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ロベルト・コッシーのキューバ紀行(16)年末は、アフロの儀式の連続

2015年10月30日 | キューバ紀行

(写真)ボベダ・エスピルアル(聖水のコップ)

年末は、アフロの儀式の連続

  キューバのハバナに来てまだ2週間だが、年末は儀式がそこかしこで行なわれている。

 儀式といっても、キリスト教みたいにどこか決まった教会や礼拝堂でやるわけではない。民家の中でプライベートにおこなうので、つてがないと入れない。

 私が泊まっているのは、ニューヨーク・シティのロア・イースト・サイドみたいに、道路はごみだらけで人でごった返すハバナの下町。

 私のために「オルーラの手」という入門式をおこなってくれた司祭(ババラォ)は、二十歳ちかく年下だが、私の「パドリーノ(代理父)」である。

 そのパドリーノのパートナー(妻というと語弊がある。正式な結婚をしていないからだ)が民宿を経営して、そこが私の定宿になっている。

 だから、まるで私塾に寝泊まりしているようなもので、分からないところがあれば、すぐに師匠に訊くことができる。家で儀式があるときは身近で見ることができる。

 夜遅くハバナに到着した日に予約もなしに訪ねていき、泊めてもらった。お土産アディダスのスニーカーを渡して談笑していると、師匠が言った。

 「あさって、入門式がある。三日目のイファ占いだけど」

 ということは、きょう動物の生贄の儀式をおこなっていたわけだ。何を屠ったのか訊くと−−−−

 「雄鶏を8羽」という返事だった。

 12月4日(土)が聖女バルバラの祝日であることもあり、その週末には行事が相ついだ。

 カトリック教会の聖女バルバラはアフリカの小さな神様(オリチャ)の一人で、雷・火・太鼓などを司る「チャンゴ」と習合している。守護霊が「チャンゴ」である師匠の腹違いの妹の家で、夜遅くまでチャンゴに捧げるフィエスタがあった。

 そこは対岸の街レグラやカサブランカへ向かうフェリの渡しがあるハバナ湾のちかくにある集合住宅。それは、黒木和夫監督の映画『キューバの恋人』(1969年)の中で、若いハンサムボーイの津川雅彦がハバナの街で引っかけた(と思った)女性を訪ねていくアパートによく似ていた。四階にある部屋の入口に立っていると、満艦飾の洗濯物が干してある中央の吹き抜けの部分を、テレビの音や、誰かが人を呼ぶ声などにまじって、どこか下のほうの部屋で行なわれている太鼓(タンボール)の儀式の音や歌声が、まるで火山の噴火のように勢いよく下から突きあげてくる。

 実は、夕方、その近所でチャンゴに捧げる太鼓儀式があった。くだんの家に行ってみると、演奏はバタと呼ばれるサンテリアの太鼓ではなく、箱型の打楽器カホンと、ギラと鉦だった。キューバ東部のやり方だという。

 玄関から入った突きあたりの壁に、死者の霊に捧げる聖水「ボベダ・エスピツアル」が飾られていた。小さなテーブルの奥の方に、赤い服をまとった黒人人形が鎮座しており、葉巻が添えられている。面白いのは、宗教的な混淆をしめすかのように、中央の聖水の入ったコップの中には、磔のイエスの十字架が入っている。その他のコップにはバラの花が入っていた。中央の大きな花瓶には、薄いピンク色のグラジオラス、花弁の小さなひまわり、香りのよい白い花アスセナ、緑色のアルバカ、紅色のバラなど、色とりどりの花が飾られていた。壁に飾られたアレカと呼ばれる扇状の葉や、セドルの小枝と葉が鮮やかな緑の森を演出していた。彼らは都会の狭苦しい部屋を広大な緑の野原や森に変える創意工夫の名人である。

 翌日の夕方には「死者の霊に捧げるカホン」という憑依儀式があり、カホンや鉦の音、ラム酒や葉巻に誘発されて、神がかりになる人が続出した。

 儀式の最後のほうで、儀式をとりしきっていた司祭(サンテロ)自身が死者の霊に取り憑かれて、いきなり私を中央に引きずりだして、皆が取り囲むなかで、私のめがねを乱暴にはずし、死者の霊の口伝をほどこした。

 死者の霊が私に対して、現在の仕事のほかにもう一つ仕事をやっているのか、と訊く。私が小さい声でやっていると応じると、現在か将来においてそうとう金が儲かるという、うれしいお告げだった。そのためにも、亡くなった祖父のために、花やろうそくや線香を捧げる必要がある、と司祭は付け加えた。

 翌日には、私が泊まっている民宿の居間で、ある女性の依頼で、師匠が女性の娘の守護霊であるオチュン(愛や出産や黄金を司る神様)に動物の血を捧げる儀式をおこなった。女性の娘はスペインに住んでいるので、母親が代わりに依頼にきたのだ。師匠の若い息子も司祭として参加して、彼らは部屋の一角にゴザを敷き、イファの占いをおこなってから、雄鶏3羽と雌鳥1羽を生贄にした。それらの血をオチュン(黄色い容器)に捧げ、その後、その上に大皿を乗せ、カカリヤと呼ばれる白い石灰粉をまぶしたパンを添え、ろうそくを灯して1週間ほどオチュンに祈りを捧げるのである。

 その日の夕方には、小1時間ほどバスに揺られてマリアナオ地区に行き、やはり守護霊がオチュンである若い女性のために、ごみで汚れた川のそばで雌鳥の血をオチュンに捧げる儀式をおこなった。生贄にした雌鳥はそのままどぶ川に流した。

 これがほぼ一週間の出来事である。

 はたして、あの「死者の霊に捧げるカホン」の夜に、司祭が死者の霊に代わって私に語ってくれたことは、真実なのだろうか。

 キューバにはこういう諺がある。「真実は、嘘つきが語ったものでも、なんとも信じがたいものだ」と。

 真実とか嘘とか、そうした二分法の思考にとらわれると、ハムレットのように解決策のない泥沼におちこむ。私は真実であれ嘘であれ、ともかく司祭の有り難い言葉を信じることにした。

 

(「死者のいる風景——−ハバナの12月」『ミて 詩と批評』第117号、2011月冬)

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