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思いつくままに…

相続と平等

2011年05月31日 | どう思いますか?

また古い屋敷が一つ潰されていた。

何年か前に歴史上の大屋敷がマンションに変る際の近隣への説明会で

「兄弟姉妹と相続資産を分ける必要上、他に選択肢が無い苦渋の末の決断に御理解を…」

との長兄の話だった。

昔は他の相続人の犠牲の基に

戸主が一括相続して屋敷なり田畑なりの分割を避けて来た。

現在は全ての相続権者が納得するとは限らない。

それに見合う現金なり他の資産が無ければ、

不動産を分割するしかない。

あるいは、歴史上の土地建物を壊すのを避けるには、

相続人が納得して、どこかに寄贈するか、何らかの法人にして、

維持管理してもらう事になるのだろう。

あちらを立てれば、こちらが立たず…

難しい…

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リサイクル

2011年05月29日 | そう思いませんか?

人の勧めもあって、

親の遺品を

近所のオープンマーケットに出す予定だったのが、

あいにくの雨で中止となった。

ホッとしが、物足りない…

また、もったいない、もったいない、と思いながら、

ゴミに出すしかない。

全てが不足している国も地域も有るのに、

両者を結ぶものが無い。

今回の罹災地への支援物資に応募して

都庁に4カートンを取り敢えず送ったが、

追っかけ第2段を送ろうとしたら、早々と締め切りとなっていた。

リサイクルショップは、出したい人ばかりで、買いたい人が少ない。

今の日本は結構な国だ。

古い邦画の中の生活を見ると、隔世の感が有る。

それでも、感じる幸不幸は別物のようだが…

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「始まり」

2011年05月26日 | そう思います

入園、入学、入社、

それぞれのシチュエーションでの「始まり」は良い。

卒園、卒業、停年退職、

それぞれの「終わり」は、ちょっぴり寂しい。

人生の終わりは、もっと寂しい。

「誕生」の喜びは当人には感じられないが、

終わりの寂しさは自己認識出来る。

その終わりへの始まりは、やはり寂しい。

その寂しさを感じながら、

身の回りの片付けを始めるのも寂しい。

捨てる直前に、いちいち、その時々の出来事と思いが

頭をよぎるのがイヤだ…

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「教え」

2011年05月25日 | そう思いませんか?

八方ふさがりになると

救いを求めたくなる。

それが宗教的なものであってもすがりたい。

それでその人が安堵出来るのであれば、それも良い。

そんな立派な教祖の教えも、

その死後は、解釈をめぐって何派かに分かれる。

それが繰り返されると、更に分かれる。

それでも、それが出来れば、それも良い。

それを許さない会派も有る。

まして、一神教には更に排他的なものも有る。

それが他を殺戮するに至っては、本末転倒だ。

そんな「教え」が教祖の意図だったとは思いたくない…

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禁煙の勧め

2011年05月23日 | 呼びかけたい!

タバコの煙が気になりだした。

禁煙席でも喫煙席の近くは避けるようになった。

40年以上にわたって吸っていたタバコを止めて2年が経った。

20本が15本になり、更に10本にまで減らし、

最後には1日5~6本になったタイミングで

運良く(?)ひと月ほど入院した。

それ以来1本も吸っていない。

退院直後は、一息つく時には「吸いたいなあ…」と思ったが

我慢をしてみた。

タバコ以外の原因で入院したものの、

危なかった一命を取り留めた事を思って我慢をした。

その結果、今日が有る。

有り難い…

皆様も是非、遅くならない内に、禁煙されたし!

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