木めぐり像めぐり

気に入った木、気になる像などを紹介していこうと思います。

湯西川温泉、平家の里の駐車場そばの栗の木

2016-12-23 09:49:18 | 

 栃木県にある落人の里、湯西川温泉にある施設「平家の里」の駐車場に立派な木がありましたので、写真に撮りました。
「御神木 樹齢800年 栗 太政大臣 平清盛公の木 壇ノ浦の源平合戦以来、平家落人が身を隠し、守り伝えし平家の里」という立て札が立っていました。
 栗の巨木は珍しいような気がします。ただ、青森の三内丸山遺跡には、栗の巨木が使用されているので、縄文時代は、栗の木がたくさんあったのかもしれませんね。
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フランシスコ・ザビエル像

2016-12-18 13:28:47 | 

 大分駅前にあるフランシスコ・ザビエル像です。説明によると
「1506年、イベリア半島のナバラ王国ザビエル城(現スペイン)で生まれました。 
イエスズ会創設メンバーの一人であり、アジア各地でキリスト教を広める中、日本の布教を決意します。
 1548年8月、鹿児島に上陸し、その後、平戸、山口、堺をへて京都に赴きますが、京都で思うように布教ができず、再び山口へ戻ります。
 1551年9月、大友義鎮(宗麟)公の招きにより豊後府内(現大分市)を訪れ、領内でのキリスト教布教の許可を得ます。ザビエルは府内に二か月滞在し、日本を離れますが、これ以降、府内は日本におけるキリスト教布教の拠点となり、ポルトガル商船や中国船が来航し、南蛮貿易が活発に行われました。その結果、府内は全国に先駆けて南蛮文化が目覚ましく開花し、東洋と西洋の文化が交わる国際貿易都市として繁栄しました。」
 なかなか、面白い内容ですね。大分が南蛮貿易で栄えたなんて知りませんでした。
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別府駅にある「あぶらや・くまはち」の像

2016-12-14 15:17:58 | 

 別府駅にとてもユーモラスな像がありました。説明によると
 「1863年、愛媛県宇和島の米問屋にうまれる。小さい時から働き者で有名だった。
 30歳のとき大阪に出て、米の相場で成功し、巨万の富をてにする。つけられたアダ名が”油屋将軍”
 34歳で相場に失敗し、全財産をなくす。臭くて暑い船底に乗りアメリカへ。
 3年間をかけてカナダからメキシコまでを旅し、38歳のとき帰国。アメリカでキリスト教の洗礼を受けていた。
 46歳のころ、別府温泉へ移り住み、ホテルを経営しはじめた。それがやがて、お金持ちを迎える一流ホテルに成長する。
 アメリカで目にしたスケールの大きな観光地づくりを実践。大阪の上空から飛行機でビラをまいたり、”山は富士 海は瀬戸内海 湯は別府”と書いた標柱を富士山にかつぎあげ立てたり。当時はだれも思いつかないような奇抜なアイデアをつぎつぎに実行した。
 美人バスガイドが案内する観光バスを日本ではじめて作ったのもこの人である。”地獄めぐり”は爆発的人気をあつめた。
 湯布院を観光地として開発したのもこの人だった。当時描いていた観光プランは別府-由布院-
久住高原-飯田高原-阿蘇-長崎をむすんで道路をつくるという、九州全体を視野に入れたものだった。
 1935年、別府市で死去、73歳だった。くまはちがだいた”ここを世界の観光地にしよう”という夢は、今もこの町のあちこちに生きて息づいている」
 となっていました。
 
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