演奏しない 

知っている方は たまに聴きたいねと言う しばらくぶりに吹いて見ようかと思ったのである

 

 

披露した曲はいずれも一番だけ 早春賦 荒城の月 そして 影を慕いて

演奏を始めると し~んとしているが 誰かが小さな声で歌いだすと 皆さんも一斉についてくる

歌詞が無くても 皆さんが歌える曲 これか゛ハーモニカの選曲で喜ばれるものでもある

 

添乗の時は 中央高速の松本インターを降りて 安曇野や上高地方面に向かう時に演奏する

早春賦 歌の背景にある 安曇野などを説明して ハーモニカを聴いてもらうと皆さん驚く

ツアーのサプライズでもあり 大概の方は感動して バス車内がし~んとなるのだ

 

東北道では白石インターのあたり ここでは古賀政男さんのデビュー曲 影を慕いて

まだ若くて売れない頃 失意の彼が友人と共に訪れた青根温泉 死への思いで山の中へ分け入る

友人が必死の思いで探し 倒れている彼を見つけ これを機に名曲の数々が生まれたのである

 

仙台や会津若松を訪れた時は 荒城の月 を演奏する

土井晩翠の作詞だが 曲の背景のイメージは一番は鶴ヶ城 三番は青葉城である

こうして 各地を巡るとき土地に因んだ曲を 癒しの曲には あかとんぼ などであった

 

私が東京へ出てた来たとき 生活は極貧であったが 唯一 義兄が訪れる時があった

私を可愛がって 小学五年生の雑誌を買ったりしてくれた この付録にも目を輝かせたものである

時折はカバヤのキャラメルも買ってくれた 野球カードの他にハーモニカの当選があった

 

 

これが私とハーモニカの出会いである ずっと大切にして吹いていた

中学卒業と同時に高校は定時制を選んだ 町工場で油まみれになって働いた

給料が貰える 一回目は全部母に渡した 以後は一部を生活費にして貰う

 

そして待望の新しいハーモニカを買うことが出来たのだった

青春時代のハイキングなどには 必ず持って行き 山の上で演奏して喜ばれた

やがて 孤児院との出会いがあり 子供たちへノートや鉛筆 木琴なども買って持って行くようになる

 

私には親が居る 一緒の生活をしている

そして 数人のグループで 山へ行き 音楽会も行くことが出来る

この子供たちとの出会いが ボランティアの初めでもあった

 

 

昨日のリクエスト

 

赤いハンカチ 夕陽の丘 真夜中のギター 好きになった人 あざみの歌 みだれ髪

太陽のくれた季節 峠の我が家 四つのお願い あなたと共に いい日旅立ち

贈る言葉 高校三年生 白い花の咲くころ 惜別の歌 人を恋うる歌 たんぽぽ

 

涙くんさようなら 花(沖縄) 芭蕉布 琵琶湖周航歌 埴生の宿 坊がつる賛歌

森の水車 森へ行きましょう 喜びも悲しみも幾年月 切手の無いおくりもの

ウルトラマンの歌 月光仮面 鉄腕アトム 

 

私が13年間代表者を務めた 童謡唱歌うたう会 同窓会だね(笑)

 

 

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トチるたび ボケの進行 不安増す

2016年08月17日 07時09分19秒 | うたごえ

早とちり 物忘れなら 新記録・・・今日の川柳

オリンピックに負けず わが記録は 日々更新中である

それは 相変わらず 早とちりや物忘れである

 

まだ忘れるうちは良い方だ 一度は覚えたのだから それは大したものである

わがデータボックスには インは少なく アウトが漏れっぱなしだ

大容量なら心配ないが 多分 時代遅れの脳力である

 

トチることを書いたらネタの量はいっぱいある

そのトチッたことも 忘れているから 相当あるに違いない

そのたびに ボケが進んだかと思うが そんなに悩まず すく゛忘れる

 

 

昨日は 忘れたことではなく 思い込み 早とちりの方である

わが愛車 昨年10月に接触事故 幸い双方 怪我もなく 車に傷跡が残った

左前方下部が 歪んでいて 目立つから 気にすれば気になる?

 

フロントガラスに9月の表示が貼付してある

そろそろ車検か お金がかかることが最大の悩みだが 避けることは出来ない

東南アジアのある国なら 動けば車検なんて無い 日本は厳しすぎると心ではブツブツ・・・

 

一部 修理しないと車検は通らない 全部直したらかなりかかるだろう

そんな心配をしながら オートバックスに行った ディーラーよりは安かろうと・・・

とりあえず 最低の修理でいくらかかるか 全部修理ならいくらだろうか依頼して預けた

 

 

10分もしないうちに 携帯に電話が入った

あれっ 早いね と思いながら受付に行った

あのですね 車検は来年ですよ と言って笑っていた

 

私が見たのは 定期点検のステッカーで フロントミラーの陰に車検のステッカーがあった

そして修理の見積もりは 車を預かって 分解してみないと正確に出せない

そのために一週間ほどかかりますがと言う

 

ああ しまった 勝手にとちって 車検が来月と思い込んでいた

高額な車検はとりあえず回避できる それでも問題は修理が残っている

バンパー全部取り換えると それだけで15万円はかかると言う あ~あ~

 

直さなくとも走行には支障が無いので まだ このままにしておこう

その上 今の私の予定は週に2.3日 何かの予定があって 車が無ければ無理である

本音の理由も伝えて 複雑な想いで帰ってきた

 

 

今日は下町のうたごえ 器材の準備は出来た

心配していた台風が 予想より早く東京を通過 今は青空も見えている

うたごえが ボケの進行を抑え 私に笑顔と元気を充電してくれるから楽しみだ

 

 

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妹の 声が聴きたい 一周忌

2016年08月16日 07時53分24秒 | うたごえ

4人の子供を抱えて 生活を支える為に働いていた妹

そのころの妹は 肝っ玉母さんのようであった

愚痴などは聴いたことが無い 明るい性格で周りからも好かれている

 

私と一番気の合う兄妹 暇が出来たらぶらりと車を走らせて行き 他愛ない話をして帰る

誰にも話せない私ごとも 妹に話して理解を求め 共感を得てホッとする時もある

小学校低学年の時の 極限の貧しい時代 食べるものもなく栄養失調に陥っていたころがある

 

 

父は出稼ぎに行って 私にはもう会えなくなると諦めたほど私は痩せ衰えていたそうである

同じような妹と ある晴れた日 空を見ていたら 二人とも幻覚に襲われた

見るもの全て怪しく流れたり異様な色彩の連続 輪郭のはっきりしない生き物などが襲う

 

母にすがっていてもまだ襲う 母も手を付けるすべも知らず 二人の手をひいて村の寺へ行った

いつの間にか幻覚は消えて行った 成長してから 母もともすると 幻覚へ迷い込みそうだったと語る

そんな二人の思い出などを語りあうこと 他人に話しても信じては貰えないだろう

 

私と同じように歌が好きだった 二人で抒情歌なども歌ったりしたものである

だが いつの間にか 彼女はカラオケ教室へ通うようになった

演歌の世界は私とは離れたもので 決して 良いねとは思えない時期があった

 

それが めきめきと上達して 出場する大会で グランプリを何度も受けるようになる

いつしか私も 演歌も好きになって行き 大会のたびに応援に行った

結果は最終であり その前に帰る 優勝したよの嬉しそうな声が 翌日電話の向こうで弾んでいる

 

 

6年前 思い出も薄れ かすかな記憶の田舎 行ってみたいと言う

私も信州・高遠の山奥 車で行けるが 家の合った場所まではわからない

兄は記憶していると言うので誘い 3人で60数年前のふるさとを訪ねた

 

この林の奥が家の有ったところ 指差した先はゴルフ場の片隅だった

ここに埴生の宿があった ようやく雨風を凌げる屋根 隙間だらけの家は冬は雪が舞い込んで積る

空腹のときは 雪にしょうゆをかけて食べた こおろぎも 桑の葉も つつじの花も食べた

 

斜面の奥に家があり 月夜の晩のある日 外で歌を歌ったそうだ

母に聴いたことがある その声が下の村に聞こえて行って 翌日 村の話題になったよと言う

そうか ここが私たちの居たところ かすかな記憶と重なる 感慨がひとしおだった

 

田舎を訪ねた帰りに3人で・・諏訪湖SA

 

田舎へ行った3年くらいあとから 妹の目が急速に衰えていった

昨年などは 歩いていても信号が判断できない 見る世界がすべて歪んで見えるという

それでも好きなカラオケ 歌詞が読めないから 1番だけ歌うものを選曲して申し込んでいた

 

こんな時でも 人生を嘆いたり 目の見えない嘆きを口にはしていなかった

2.3度 車で房総など連れて行ったことがある 目が見えないではどうしようか思っていたのが昨年夏

9月になって 突然 義弟から電話 妹が急逝した 俄かには信じられないことだった

 

亡くなる寸前まで 近所の方と元気に話していたとのこと

遺体のある部屋にカレンダーがある 先の予定にカラオケ大会出場の大きな〇印が記入してあった

たまたま車に積んである キーボードを持ってきて 枕もとで私が演奏した

 

母や父 姉 弟 何回となく歌った讃美歌としての 真白き富士の根 である

聴こえるかい? お前一人に聴かせるからね

告別式では 歳甲斐もなく 号泣してしまった 母の時でも涙だけだったのに・・・

 

私のうたごえバスにも3人で参加した あざみの歌の八島湿原

 

昨日は 一周忌法要 車で埼玉まで行った

なんだか まだ他人事のように思える

部屋の妹の写真は 今にも私に語りかけそうだ 一緒に歌いたいね・・と

 

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