* このメール通信も、早四年目となりました。また新しい一年がはじまりますが、こんどのテーマは新しい家で始まった共同生活。南アフリカのお隣、ジンバブエ出身のフィジオセラピスト、レジィがお話の登場人物に加わるでしょう。はてさて文化や習慣の違いをこえ、長所をいつくしみ、短所を許しあって楽しくくらすことができるでしょうか?
なずなは土壇場でやっぱりすぐには大学に行かないで一年のGap Yearを採ることに。ヒッピーにならないでほしいと願う母の期待を裏切り、ベトナムなどの南アジアを旅するそうな。シュタイナーキッズとしては無理からぬことか。
第七十三話 クラックト ポット
リハビリテイションの病院に勤務するようになって一年になろうとしています。山のように積み重なった患者さんたちの絵をやっと先日整理したところ。みんなよく描きました。
脳卒中などの患者さんとの毎日のセラピーセッションで、面白いと思うことは、ちょっとした反応や、動作ができるようになっていることにきづくときです。患者さんはこちらの視線、態度にとても敏感で、ポジティブな心でいるときには、それまでには無かった反応があったりするのです。
記憶ができない状態にある患者さんも多く、アートセラピールームのドアを開けて入ってくるとき、毎日のことなのに、初めてのような緊張した面持ちでやってきます。しばらくしてやっと、「ああ、アートセラピーだった、いたいことはしないんだった」とわかって、ほっとしたような表情を見せたりします。
私のセラピーでは、こころから患者さんの描く絵を面白いと思う、オープンさにポイントがあるのではと思っています。腕がコントロールできないからこそ、勢いのあるブラシストロークになるので、紙の上には私には到底まねのできない生命力、魂の躍動感が表現されていたりします。そして私が本当に感心しているから、患者さんも自信も取り戻すことができるのです。
病気の発病以前はプロのアーティストだったある患者さんは、前任者のアートセラピストとは絵を描くことを拒否していたので、きっとこの目線の違いに反応しているのだろうなあと思ったりします。
私が好きなお話で「クラックト ポット」という中国のお話があります。
ある農婦が毎日やきものの水がめを二つ持って水汲みにいきます。
そのうちのひとつのポットにはひびが入っていて、いつも家につくころには半分の水しか残っていません。
一年たち、二年たち、クラックトポットはそんな自分をずっと恥じていましたが、ある日とうとう農婦にそんな気持ちを打ち明けます。
すると農婦はこう答えました。
「お前はきづかなかったのかい、お前が毎日水を運ぶ側にだけ、道に沿って美しい花が咲いていることを。」
(間美栄子 2010年 9月15日 http://blog.goo.ne.jp/nefnefnef)
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