越川芳明のカフェ・ノマド Cafe Nomad, Yoshiaki Koshikawa

世界と日本のボーダー文化

The Border Culture of the World and Japan

海外の長編小説ベスト10 ヴァージョン02

2008年04月09日 | 小説
海外の長編小説ベスト10(解説つき)
越川芳明(アメリカ文学・ボーダー文化論)

1コーマック・マッカーシー(黒原敏行訳)『血と暴力の国』(扶桑社文庫)
『すべての美しい馬たち』をはじめ、国境三部作で九十年代にブレークした作家によるクライム小説。舞台は米国とメキシコの国境地帯で、ドラッグ・マフィア、ベトナム帰還兵の夫婦、動機なき殺人を繰り返す狂人、凡庸な保安官などが絡み、国境地帯が血と暴力の舞台と化す。ポストモダンの小説らしく、物語は複数の視点によって断片的に、テンポよく語られ、息をつかせない。マッカーシーは、現代版の「西部劇」を開拓したとの高い評価を、SF作家たちからも得ているが、「正義」も「悪」もなくなってしまうこの小説も、ポストモダンの「西部劇」とみなすことができるかもしれない。コーエン兄弟によって映画化され、『ノーカントリー』の邦題で公開中。

2ブルース・チャトウィン(芹沢真理子訳)『ソングライン』(めるくまーる)
イギリス出身の著者は、オーストラリアの先住民アボリジニの独特な世界観と記憶システムとに興味をもち、その探求の成果をこのような素晴らしい書き物に残してくれている。チャトウィンは、「砂漠」のノマド(放浪者)なので、中央オーストラリアの乾燥地帯をほっつき歩いた。そして、「人類のふるさとは砂漠にあり」という結論をひきだしてくる。「もし砂漠が人類の故郷なら・・・、われわれが緑なす牧場に飽きてしまうその理由を、所有がわれわれを疲弊させるその理由を、パスカルが人は快適な寝場所を牢獄と感じると言ったその理由を、容易に理解することができるだろう」と。


3オルハン・パムク(和久井路子訳)『雪』(藤原書店)
9/11以降に急激に欧米で読まれだしたトルコの現代小説家の作品。現実の細部を覆い隠すという意味で、この小説の真の主人公ともいえる「雪」は、少なくとも二重の意味を与えられている。ひとつは、42歳の詩人Ka(本名はケリム・アラクシュオウルだが、匿名で生きることを好む)が緑色のノートに書き取ったとされる19個の詩からなる詩集のタイトル。しかし、そのノートはKaの暗殺とともにどこかに失われてしまい、詩人の残したメモ書きなどによって、語り手の「わたし」(オルハンという名前を持つ)が、探偵小説の探偵よろしく、その詩集の内容を詩人の行動と共に再構成しようとする。それがいまわれわれの前にある小説『雪』である。

4フアン・ルルフォ(杉山晃・増田義郎訳)『ペドロ・パラモ』(岩波文庫)
メキシコのガルシア=マルケスとも称される作家。というか、ガルシア=マルケスをコロンビアのフアン・ルルフォと呼ぶべきか。この物語は、人生しょせん元の木阿弥に帰すような、メキシコ的宿命論に貫かれており、全体に幻想が漂う。メキシコのロードノヴェルは、楽天的なアメリカ文学のそれとは違って、あの世への旅の往還なのである。主人公フアン・プレシアドは、死を前にした母親から自分たちを捨てた父親、農園主ペドロ・パラモに会って、おとしまえをつけるよういわれ、コマラという町に旅をする。だが、そこは「死者の町」だった。以前にも映画になっているが、いままた映画がメキシコで製作中であり、『アモーレス・ペロス』のイケメン俳優、ガエル・ガルシア・ベルナルが主演を演じるらしい。

5マーガレット・アトウッド(鴻巣友季子訳)『昏き目の暗殺者』(早川書房)
四つの語りのレベルが存在する。一つは、八三才の老女アイリスの語る一代記。二つ目は、地方新聞の記事やゴシップ誌の切り抜き。三つ目は老女の妹ローラの作とされる不倫小説『昏き目の暗殺者』。四つ目は、その不倫小説の主人公が語る猟奇的SFファンタジー。なかでも、物語として面白いのは、四つ目のパルプ的感性豊かなジャンクフィクションであるが、アトウッドはその他の語りを通して、二〇世紀のカナダ史の暗い側面――大恐慌の時代において、移民や難民や労働者を“アカ”といって排斥するだけでなく、ヒットラーの台頭を讃美しさえする――を語るという壮大な企図があった。

6ピーター・ケアリー(宮木陽子訳)『ケリー・ギャングの真実の歴史』(早川書房)
19世紀の半ば、まだイギリスの植民地であったころのオーストラリアの南東部、メルボルンのあるあたりの未開の奥地(ルビ:アウトバック)を舞台にした小説。著者は『イリワッカー』(1985年)や『オスカーとルシンダ』(1988年)など、虚実をないまぜにした幻想的な「歴史改変小説」によって、英語圏のガルシア・マルケスとも目される作家だが、本作はかれの最高傑作だ。アボリジニの精神世界だけでなく、流刑になったアイルランド人たちの伝説もまた、オーストラリアの誇るべき文化の一つであることを示し、ポスト国家主義の時代のクレオール性を見事に表現した。

7アラスター・グレイ(森慎一郎訳)『ラナーク 四巻からなる伝記』(国書刊行会)
スコットランド随一の現代作家による、ギガノヴェル。4巻からなる、あるスコットランド人の「伝記」。第1巻と第2巻はダンカン・ソーという冴えない美術学生について、作家の自伝的な事実にほぼ忠実に描かれたリアリズム小説。一方、第3巻と第4巻は、ラナークという男の精神の彷徨を描くSFファンタジー。ラナ―クの物語の中に、ダンカン・ソーの物語が内包されるという、ポストモダンのメタフィクションとしての仕掛けがあるが、エリオットやジョイスなどのモダニストがまじめにやっていた引用行為を博学ひけらかしのおふざけに転嫁してしまうなど、さまざまな奇想に富む。

8ドン・デリーロ(上岡伸雄訳)『コズモポリス』(新潮社)
主人公は、高級リムジンに搭載したコンピュータディスプレイの上を流れる数字の列を見ているだけで、たちどころに金利や株価の予想ができてしまう超エリートの投資アナリスト。ポータブル・キーボードを叩く瞬時の指の動きで、弱小経済に苦しむ国家の一つや二つぐらいあっさり破産させてしまうほどのパワーをもつ。いわばサイバー資本主義社会の「勝ち組み」の一人。この小説の最大の皮肉は、グローバリズム時代のグレート・ギャッツビーとも称すべきこの成り上がり野郎も、最後は資本主義のパラドックスに絡めとられてしまうということだ。

9リチャード・フラナガン(渡辺佐智江訳)『グールド魚類画帖――十二の魚をめぐる小説』(白水社)
十以上の章のそれぞれの扉に、魚の絵が描かれているが、すべて小説の舞台であるオーストラリア本土の南に位置するタスマニア地域に棲息する魚たちだ。語り手であり絵の作者でもあるグールドは、ゆえなき罪状で海の独房に入れられ、或る啓示を得る。科学者であれ山賊であれ、植民地支配者であれ囚人であれ、みな魚と同じだ、と。植民地時代のオーストラリア史を声なき囚人の側から書き換える「悪漢小説」であり、蒸気機関車にはじまり現代のハイテク産業へと繋がる欧米の産業資本主義文明を批評する、すぐれた「ファンダジー小説」であり、博物学的な構成をもつ奇書である。

10レイナルド・アレナス(安藤哲行訳)『夜になるまえに』(国書刊行会)
このたび、わけあって本書をじっくり再読したが、最初のときもそうだったが、時間の経つのを忘れた。自伝として、ホモセクシュアルとしての率直な告白(ペニスというコトバが何度でてくることだろう)だけでなく、容赦ない、しかしユーモアのあるカストロ体制批判が頻出する。とはいえ、リリシズムに貫かれ、自然や人間に対する洞察が的確。キューバの同時代作家カルペンティエールを非人間的なコンピュータみたいな人と称し、一緒にいて気のめいる思いをしたといい、親カストロ派のガルシア=マルケスを日和見主義者と切り捨てる。反対に、カストロ政権下で耐えるキューバのゲイの先輩作家たち、『パラディソ』のホセ・レサマ=リマとビルヒリオ・ピニェーラをおそろしいほど高く評価する。余談ながら、『苺とチョコレート』のディエゴの部屋にも、敬愛するホセ・レサマ=リマの写真が貼ってあった。

番外編
カズオ・イシグロ(土屋政雄訳)『わたしを離さないで』(早川書房)
架空の未来人間たちを扱っていながら、イシグロはそれらの人物に降りかかる出来事について、細かいディテールを積み重ねることで、かれらが血と肉の備わった、そして魂も有するかけがえのない一個の人間たちであることを、圧倒的な説得力をもって知らしめる。クローン羊ドリーの誕生が報じられたのは、一九九七年二月のこと。学者の中には、無脳症のクローン人間の開発を唱える人もいるらしい。遺伝子工学の先端問題を論じる科学者たちに欠けているのは、「見えない人間」たちの視点に立つことである。イシグロは小説家の想像力を駆使して、未来人間の「心」を書いた。

フィリップ・ロス(上岡伸雄訳)『ダイング・アニマル』(集英社)
語り手ケペッシュは七十歳の大学非常勤講師。二〇代で一度結婚しているが、「二度と結婚生活という牢獄に入らない」と決めた。ケペッシュは「軍隊と結婚、どちらも私が嫌悪する制度だ」という。それ以降独身主義者を貫き、自分の教え子たちと奔放な性愛を楽しんできた。メインとなるのは二十四歳のキューバ系の美女コンスエラ・カスティーリョとの出会い。その「ゴージャスな乳房」にケペシュはマイってしまう。老人の「性」やエージングをテーマした本書は、たんに性に耽溺した男の痴話ばなしではなく、「枯れる」ことをよしとしない老人の抵抗の書だ。

(『考える人』(新潮社)2008年春号のアンケート回答に、「解説」を添えました)


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