なんくるのひとりごと

日々の想いを言葉にしてみたい

葛藤

2007-03-07 11:14:04 | 日記
昨夜は定例の園内研究会だった。
事例発表形式にして文章と映像でお互いが学びあうのであ。

毎月一回、各年令ごとにテーマをきめて記録し、記録に沿って
こどもへの対応やこどもの発達を学びあうのである。
昨夜は、4月から始まった勉強会の最後の締めであった。

5歳児(全員6才になっている)の葛藤をしながらも、その葛藤を通して
こどもが自分の気持を表現し、なぜいやなのかを相手に伝えながら自分自身の気持のよりどころを見つけていく過程が見えて大変興味深かった。

クラス全体の仲間が、支えあいながらも時には意見の衝突があり誰かが泣く場面がある。
泣く、涙を流す場面とケロッと笑う笑顔の場面があり、そしてまた思うようにならないと、駄々をこねる場面がある。
映像に映し出されるこどもの表情に、見ている私たちは笑いながらも共感するのである。

なぜ駄々をこねるのか。なぜイヤなのか。なぜやりたくないのか。すごくわかるのである。
そしてそれを説得する周りのこどもたちのことばもまた振るっている。
励まし、やる気をたさせたり、なじったり、打ちのめしたり。

こども一人一人の正直なことばが、こども会議の中で繰り広げられる。
でも、こども自信の自尊心を尊重している。
担任が丁寧に一つ一つのことばに耳を傾けていることで、一人一人が満足していることが見とれる。

愛情に包まれて、誰一人除け者にされていない。
できるできない。速いはやくない。やれるやれない。言える言えない。
そんな両極なことが、ごく当たり前のこと。それがすぐに偉い偉くないという判断にはならない。そのことをこどもたちは身をもって感じているのだろう。
単なるただ違い「つまり個性」である。

そのことをこどもたち自身が身をもって体験している。
担任のことば一つ一つに担任の思想(人となり)が当然出る。4月からここまでの日々、こどもたちは担任から平等に愛されたことをしっている。
周りから平等な扱いを受けて育った。

4月かこれまで、色々な葛藤があればこそ、育つことを昨日学んだ。
葛藤(怒り、は蝶でいうならば脱皮する叫びだと感じた。
叫びを受け止めてゆっくり待っていてくれる人がいれば美しい蝶になる。
自分で整理できない心の置き場を時には担当者が「どうしたいの」「なぜそうなると思うの?」「なるほどそうなのか」「わかるわかる」と共感していくことで
自身の力で脱皮に成功することを学んだ。

泣き叫ぶ声をどうしたいいのかわから無い。心の声なのだと感じたとき
母親も父親も、抱きしめるという方法がある。
心の葛藤は子供の成長には大切な脱皮なのだから。

見守る突き放さない、抱き留める。受け止める。包み込む。色々な共感の仕方がある。
何年経っても分からないことがある。だから学ぶことが面白いのかもしれない。

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