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思いつくままに…

迷惑Eメール

2013年07月22日 | どうにか成りませんか?

ここ2ー3週間に渡り、毎日30通前後の「迷惑Eメール」が入って来る

「6500万の入金が有りました」
「相手をしてくれれば200万/月払います」
「只で有料放送が見れるカードが24,800円です」
「私のあそこの写真を見て下さい」
「同窓会の案内を添付しました」
「近くに来ているのですが会えますか?」
「お問い合わせ頂きました障害についてお答えします」
「注文の品を発送しました」

等々…

憶えるほど毎日何回も読まされる

仕事のEメールを間違って消してしまってはいけないので、細心の注意を払って削除しているので

はじめは「バカだな」と笑って消していたが、そろそろイラだって来た

以前も似たような事は有ったが1-2週間経つと止んだのだが、今回はシツコイ

加えて、近頃は英文のものも入って来る


お金は出来なくても、他人に迷惑は掛けていない仕事をしている自分を褒めてあげたい…!?
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偶発

2013年07月21日 | 驚きました

心の底からヤクザを忌み嫌った吉雄とは違い

吉雄の父親の吉一は根っからのヤクザ、と言うよりは渡世人であった

関東一円の祭礼を統括する「関東小梅一家」に居て、若いながら副小頭だった

偶々健一の実家の村の鎮守の縁日もその影響下にあり、その打ち合わせと祭礼日前後に、何年にも渡り、村を訪れていた

そんな中で、集団就職先から戻って来ていた吉雄の母親と出会って結婚をして、東京で住んだ事も有ったし、吉雄をもうけたりした

そうして、組での責任が増すに連れて、不本意ながらも吉一は何度か入出獄を繰り返した

ある時、しばらく振りで出所して、吉雄の母の池田文枝の実家に居た事が有った

散歩に出て、村の鎮守から丘の上の「弁天池」を回った時の事であった

下り道から林の中に入った辺りで一人の少女が坂を転がり落ちて泣いていたのに遭遇した

どこの子供かが分からないままに、とにかく麓まで連れて行こうと思って連れ立って丘を下りた

子供は転がり落ちたショックでなのか、記憶が失われていて

「名前は?」「どこの子供なの?」と聞いても

答えられなかった

丁度自動車道路まで出ると、車に乗った青年が「兄貴ー」と窓を下ろして叫んで来た

「親分が刺されたー」と続けて叫び掛けた

「すわっ」と

無意識に子供の手を引いて車に乗った

隣町に入り、東京への分かれ道まで来て

「そうだ、この子を下ろさなければ」

と気付き、車を停めさせ、そこを歩いていた子供に

訳を話して「交番に連れて行ってくれ」と頼んだ

親分の命が危ないと聞いて、とにかく慌てていた

しばらく走って少し落ち着いてから

「少なくとも大人に預ければ良かったのにー」

と悔やまれて来た


(続く)
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車道

2013年07月08日 | どう思いますか?

古い映画を観ると、自動車が走る以前の道路が出て来る

幅が狭く、鋪装されていない

行きと帰りが対面する二本の道路にはなっていない ー いわゆる単線だ

橋も幅広くある必要がなかった、そんなに強固である必要もなかった

街路灯もそんなに明るくある必要がなかった

歩くか、籠に乗るか、馬に乗るか、自転車に乗るかであった

スピードも速くなかった ー 交通事故も凄惨なものではなかった

ファックスに飽き足らず、電話を持ち歩いて、しかもその装置で絵も音も出るようになっている現在

そんなに急がなければ、世の中がやっていけないのか…

海外業務を生業にして来たが、昔はエアメールでヤリトリをして、急ぎの時に限って電報を使った、電話をしたのは本当に緊急の時に限られた

それでも商売は出来た

現在、速いからといって、その分、成約率が高いかといえば、必ずしもそうではない ー その分、比較される対象範囲が広くなるので不要な競争も多い

翌日に配達されなくても良い荷物も沢山有るが、それでも翌朝に着く

自動車を高速で走らせる為にどれだけの手間と費用を掛けている事か…

この年になると、昔のゆったりとした時代でも良いように思う

電話もファックスもEメールも使わないで、葉書でアポイントを取って会っている人を知っている

それでも不便はないそうだ

少し考え直してみようと思った
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青函トンネル

2013年07月01日 | 感動しました

ロビーカーの最後尾から青函トンネルをつぶさに見た

これまでは、部屋の小さな窓から見ていたので、一方側だけで、覗ける範囲も限られていたので、一瞬一瞬の様子だけだった

それが180度の視界で連続して見えた

思っていたよりもずっと大きくて広い

基本的には円筒で、地下鉄がチューブとも呼ばれるのと同様だ

ところどころに測道も有り、万が一に備えているのかと思った

新幹線用のレールも出来ていると聞いていたので、どれかなと思って見ていたが分からなかった

最深部に来るとライトの色が変わった

意外だったのは、大半が真っ暗で、要所要所に明かりがついているといった状態だった

それでも、飽きずに、機関車を取り替えた青森駅から、トンネルに入る前から、2時間ほど見続けた

トンネルを出ると、雪国ではなく、明るく白んできた林の中だった

これまで数往復はしたが、いつも不安だった

トンネルに水が入って来たら、電車が動けなくなったら、どうしょう?

今回つぶさに見た事によって、そのような心配が払拭された感じがした

思えば、青函連絡船も荒天には弱かった

ソ連に攻められたら、逃げ切れない

そんな悪条件に備える為にもトンネルを掘ったのだった

映画「海峡」を再び思い出した

多くの犠牲者に思いを馳せて

堅牢なトンネルに感謝した
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