木めぐり像めぐり

気に入った木、気になる像などを紹介していこうと思います。

山形市郷土館(旧済生館)

2011-07-28 17:23:13 | 散歩

 写真は霞城公園内にある山形市郷土館(入場無料)の中庭からの撮ったものです。解説によると『1878年、県立病院として山形の宮大工たちがたった7ヶ月で完成させ、広い中庭と回廊をもつ、三層四階の塔をもつ高さ24mの建物です。当時の太政大臣三条実美が、この病院を「済生館」と命名しました。
 オーストラリア人のアルブレヒト・フォン・ローレンツを医学寮の教頭として招き、この病院と医学校は、東北地方におけるドイツ医学のメッカとなりました。1966年に国指定の重要文化財となり、1969年に現在地に解体復元されました』となっています。
 中国の客家の集合住宅の大きな円型の建物を連想させますが、これはその一角に塔を繋いだ王冠のような建物です。客家のものと比べるとかなり小さな建物ですが、日当たり、家具の設置、使い勝手など、円形であることによるメリット、デメリットはどんなものなのだろうか。方形のほうが簡単なのに、どうして円形の建物をつくったのか。宮大工の遊び心でこんな形になったのでしょうかね。中庭で患者たちが待っていたのでしょうかね。昔の人々すがたが偲ばれます。
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山形市郷土館のイチイの老樹

2011-07-19 16:41:53 | 

 山形駅から徒歩20分ほど、霞城公園内にある郷土博物館のイチイの写真です。説明によると市内の同木では最も古いものである。主幹の内部は、腐蝕と空洞化が進んでおり、樹勢も衰えを見せているのが惜しまれる。この場所は、江戸時代には稲荷神社がまつられていたが、このイチイは、最上義光(1546~1614)時代からここに存在したものと推察される。
 だとすると樹齢約400年ということになる。どうみてもそんなに年月を経た木にみえない。それでイチイについて調べてみたら、成長がとても遅い木で、9㎝の幅に230年の年輪を数えられたという記録もあるようです。また樹齢1000年をこえるイチイは全国にかなりあるようです。
 背景のだいだい色の建物については次回のブログで説明します。
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羽黒山の爺スギ

2011-07-13 18:43:51 | 

 羽黒山へは、鶴岡駅から羽黒山まで直通バスが走っている。その途中の羽黒センターで下車して、そこから羽黒山への参道を歩き始める。参道の門をくぐると、いきなり急なくだりの石段が続いている。山だから、登るだろうと思っていたので、この道でいいのかと少し心配しながら進むと川があり、橋を渡った先に写真の爺スギ(天然記念物)がありました。目通り周囲8.3m、樹高48.3m、樹齢1000年以上だそうです。とても高いのと、ほかの木々の梢が邪魔して、てっぺんが見えません。この木の全体を写真で撮ることは不可能です。ブログで紹介してきた木の中でこの木が一番高いのではないでしょうか。ちなみに、日本一高い木は、愛知県鳳来寺の傘スギ、約60mだそうです。
 またこの周囲には滝があったり、国宝の羽黒山五重塔があります。素木(しらき)造りの塔です。なぜ、塗装を施さないのだろうか、塗装しないと長持ちしないし、腐りやすくなると思うのだが、なにか特別の理由があるのだろうか。でも、塗装されていない白木の塔は、木組みの美しさが強調されて、なかなかのものです。
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瀬波温泉と海水浴場

2011-07-09 20:33:19 | 散歩

 前回の臥牛山の線路を挟んで反対側、そこに瀬波温泉があり、徒歩で1時間ほど、路線バスで20分ほどで着く。左側のビル群が瀬波温泉のホテルです。明治37年に石油試削中に発見されたそうです。
 4kmほど良く整備された海水浴場が続いています。紫外線が強く、健康によくないようで、海水浴を私はしたいと思わないのですが、ここでなら、遊んでもいいかなと思いました。
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新潟県、臥牛山(135m)からの眺望

2011-07-07 18:29:21 | 散歩

 臥牛山へは、羽越本線村上駅から徒歩1時間ほどで着く。山頂には村上城跡があり、石垣など残っており昔の姿が偲ばれる。国指定史跡で築城年代は16世紀初頭と推定される。1618年に徳川譜代の堀直竒が10万石で入封し、縄張りを行い、山上の曲輪を拡張し、石垣を築くなど、中世的な城を近代城郭へと変貌させた。戦国期の遺構と江戸期の石垣が共存することが他に類を見ないこの城の特徴だそうである。
 写真は、臥牛山山頂からの景色です。右側の川は三面川で、日本海にそそいでいる。海岸線の左側を1kmほど進むと、瀬波温泉があり、宿の建造物がいくつも望めます。日本海に沈む太陽を見るのにはもってこいの場所かもしれません。
 ところで、臥牛山の名前ですが、山のシルエットが牛が臥せている姿に似ているからでしょう。山道での「馬の背越」と呼ぶ個所など、覚えやすい名前の付け方に感心します。
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