野草(イエツァオ)なくらし!

文京区改め金生町で草をアートし売り、食べています

冬の帰省NO3

2007-01-14 20:53:20 | 日記・エッセイ・コラム

Img_1843

楠の切り株で畳2畳ぐらいの広さだと思った。

真ん中には30センチぐらいの空洞がある。

300年以上たっていると年輪を数えた人が言っていた。

ここは神社跡で400年以上前より私が生まれた家の一族郎党が今も守り続けている。

道路がつく事になり去年新しい場所に移転した。

熊野速玉神社の分社で私達は「権現はん」と呼んでいる。

秋にはお祭りもあり大人たちが持ってきてくれるおにぎりがとても美味しかったことや、近所の人も来て彼岸花で作ったお神輿を担いで遊んだ事をおもいだす。

年寄りたちは「権現はん」さえ信じていればと心の支えにしてきた。

そういう気持ちがこの神社を守り続け木々も守ってきた。

個人の家で300年以上木を守ることは不可能だと思う。

神社仏閣だけが特別の事がない限り人の気持ちで木々は守られる場所だと思っていたのに。

柿木、松の木、枯れた木々は色々有ったが数本の大きな楠はズート有った。

Img_1842_1

この楠はこんなに切られても新芽がでている。

もうすぐ土の下になると言うのに。

アッと言うまに車社会になり速い、便利が普通になった。

物が溢れ物を消費する為あくせく働く仕組みに社会がなっている。

何時までもこういう社会が続くとは思えない。

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コメント
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