「なかま道志」

道志村で通い生活をしています。道志の魅力は何て言っても美味しい空気と水です。日常生活も含めて紹介しています。

昔 遊んだ場所

2018年01月07日 | なかま道志

思うことあって、最近はちょっとした距離を歩くことにしています。

まぁ~時間のある日は15000歩が目標です。

いろいろとコースも考えますが、この日は家から徒歩20分くらいかな?野川公園を歩くことにしました。

ここは昔 遊んだ場所です。

 

 

昔(私がよく遊んだ60年くらい前)はICU(国際基督大学)が管理する牧場でしたね。

きっと戦時中は中島飛行機の何かがあったのでしょう。

防空壕や洞穴(戦時中逃げ込むための?)が何カ所もあり、ロウソクやカンテラを作って冒険ごっこをよくやりました。

地名も大沢と言うだけあって、貝塚や土器なども探せば見つかる時代でした。

 

 

湧水もたくさん流れていますので、縄文時代は住める環境だったのでしょう。

60年前は中島飛行機の格納庫後?やゼロ戦を隠す?コンクリートに覆われたものもありました。

空襲も受け子どもの頃は通称「爆弾池」というものがあって、爆弾が落ちた跡地に水が溜まり池状態になりました。

その池で日が暮れるまで遊んだ覚えがあります。

 

 

近くのT高の部活でしょうか集団でランニングしています。

ランニングしている左側に、その爆弾池がありました。

野川の上流には瓦かなぁ~?何かをつくる工場があって、そこから流れ出る排水が茶色く濁り川の土手周辺は粘土質になっていました。

その粘土質を持ち帰り、遊んだものです。

 

 

この川ではザリガニが沢山取れましたね。

バケツ一杯取っては持ち帰り、煮て尾の部分を食べた(遊びで)記憶もあります。

この頃の子どもは、ナイフ(肥後守)を持ち歩いていました。

竹を切って、弓矢を作ったり・・・。

冒険ごっこの秘密基地づくりをしたり・・・です。

 

 

その後、ICUがどこかのゴルフ場に売却し、一時ゴルフ場になっていました。

そして、東京都が買収して、都立の野川公園になりました。

 

 

当時はこんなに整備はされていませんでしたので、牧場の中の小川程度でしたね。

いまでは格好の散歩やランニングコースになっています。

そう、この川はもっと水量が多くて、大きな土管を2つ並べた橋がありました。

地元ではメガネ橋と呼んでいましたね。

そのメガネ橋で映画・・・たしか「にあんちゃん」?のロケ地にもなっていました。

 

 

野川公園は当時のゴルフ場のアンジュレーションなどをそのまま利用して、傾斜や小山、バンカーの面影もあります。

 

 

子ども連れの家族が日向ぼっこしています。

時折、近くの調布飛行場の軽飛行機が低空で離発着していきます。

 

 

 

当時のことを思い出しながらの散歩も良いものです。

ホームステイした人たちをお連れしても、良い公園ですね!と言われます。

 

 

 

野川を下ると、やがて多摩川に合流します。

今度(もしかして今日の午後)は、下流に向かって散歩しようかな?

 

 

野川公園を分断するように東八道路(東京~八王子が予定区間)があります。

三車線の車道を狭くし二車線にして、その分自転車専用と歩行者専用道路になっています。

安心して歩ける散歩道になりました。

 

 

私は見慣れていますが、だいぶ前からこんな建物もあります。

住みやすいかどうかは知りません。

我が家周辺はこの60年で大きく様変わりしました。

さて、道志の60年前はどうだったのかな?とも思います。

今もこれからも、あまり大きな変化はないのかとも思います。

それが道志の良いところだと思っています。

 

 

お役目、おつかれさまです!

 

 

夕刻5時から、一人ダンスレッスンに行きました。

この日はダンスのレッスン時間も含めると、20000歩は超えているのかも知れません。

動けると言うことは健康なんですね。

女房の誕生日も近いので、花屋さんでピンク色の胡蝶蘭を買い求めました。

晩酌がスタートし、疲れていましたので直ぐにウトウトになりました。

 

Hiro


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