木めぐり像めぐり

気に入った木、気になる像などを紹介していこうと思います。

歴史資料センター黎明館にあった像、田の神と木喰仏について

2015-03-18 20:09:20 | 

 写真は、鹿児島、鶴丸城跡にある黎明館の野外展示場にあった田の神の像です。一目見て、なんて楽しい感じのする像だと思いました。田の神は4体展示されていたのですが、そのうちの2体を写真に撮りました。左側の写真の台座にあった説明は「郡山町茄子田の田の神 宝暦3年(1753年作) 模刻松田龍哲」となっていました。このほのぼのとした像が田んぼの中に立っている姿を想像してみてほしい。このころの人々は、きっと平和で和やかな生活をしていたのだろうと思ってしまう。これら田の神は、鹿児島、宮崎に分布しているそうです。
 ところで、この像を見て、遊行僧「木喰」が作ったのではないかと感じ、。木喰仏の画像検索で見てほしい。この微笑みは、木喰仏とそっくりだと感じると思う。木喰について調べたらた、木喰(1718~1810年)は、1773年から全国を巡りはじめ、宮崎県には7年間も留まっており、仏像制作は1778年頃から始めている。これらの田の神を見て、仏像を作り始めたのではないだろうか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

鹿児島、仙巌園の五葉松と展望所からの桜島

2015-03-14 15:14:16 | 

 仙巌園は1658年、19代島津光久によって建てられた島津家の別邸で、中国江西省の景勝地、竜虎山仙巌の名前をとって「仙巌園」と名づけられた。
 歴代当主に愛されたこの庭園は、桜島を築山に、錦江湾を池に見立てた借景庭園です。
 山を借景とする庭は多いですが、 海を借景とする庭を見るのは初めてです。また、徒歩30分ほどのところに展望所があり、スケールの大きな庭だと思います。
 一枚目の写真は、 ヤクタネゴヨウ(屋久種子五葉)。屋久島と種子島に自生する五葉松で、環境省の絶滅危惧種に指定。樹齢約350年と推定、日本一の大きさと思われる。幹周5.4m、樹高約30m。長い年月のあいだに幹の内部が空洞となり、枝の重みや台風の風圧によって主幹が西に傾き、倒れないようロープで固定し、3年に1度、台風などの風圧を軽減するため剪定をおこなっている。
 二枚目の写真は、展望所から撮った噴煙を上げる桜島です。
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

枚聞(ひらきき)神社の後方にそびえる開聞岳

2015-03-11 09:38:12 | 散歩

 広辞苑で開聞は「世阿弥の用語。文句と節がぴったり融合して見物人を感動を起こさせる一曲のやま。」という意味。山の名前としてぴったりしない。実は、本来は海門岳らしい。というのは、柳田国男の著書の中にこの山を「海門岳」と書いていました。海門の意味は「両側から陸地が迫っている海の通路。瀬戸。海峡。」です。海門岳とは、鹿児島湾に入る時の目印の山という意味なのです。
写真は、少し霞んでいますが、拝殿の後方に開聞岳を拝めるように樹木が除かれているようです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

枚聞(ひらきき)神社のクスノキ

2015-03-10 11:34:05 | 

鹿児島県の開聞岳を登ったついでに、枚聞神社に参拝しました。 そこにクスノキの巨木があり、写真に撮りました。説明によると
「樹齢800年、幹周り7.9~9.5m、樹高18~21m 『枚聞神社由緒記』によりますと、神社は開聞岳の北麗に面して鎮座し境内地は約7000坪で、その中には千数百年経た老樹が数多くあります。枝が鬱蒼と茂り天高くそびえる様は、このお社が由緒深い神社であることを物語っています。
 神社の祭神は天照大御神を正祀として他の皇祖神八柱神を併せ祀っており、特に交通安全・航海安全・漁業守護の神として船人達から厚く信仰されてきました。古くは、琉球王が枚聞神社に対して信仰が厚く、入貢の都度、神徳讃仰の文字を表す扁額を奉納したとのことで、現在その当時の扁額が7枚宝物殿に飾られています。」と、なっていました。
上部が伐られていて、残念なすがたですが、クスノキの巨木はたいてい上部が喪失しているのでこれぐらい残ってのが、珍しいかもしれません。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする