過去の行為に応じて現在の幸・不幸があり、
現在の行為に応じて未来の果報が生ずる
と言われるのが、
「因果応報」だそうだ。
よく「罰が当たる」と言われるが、
それは「神仏のこらしめ」としてのものだろう。
正確に「悪事に対する報い」が有るなら、
人の行う裁判も刑罰も無用であろう…
誰でも人知れず犯している罪は少なくないだろう…
それに一々バチが当たっていては
まともに暮らして行ける人は少ないだろう…
「神仏のこらしめ」にもお目溢しが有るようだが、
それでも「天・人ともに許せない」罪には
やはり「バチが当たって」もらいたい。
そうしないと、まじめに生きている大衆の
溜飲が下がらない。
なにも国内の事のみを言っているのではない…
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます