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思いつくままに…

「仇討ち」

2011年04月30日 | どう思いますか?

「死刑」が宣告されなかったら、

「くやしい…、死んだ誰某が浮かばれない…」と殺された子の親が云う。

「私刑(リンチ)」が許されなくなった今では「恨みを晴らす」事を「裁判」に委ねる。

殺された本人が「この世に思い残す事が有って、成仏出来ない」かどうかは知るスベも無い。

「裁判員」制度が出来る前は、裁判は日本では「プロの判事」に任された、

それが余りにも「法律の解釈と運用」に注意を払われ過ぎるので、一般人の意見も必要との事で「裁判員制度」が出来た。

それで被害者の家族が満足出来る結果が出るかといえば、必ずしもそうでもない。

しかし、「リンチ」も「仇討ち」も楽ではない、

まして「返り討ち」も有り得る…

所詮は「正義」の実現は難しい、

どこかで「折り会い」を付けざるを得ない、という事か…?

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「報恩」

2011年04月28日 | そう思いませんか?

たくさんの人から多くの「恩」を受けた。

いつの日か、その恩に報いようと心掛けて来た。

でも、「恩返し」が出来たと言えるのは僅かだ。

反対に、他人に与えた恩はどうだろう?

数えられるほどのものだろう…

差し引き「借り」で今日がある。

直接返す相手もほとんど存命でない。

そうすると「報恩」は誰か別の人に…

と言う事になる。

年長者から年少者へと続く永遠のサイクルか?

それで良いではないか、

と思うが、如何…?

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「最後」

2011年04月27日 | そうでしょうか…?

「はじまり」は明るく希望に満ちているが、

「おしまい」は暗く後悔に満ちている事が多い。

「閉店セール」は同情を誘い売れる事が多い。

「これで最後…」は人を呼ぶ。

「最後」が「最期」となると格別だ。

自分の「最期」がいつかを知っておければ、やりようが有ると思う人と、

逆に、絶望で何も出来ないだろうと思う人もいる。

他方、苦しい事、悲しい事の「終わり」を待ち望んでいる人もいる。

「即死」の方が苦しまなくて良いと思う反面、

「突然死」はいろいろ困る事が残る…と考えると好ましいとは限らない。

やはり、何でも「はじまり」の方が良い…か?

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「華」の有る無し

2011年04月26日 | そう思いませんか?

その人が居る事でパーッと周りが明るくなり華やぐ人がいる、

いわゆる「目立つ」。

スターとなる女優には不可欠な要素だ。

大した役者でも「華」の無い人もいて、主役にはなれない。

一方、男の場合には「実のお頭」が影に隠れて目立たないタイプの時も有る。

いづれが良いかはその求められるシチュエーションに依る。

米国大統領には「華」が求められるし、各種のサミットに集う各国の同職にもそれは不可欠の要素のように思う。

日本の外交官の中にもカッコウの良いのをニュースで見かける時も有る、

が総じて今の日本の政治家のリーダーは昔の同職より格好が悪い、

「華」が無い、

と思うが如何…?

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立身出世

2011年04月25日 | そうでしょうか…?

「身を立て~、名を挙げ~」

と「仰げば尊し」は唄う。

テレビの無かった昔とは違い「有名になる」事だけであれば、今は容易い…

男なら「お笑い芸人」、

女なら「女子アナ」だ。

いづれも、それほど容易くはないが、マスメディアの無かった時代に「有名になる」には余程の「出世」か「悪行」をしなければ全国的に知られる事は無かった。

郷関を出で、立身出世して帰郷するのが「都会に出」てからの一つの目標である事は今も変らないと思うが、名実共にそうなれる人は少ない、まして最期までそうあり続けるには、更なる努力と運が要る。

それならば、上記の二つで、一時的であれ、有名になる事は大した事だ…

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