鉱毒と正造で名を馳せたヤマを訪れた
観光坑道内にトロッコで運ばれると
三つの時代に分けて展示されていた
機械の入る前の江戸時代は悲惨
明治大正時代も辛そう
機械化された昭和時代はヘルメットに作業服で見た目は良いが危険そう
滴る水量が多く
青函トンネル工事を扱った映画「海峡」を思い出した
戦時下では徴用中国人、その前は朝鮮人も多く従事したとの事
日本人のシベリア抑留共々、厳しさを痛感する
それにしても、幾段にも掘られた坑道の長さは東京・博多間に等しいと聞き、驚く
坑道は尾去沢鉱山に比べると狭いようだ
その尾去沢では、20年ほど前に元迎賓館に泊まったが、足尾にも同様施設が残っているらしい
往復した「わ鐵」の線路際のアジサイが盛りだった