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思いつくままに…

芸者

2012年11月26日 | 近頃思う事

東京で言うと
新橋、赤坂、柳橋、神楽坂、浅草、等には
芸者がいる

時々、取材に応じて
そう成った動機や夢を語るのを見聞きする

当然に
シャミと踊りを習って
若い女性が、思い切って
メジャーでも今風でもない仕事に着いている

ふぅーん、と思いながら、見聞きして
自分もそれくらい思い切った仕事をしてみたい
と、この残りの人生をどうしようかと考えている最中に思う

女性であれば、それを目指しても良いのだが、
男の自分にとって
それ程に思い切った職業とは何だろう…?
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文明開化

2012年11月25日 | そう思います

江戸幕末に新しい文化が外国から導入された際の展示を見る度に思う

結局これは翻訳通訳が出来た人が導いた新しい文化で、それを為した人たちが先駆者として歴史に名を残して来たのだ…

医術、軍備戦術、政治法制、経済、等々、外国から来たあらゆるものは彼の国の書籍の翻訳でその知識を得、彼の国の専門家と交わる事でその知識を増した

旺盛な知識欲と貪欲な出世欲で人並み以上の努力をして
外国語を使いこなせるようになった者のみが得た特権で
それらの文物や人物に接する機会を得
そして、その知識を先ずは独り占めにした

その回りに弟子が集まり
その回りに政治家が集まり
その回りに内外商人が集まった

そして、その一握りの人たちが選ばれて
外国を回って来て
結果、更にエリートとして名を馳せた

おのずから権力財産を得て
学校なり会社なりを創設
あるいは自ら政治家となり
その名を不動のものにした

同じく翻訳通訳を今頃やっている自分としては
この隔世の感を羨む

今頃そんな仕事で食えない訳だ…
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郷里(2)

2012年11月21日 | 驚きました

エミが浴衣を着て現れたのにビックリして

「良く似合うね!」と父は思わず発した

「夕食の前に祭りを一回りして来たら…」と母親に言われて

「ああ、そうなんだ…、すっかり忘れていたわ、今日は秋祭りか…」と父は苦笑したそうです


下女ちよがエミ王女のお付き代わりで付いて来た

この地の祭りには笛太鼓のお囃子は無い、落人村だったからだ

静かな境内だが、今風の縁日は並んでいる

夕方なので、かなりの人手が有り、賑わっていた

エミには珍しいだろうと聞くと

「小さい時に一度母の郷里に行った時にお祭りに行った事が有ります、縁日は懐かしいです」との事


ちよが何かと側にいて細かい面倒を見た

エミ王女もちよが気に入ったようで、自分の母を思い出したようだ


それぞれに祈りを捧げて、戻ろうとした時に、一行の前に思わぬ人が現れた…


(続く)
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郷里

2012年11月14日 | 思い出す事

「善は急げ」と、早速に移動した

エミ王女は母親似なので、父の郷里でも外人だとは思われなかった

「健一、この方はどなたなんだ、前触れも無く、いきなりお連れして…」と、驚き半分、不満半分で、父の父親が言った

「まあ、良いじゃありませんか…、若い二人なんだから」と、母親が庇って

「ちよ!」と下女を呼んで「お客様を壱の間にお連れして」と指示した

そして、追い掛けるように「お風呂に入ってもらいな」と加えた

「健一、お前は着替えたら、話しが有るから」と私の父に言った


健一の実家は何百年も続く由緒有る家で、この村に二十軒ほど有る「高橋」姓の本家であり、しかも古くは平家の落人村だと伝わっている

当主を継ぐと代々「清左衛門」を名乗り、当代は二十一代目「高橋清左衛門」で、父の父である

しかし、母親の真佐が本家の血筋で、当代の清左衛門は分家から来た婿である


着替えて、母の前に座ると

「細かい事は聞かないが、どのようなお方なのかだけは教えといてくれないかい」と言うので

「さる国の王女で、匿って欲しいと、その兄で私の友人が言うので、連れてきた」と、父が答えると

「判った」と言い、それ以上は聞かなかった


暫く滞在する山間の地で、やはり、あれこれ起きるだが…


(続く)
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「お手伝いします」

2012年11月11日 | 驚きました

「まとめて○万円で、どうでしょう?」

「えぇっ!」

と、驚いた

想像していた金額の十分の一でしかない

あれもこれも、未使用の和服、草履、帯締め、等も含めた和装品多数

掛軸、陶磁器、古銭古紙幣に、古い懐中時計、葬儀法事歳暮中元のお返し品が多数

これらを大きな容器数杯に詰め込んで、閉めて○万円

「まさか、嘘でしょう」

と、言うと

「イヤなら、結構です、置いて帰ります」

「目玉になるものが有れば、それと一緒に持って帰ろうと思っただけです」「お片付けのお手伝いに…」

「大した目玉が無いようですので、我々はどっちでも良いんです、近頃、百円の値段を付けていても、売れません、無駄なんです」

と、答える、手慣れたものだ

結局は、少しのイロを付けて、持って帰ってもらった

これが、容器四杯であろうと五杯であろうと、同じようだと感じた
途中で、あれも有る、これも残っていると気付いたが、言わなかった
結局は同じで、いわゆる「じゅっぱひとからげ」で、タダ同然のイクラの世界だ
これは使いたいと思った高級カメラ、双眼鏡、貴金属品、等は予め抜いていて良かった

向うも、不要品処理にお金が掛かる事を見越しての申し出だ
昔のように、大型タンスでも何でも無料でゴミとして持って行ってくれた時は「お手伝い」や「お助け」します、の言葉は出なかったと思う

とんだところで、古物商の様相を変えてしまったようだ

加えて、家族が自ら「遺品」を処理し辛い事も読んでいる

持って行かなかった物が未だ沢山残っている
別の業者を呼んで、それでも残った物は捨てざるを得ない

「もったいない」

江戸時代は、庶民はほとんど古着を買って着ていた、と聞く

今でも、リサイクルがスムーズに進む時代になって欲しいものだが…
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