大河ドラマ せご(西郷)どん も いよいよ大詰め 西南戦争を含めて あと数回で終わる
思えば 生い立ちの頃からの 大久保利通との維新までの友情 葛藤が通り一編の歴史認識に色を添えてくれた
結果は若手いるのに 時代時代の推移が楽しく 関連する人物や事件なども 興味を深めて行ったものである
この二人の友情・対決がクローズアップされて もう一人の名が有ったのは忘れそうである
一時は 薩南の三傑と称された 税所篤(さいしょ あつし)の存在である
貧しい藩士の息子だったが 実兄が篤清が吉祥院住職として島津久光の寵遇を受けたことから 暮らしは好転した
ドラマで月照と西郷が鹿児島湾に入水(じゅすい)した際 月照は亡くなり 四十九日法要は その吉祥院で行われた
この事件で西郷は奄美大島に流されるが 手紙を書いたり物資支援を送ったのが この税所篤である
大久保利通にとっても 税所篤は 彼の存在で維新の主役を支えた人物でもあった
この絵図の左上あたりに 南泉院が位置している 探してみて下さい(笑)
吉祥院は 当時 鹿児島の鶴丸城の域内にあった 南泉院の末寺である
この南泉院こそ 徳川家康を祀る 東照宮とも言えるものだった
何故 鹿児島に東照宮か? それは外様大名が地位を侵されず 生き残る策でもあろうか
日光の東照宮から勧請(かんじょう)して この地に 歴代将軍の位牌と共に祀る廟を建立した
東京・上野にある 東叡山寛永寺の末寺として 21代島津吉貴の創建による
幕府に忠誠心を示すためにも 家康100回忌 200回忌 には盛大に執り行われた
大雄山仏日寺南泉院と称号を賜り 寺領500石 天台宗藩内有数の大寺院となっていた
明治初年の廃仏棄釈によりことごとく打ち壊されてしまった
政府の方針もあるが 各地の不満分子の矛先となり 歴史を誇る建物も 仏像も 破壊の対象となった
私個人としては 明治維新で残念なことは 廃城令と廃仏毀釈である
お城は封建時代のシンボルとみなされ わずかに生き延びたものもあるが 歴史的建造物が破壊されたのである
併せて 廃仏毀釈は 宗教的遺産でもある仏像 経典も破壊 僧侶なども転職を余儀なくされた
南泉院の存在した場所は 現在の照国神社の境内に近い
寺院そのものは 破壊されたが 墓などは これを守る方もあって現代に引継ぎ お寺も再建された
ドラマの展開と共に 今年は 維新を中心とする現代史を 知らずのうちに 私たちは学んできた
これらの話は 昨日 FM銀河・てんがらもんラジオで ゲスト 伊敷歴史研究会の池田会長の話しをまとめたものだ
もう少し 焦点を絞って欲しいと思った 一人の人物 一つの遺構 ある事件などを掘り下げることにある
確かに聴いたが 何かが印象として残るかが大切なことである 話や歴史が広範囲になると残るものも薄い
下町のうたごえ バンド コーヒーブレイク生伴奏 in 本所地域プラザ
のびたがリーダーのバンド 40年以上続けています 私はキーボードとトーク
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