騒動の後は私の部屋で暮らすことになったみう、まだまだ警戒心の塊ですが、たまにベットの上でくつろいでいる姿が。そんなみうを見ていると、やはり私の部屋を根城にしていたくものことを思い出します。
雲・・・いつもひらがなで書いてますが正式な名前は漢字の「雲」。子供たちが付けた名前で、その由来は写真を見れば一目瞭然。(色が雲) ハナより7才下、テツより2才下で、生まれて間もなく3番目のニャンコとしてわが家にやってきました。
プレーリードッグスタイルが得意だったくも
くもは、自分(私)と接している時間が一番長かったニャンコだと思います。何しろ冬も夏も寝るときはずっと一緒だったので。家に来た当初はテツ同様にハナを慕っていたくもが、ハナと袂を分けて私の部屋で暮らすようになったのは2年ほど経ってから。それからくもは、その生涯の殆どを私のベットで過ごすことになるのです。
ただ、私の部屋は3匹が憩いの場としていたベランダや屋根への通り道。他の2匹も頻繁に出入りしたので落ちつかなかったと思います。袂を分けてもハナと仲が悪いわけではなく、食事はいつも一緒、トイレは結局、最後まで一つを3匹で共用していました。
3匹の仲のよさに、当時はニャンコってそういうもんだと思っていた
(左からくも、テツ、ハナ)
くもが10才を過ぎた頃は(17才になった)ハナがあまり2階に行かなくなって、♀ニャン2匹は食事とトイレ、そして散歩のとき以外は殆ど別々の暮らしとなりました。テツはその2匹の間を行ったり来たり。
とにかくいつも私のベットにいたくも
(フリーのテツが頻繁にお邪魔に)
テツが若い頃はくもにじゃれかかって追っかけ回すことがしばしば。そんなとき小柄なくもは子供部屋(今は空室)のベット下に逃げ込んだ。当時のテツは大きくて入れなかったけど、晩年になって激痩せし、強制給餌を嫌がって今度は自分が逃げ込むことに。実はこの場所、今はニャーに追われたみうが逃げ込んでいるのです。
くもは殆ど鳴かない静かな子でした。よく聞けばだみ声のくも。鳴くのはよほどお腹が空いたときか、(リードで)外にいて中に入りたくなったときくらい。テツにしつこく絡まれたときは「シャー」も。
そんなくもが、10才を越えて間もなく甲状腺機能亢進症という病魔に侵されてしまいました。この病気はやっかいで、初めは一見元気に見えたりしてなかなか気づき難い。でも確実に痩せていき、病気が進むと食べなくなります。くもは早めに投薬開始したがそのせいか今度は腎不全を併発、さらには重度の黄疸症状が。先生によれば肝臓にも問題があるとか。
晩年は薬漬けだったくも、でもいつも静かで柔和な表情で、目立たないけど傍にいるニャンコでした。くもが15才になってハナが亡くなり、1階に居を移した頃、低温やけどで両肘を負傷したことがあります。毎日殆ど動かずにホットカーペットの上にいたためです。病院で先生に言われるまで、やけどだとは思いませんでした。
やけどと診断された痛々しい傷にもくもは無頓着だった
今にして思えば、その頃のくもはいつも物悲しい目をしていた。何か訴えたいことがあったに違いない。それに気づかなかった保護者は最悪だった。ハナが亡くなってから3ヶ月、くもは後を追うように逝きました。そして保護者の後悔が山のように残り、それは今でも続いています。
くも、倒れて最後に入院する2日前の表情
ガリガリに痩せて入院してもなお、戻ってくると信じて疑わなかったアホ保護者。そんな保護者を責めるどころかいつもやさしい眼差しで見つめていたくも。病院で(結果的に)最後の対面となった折に、自分に気づいて力を振り絞って立とうとした。くもの意識はしっかりしていたのだ。でもその翌日の早朝、くもは独りで逝きました。後で宿直の先生から、夜中に何回か鳴いて立とうとした、と聞いた。帰ろうとしたんじゃないかと。
「頑張れよ、また明日ね」と声をかけたのだが・・
くもはその名のとおり、これまでの私の人生における15年分を、浮雲が流れるが如く通り過ぎていったニャンコでした。
雲・・・いつもひらがなで書いてますが正式な名前は漢字の「雲」。子供たちが付けた名前で、その由来は写真を見れば一目瞭然。(色が雲) ハナより7才下、テツより2才下で、生まれて間もなく3番目のニャンコとしてわが家にやってきました。
プレーリードッグスタイルが得意だったくも
くもは、自分(私)と接している時間が一番長かったニャンコだと思います。何しろ冬も夏も寝るときはずっと一緒だったので。家に来た当初はテツ同様にハナを慕っていたくもが、ハナと袂を分けて私の部屋で暮らすようになったのは2年ほど経ってから。それからくもは、その生涯の殆どを私のベットで過ごすことになるのです。
ただ、私の部屋は3匹が憩いの場としていたベランダや屋根への通り道。他の2匹も頻繁に出入りしたので落ちつかなかったと思います。袂を分けてもハナと仲が悪いわけではなく、食事はいつも一緒、トイレは結局、最後まで一つを3匹で共用していました。
3匹の仲のよさに、当時はニャンコってそういうもんだと思っていた
(左からくも、テツ、ハナ)
くもが10才を過ぎた頃は(17才になった)ハナがあまり2階に行かなくなって、♀ニャン2匹は食事とトイレ、そして散歩のとき以外は殆ど別々の暮らしとなりました。テツはその2匹の間を行ったり来たり。
とにかくいつも私のベットにいたくも
(フリーのテツが頻繁にお邪魔に)
テツが若い頃はくもにじゃれかかって追っかけ回すことがしばしば。そんなとき小柄なくもは子供部屋(今は空室)のベット下に逃げ込んだ。当時のテツは大きくて入れなかったけど、晩年になって激痩せし、強制給餌を嫌がって今度は自分が逃げ込むことに。実はこの場所、今はニャーに追われたみうが逃げ込んでいるのです。
くもは殆ど鳴かない静かな子でした。よく聞けばだみ声のくも。鳴くのはよほどお腹が空いたときか、(リードで)外にいて中に入りたくなったときくらい。テツにしつこく絡まれたときは「シャー」も。
そんなくもが、10才を越えて間もなく甲状腺機能亢進症という病魔に侵されてしまいました。この病気はやっかいで、初めは一見元気に見えたりしてなかなか気づき難い。でも確実に痩せていき、病気が進むと食べなくなります。くもは早めに投薬開始したがそのせいか今度は腎不全を併発、さらには重度の黄疸症状が。先生によれば肝臓にも問題があるとか。
晩年は薬漬けだったくも、でもいつも静かで柔和な表情で、目立たないけど傍にいるニャンコでした。くもが15才になってハナが亡くなり、1階に居を移した頃、低温やけどで両肘を負傷したことがあります。毎日殆ど動かずにホットカーペットの上にいたためです。病院で先生に言われるまで、やけどだとは思いませんでした。
やけどと診断された痛々しい傷にもくもは無頓着だった
今にして思えば、その頃のくもはいつも物悲しい目をしていた。何か訴えたいことがあったに違いない。それに気づかなかった保護者は最悪だった。ハナが亡くなってから3ヶ月、くもは後を追うように逝きました。そして保護者の後悔が山のように残り、それは今でも続いています。
くも、倒れて最後に入院する2日前の表情
ガリガリに痩せて入院してもなお、戻ってくると信じて疑わなかったアホ保護者。そんな保護者を責めるどころかいつもやさしい眼差しで見つめていたくも。病院で(結果的に)最後の対面となった折に、自分に気づいて力を振り絞って立とうとした。くもの意識はしっかりしていたのだ。でもその翌日の早朝、くもは独りで逝きました。後で宿直の先生から、夜中に何回か鳴いて立とうとした、と聞いた。帰ろうとしたんじゃないかと。
「頑張れよ、また明日ね」と声をかけたのだが・・
くもはその名のとおり、これまでの私の人生における15年分を、浮雲が流れるが如く通り過ぎていったニャンコでした。
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