今日も元気で頑張るニャン

家族になった保護猫たちの日常を綴りながら、ノラ猫たちとの共存を模索するブログです。

年頭の誓い

2020年01月08日 | ニャー
まずは本文最下段に貼り付けた過去記事をご覧下さい。昨年4月に書いたもの。
ニャーがストレスで生死の間を彷徨うまで追い詰めてしまった自分の反省文です。自分がどんなにひどい保護者だったか、恥を忍んでの再掲です。

「今年もよろしこ」:やっぱり新年はニャーからだ

あれだけ自分を慕っていたニャーに対する仕打ちでした。カーテンや壁紙を破かれても家をボロボロにされても、それは覚悟の上だった(ニャーはそんなことしないけど)。でも共同生活の仲間を敵視することだけは止めてほしかった。あのときの自分は、結果的にニャーの理解者でも猫族の理解者でもなかったのです。


この冬あたりからのんびり感が戻ってきた(テレビの裏にて)

テツの介護に明け暮れた最後の1年間にソトチビやみう、店ではニャーたちと出会い、過酷な生活と運命に翻弄されるノラたちを思いやるようになった。テツを失いニャーを迎えたときは少しでもノラたちの救いになればと行動開始。今では8匹の家族と暮らし、できる限り外のノラたちもお世話する。でも、自分は気付いていなかった。仲の良かったかつての3匹組のときは潜んでいた自分の本性が出ていたのです。

あらゆる生物の頂点に立つ人間は、他の動物たちを語るときに上から目線で見下すようになった。結局自分もそうだった。猫を理解する。ノラたちを救う。その言い方からしてそうなのだ。「ノラの矜持」「ノラの本懐」「猫には猫の事情がありんす」・・・いろいろ書いてきた自分が、本当に猫の気持ちをわかろうとしていたのだろうか。


「オジン、あまり難しく考えないでね」

正月の間に漠然と考えているうちにわかってきた。相手を理解する前にまずありのままを受け入れること。それが人間愛、動物愛の原点なんだ。ニャーたちは初めから全てを見ていた。普段は優しいけど突然狂いだす危うげな保護者として、彼らはありのままを否定することなくじっと見据え、そして受け入れてきたのだ。動物は人間のように嘘をつかないし自分自身を騙すこともしない。というよりできないからです。

キーワードは「対等」。能力や知識に関わらない命と命の対等。異質のものへの寛容。人種や文化が違う相手にはこうあるべきだと、いつも言っていることじゃないか。ああ、何だか自分が未熟でニャーたちが偉大に見えてきた。実は前出の反省の後も、さすがに実力行使は止めたけど「コラッ!」の一喝は続けてきた。でもそれを続ける限り、平和主義者のニャーたちと心底打ち解けることはないんだろうな。


勝手口外でのサクラの食事を見守る

まったく、自由なノラ相手にこんなことすればすかさず見放されてしまうだろうに。家猫は言わば虜の状態。それに乗じての上から目線は、人として如何なものかだ。正月の間に湧き上がったこの決意を、トシもトシだが何とか醸成させたいと思うのです。

なんて思っていたら、ニャーが4度目の冬にして初めて自分から寝布団の中に入って来た。今年は我々の関係がさらに発展しそうな、そんな予感を持てた正月でした。


猫団子にも参加してます(左からニャー、ポニー、シロキ)

過去記事(2019.4.13投稿)


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