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世界と日本のボーダー文化

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ロベルト・コッシーのキューバ紀行ーー2015年(8)キューバとアメリカ(その2)

2015年10月11日 | キューバ紀行

(写真:キューバの花、ベダド地区)

(4)キューバとアメリカ(その2)

越川芳明

1991年以降、米国からキューバへの渡航は、家族訪問を目的とするキューバ系アメリカ人だけに限られていたが、国交正常化の動きに合せて2015年から、渡航目的が学術、芸術、取材、人道支援、スポーツ、貿易など12の分野に拡大された。  

だが、渡航規制は、すでに2014年の夏に緩和されていた。おそらく試験的に。  

ハバナの閑静なベダド地区にあるマンションに映像作家ミゲル・コユーラ(1977年生まれ)を訪ねたときだった。彼はグッゲンハイム奨励金を得て、ニューヨークで暮らしながら、『セルヒオの手記————ユートピアからの亡命』(2010年)を完成させ、それはサンダンス国際映画祭でプレミア上映された。その後、数々の賞も受賞したが、奨励金が切れて帰国していた。  

彼のスタジオ=自室を訪れたのは、次作『コラソン・アスール(青い心)』の中に、彼自身が作った日本風アニメが出てきて、日本語による吹き替えを頼まれたのだ。2、3個の短いセリフだが、映画全体の説明をしてもらい、その問題のシーンを見せてもらい、スペイン語で書かれた紙を渡され、それを自分なりに日本語に訳して映像シーンに合わせる。日をあけて2日間訪れて、作業に付き合った。還暦を過ぎてからアニメの吹き替えをやるなどとは、夢にも思わなかった。しかも、自分の娘に殺される父親の役だから、もの好き以外のなにものでもない。  

2日目には、彼の家に頻繁に電話がかかってきて、作業は何度も中断を余儀なくされた。ミゲルによれば、研修の名目でキューバにやってくるアメリカ人だという。

『セルヒオの手記』は、自由を求めて米国に亡命したキューバ知識人を扱ったものだ(1)。主人公は、亡命先の米国でも自分の居場所を見いだせず、宙ぶらりんの状態のまま人生を無為に過ごす。キューバも米国も、どちらもユートピアになり得ないという意味で、両国の関係史を論じるには格好の「テクスト」かもしれない。ハバナでの映画鑑賞や監督との質疑応答などをリストアップして学術研修会の形を取り、それを渡航理由にするのだろう。ミゲルによれば、マイアミから船で毎週のようにやってくるのだという。  

これは2014年夏の話である。その年末に、海外からの観光客は、過去最高で300万人を超えた。『グローバル・トラベル・ニュース』によれば、国交正常化のニュースが出て以来、観光客はさらに急増しているという。キューバ統計局(ONEI)は、2015年の上半期の外国人旅行者がすでに170万人に達し、前年比で15.3%増である、と公表した。とりわけ、5月は24万人弱の外国人が訪れ、それは前年比で21%増である、と。夏には、さらなる増加が見込まれるので、年間でも前年を上まわるに違いない。  

いまのところ、得意先はカナダ、ドイツ、フランス、英国、イタリア、アルゼンチン、ベネズエラなどである。だが、これから米国が上位に食い込んでくるのは必至である。フロリダからの船便に加えて、ニューヨークから格安航空会社の「ジェットブルー・エアウェイズ」がチャーター便を飛ばしている。ロサンジェルスからもアメリカン・エアが2015年12月からチャーター便を週一便だが、飛ばすことを決めた。

 チェ・ゲバラが誰か、知らない若者が増えている。いつまでも、「革命の国キューバ」というコンセプトにあぐらをかいているわけにはいかない。あるいは、リゾートビーチだけがウリではない。観光省は自然を楽しむエコツーリズム、学会研修、アウトドア、文化・歴史遺産など、旅の多様性を打ち出して、外国からの集客に躍起になっている。  

観光業が主要産業であるキューバにとって、外国人観光客の急増は好ましいことにほかならない。だが、世界がどんどん均質化(アメリカ化)していくなか、マクドナルドとスターバックスがまったくない街並みには、それなりに魅力はある。  

だが、あの海岸通りに、ふたつ会社のロゴが掲げられ、そこに外国人観光客や成金のキューバ人がたむろするようになるまで、そう時間はかからないかもしれない。

註 1 

この映画は、エドムンド・デスノエスの小説(『大開発の記憶』)に基づく。デスノエスの前作を基にグティエレス・アレア監督が制作した『低開発の記憶』では、キューバに取り残された知識人を語り手にしている。キューバでも宙ぶらりんの状況は一緒だった。つまり、「キューバのブルジョアのことを考えるたびに、口から泡を吹くほど腹立たしくなる」とアメリカに影響されたブルジョワ的価値観を否定しながら、かといって、語り手の「僕」はキューバ革命の社会主義的イデオロギーを信奉しきれない。アメリカ資本主義の虜になって亡命に走る者たちを愚かだと感じるほどにはインテリだが、しかし政治活動に走るタイプではない。いわば、どっちつかずの非政治的なダメ男。自虐のユーモアがデスノエスのお家芸だ。

 

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