長良の鵜 ズボラ余生

「ズボラ余生とは」:
何事も、前向きに捉え、楽天的に生きていくことです。

★半径2メートルの楽しみ

2009-01-26 09:04:51 | Weblog
1日の生活の7割が半径2メートルの中で終わっている。
今年になってから、まだ1度も散歩に行っていない。
只、寒いからというだけの理由である。
あまり年寄り扱いをするのもどうかと思うが、散歩に行って、かえって風邪を引いたりしないかと心配しているのである。
散歩では、普通年寄りは温かい時間に行くようにと進めている。
散歩に行かない代わりに、一応室内で運動できる器具で若干の運動をしている。
この器具も娘が置いていったものである。
体重も何とか増加もしていないので、少し温かくなるのを待つことにする。

★不摂生

2009-01-25 09:09:53 | Weblog
土曜日だけ、11時までテレビを見ている。
土用ワイドが好きだからである。
ところが、昨日の土曜ワイドは、松本清張生誕百年記念番組のため、終了が11時20分だった。
そして、日曜日の朝には、NHKの短歌、俳句で7時半には起きなければならない。
齢をとっているので、決して無理なスケジュールではないが、早寝早起きが健康に良いことを思えば、不摂生であることに間違いはない。

★75歳以上の人の待遇

2009-01-24 09:22:08 | Weblog
昨晩のテレビ番組も「太田総理」では、落語家の三遊亭楽太郎が、75歳以上の人の消費税、医療費などを只にするという提案をしていた。
只にする代わりに、消費税を10%にして、それを財源に充てるのである。
この提案は、賛成が14票と多く、可決された。
これも、定額給付金と同じで、実務的にはかなり困難が予想される。
商品を買いに来た人が75歳以上かどうか、家族の中に例えば一人居る場合の食料など・・・あげればきりがない。
また、2千万円以上もらっている代議士にも、消費税や医療費をただにするのかという問題もある。
もちろん、このように所得が多くても、社会に貢献してきたのだから、ただにするべきだというのにも一理ある。
問題は、限られた財源だということである。
また、壊れた家族制度をそのままで、75歳以上に金の面だけ優遇しても、根本的解決にはならないということである。
貧すれば鈍すではないけれども、金がなければ老人(75歳以上に限ったことではない)が、敬われないというのも悲しい現実である。


★どこまで節約すればいいの?

2009-01-23 09:30:44 | Weblog
老後の設計はある程度出来ていると思っている。
しかしながら、給料が少なくて苦労している人よりも、年金生活をしている私たちが贅沢をしていて良いものだろうかとつい考えてしまう。
ところが、妻は生きていても何も楽しみもないという。
昨日もちょっとしたことで、衝突した。
もちろん、そのくらいのお金が出せないわけではないが、それにお金を使うことが私には贅沢に思えるのである。
おかげで、昨日は気まずい一日となってしまった。


★コーヒー飲み放題

2009-01-22 09:12:42 | Weblog
昨日、川柳教室の帰りに、数人でコーヒーを飲みに立ち寄った。
そこは、飲み物が飲み放題であり、約2時間いる間に、コーヒーと紅茶をそれぞれ1杯づつ飲んだ。
帰ってから、8時間以上経過しているというのに、布団に入り、消灯してからもなかなか寝付けなかった。
過ぎたるは及ばざるが如しという諺を持ち出すまでもなく、飲み放題だからといって飲みすぎることが良くないことをコーヒーによって知らされた。