那田尚史の部屋ver.3(集団ストーカーを解決します)

「ロータス人づくり企画」コーディネーター。元早大講師、微笑禅の会代表、探偵業のいと可笑しきオールジャンルのコラム。
 

忘れ得ぬ恋

2018年09月28日 | 思い出の記

集団ストーカーの被害者の方は次のurlを押してください。 http://blog.goo.ne.jp/nadahisashi/e/21522a074264a7eb4afb4fd7df2e6531

また「春名先生を囲む会」は私のHPに別途ページを作ったので次のURLをクリックしてお読みください。http://w01.tp1.jp/~a920031141/haruna.html に最新の「春名先生を囲む会」の写真をアップロードしています。この会の趣旨と目的に賛同されるかたは毎月第三金曜日にの8時から誰でもOKですから夢庵西八王子店(平岡町)に来てください。正面を右に進むと座敷がありますからその座敷で待っています。手前のテーブルの場合もあります。なお、料金について変更があります。お酒の飲めない人は2千円にしましたのでお酒の飲めない人もぜひ賛同者となって「春名先生を囲む会」で講義を聞いたり、また積極的に講義をして下さい。今後は二回目から講演者に5千円は差し上げます。医療だけでなく歴史や芸術についても講義できるようになりました。私は八王子五行歌会の代表です。賛同される方は私まで電話を下さい。042-634-9230。出ないときは留守電にメッセージを残して下さい。次のテーマは「欲望とのつきあい方」です。これは宗教から精神世界まで幅広いテーマになります。その次は「坐禅の効果」になります。是非ブログをご覧の皆様も「春名先生を囲む会」にご参加下さい。

私が微笑禅の会(非宗教)を作ったのは日本に10人の見性者が生まれ、10人が協力し合えば世直しが出来ると思ったからです。(ちょうど日本に10人の坂本龍馬が居たら世直しが出来るように)

後、微笑禅の会(非宗教)のネット会報は中止し、年に5千円の護持会費と数度の紙媒体での会報を出すことにします(メールで済ますこともあります)。私がロックフェラーほどの資産家であれば年に5千円の会費は無料にしますが、五行歌の会の主宰・草壁先生の言われる通り、お金を出さないと文化は育たないからです。本当に悟ってみたい人は次のurlをクリックして「見性体験記」をご覧ください。 http://w01.tp1.jp/~a920031141/zen.html             入会された方には「微笑禅入門―実践篇」(DVD)を差し上げます。もちろん会員から質問があれば答えますので私のメルアドまで質問を下さい。レジュメも作らず睡眠時間4時間で即興で語っています。DVDはボリュームを目一杯に上げて聞いて下さい。wasaburo@hb.tp1.jp (クリックしてもメールが開かないのでコピーして宛て先に入れて下さい)

なお、微笑禅の会の口座番号に変更があります。入会手続き入会金なし。会費は年に5千円とし、ゆうちょの以下の振替口座 00130-7-447671 名称「微笑禅の会」に振り込んでください。その際は住所氏名他連絡先、男女の区別を明記してください。退会は自由ですので、私にメールか電話をください

_______________

今日は久しぶりに思い出の記を書くことにしよう。以前「春名先生を囲む会」で40代で100人切りをしたと語ったが、金で買える女(デリヘル嬢やキャバ嬢)以外のほとんどが相手からナンパされた受け身の恋愛だった。(元の妻を含めて)結果的に悪女に騙され、無残な別れをしたのが大半だった(今、これについては小説を書いている)。

しかし、「結ばれなかった恋」の思い出は誰でもそうであるように、ほろ苦く、また一杯ある。

最初の思い出は、洋菓子のアルミケースに写っているような小さな奇麗な女の子だった。夢か幻ではないかと思うが、病院の屋上から、お祭りのバナナの叩き売りや、陶器市の景色の記憶がはっきり残っているので現実だと思う。その美少女は、結局心臓弁膜症で死んでしまった。(この少女を詠んだ五行歌があるが今は思い出せない)

次の思い出は、同じ郷里に住む造園業者の娘さん、稲葉美幸さんだった。高校卒業後、小豆島に就職し、私は初恋の人だったと手紙を出して、暫く文通していた。小学校で花火大会があるときに私も帰省し稲葉さんも帰省して待ち合わせた、私に東京に恋人でもいたのだろう。そのまま別れてしまった。彼女については次のような五行歌を詠んだ

金木犀の下を 白いワンピースの 同級生が歩く姿に ドキッとしたよ 内科医院の帰り道

という歌である。素朴な歌だが、稲垣足穂の「緑陰」風というか、宇宙的郷愁があるので自分では気に入っている。

次に初めて女性を意識したのは、両親が教師だった東山智津子(漢字が違うかもしれない)さんだ。小学校に入ってから、私がクラス委員長、彼女が副委員長という関係で大変仲が良かった。小学校6年の時に(性に芽生え)女を初めて意識したのが東山さんだった。後日、広島に行った郷里の先輩たちから、広島駅の近くで東山さんが苗字を変えないままスナックを経営し、私と会いたいので、手紙を送って欲しい旨、先輩たちに伝言したことを知った。教員の娘なので堅い職に就いていると思っていたが、何があったのだろう。また、私が思っていたように彼女も私を思っていたのかと分かり、嬉しかったものの、やはり当時は東京で誰かと付き合っていたのだろう。手紙も出さないまま忘れてしまった。

次に好きになったのは、早大第一文学部に入学したとき、文学部の前の食堂の経営者の娘、東北出身らしい美人のヨシミちゃんだった。私は意外にウブな性格があり、たまに二人きりになって、ヨシミちゃんの得意なピラフを注文した時に胸がドキドキして、半分も食べずに店を出たことがある。いつか告白して結婚したいほど好きな女の子だったが、いつの間にかその食堂は消えてしまった。

次に好きになったのは、八王子の三崎町にあるチャイナパブのアユミちゃんだった。上海は中国でも美人の産地として知られているが、その上海でも珍しいほどの美人だった。あるとき同伴でカラオケボックスに行き、冗談でキスをしようと迫ったところ、相手は、涙をポロポロ流して、震えだした。私は、その姿を見て、「悪い、冗談、冗談」と言って口説くのを止めたが、アユミちゃんはその後、中国の大金持ちの5番目の愛人になり、その男の子供が欲しいと言っていると聞いた。中国にはそのような習慣が残っているのだろうか?尤も、アユミちゃんの姿を見ていると、欲望の塊になっていることは分かっていた。上海のある満州地方は日本人が統治した歴史があり、ある面では日本より硬い風習が残っている。アユミちゃんは両親から、23歳になるまでは恋人を作らないようにと約束されていた。しかし、肉体は大人になっているので、ランバダ大会が夜中にスナックで始まると、ミニスカートと胸が見えるようなきわどい服装をして踊り続けていた。私は後になって、そんな男の愛人になるぐらいなら、あの時自分が手を出しておけばよかったと後悔したものだ。事実、そのチャイナパブには陽気なフィリピン人がいて、アユミに、「アユミ、処女を捨てる時には女慣れしている那田さんに相手をしてもらいなさい」と言ってからかっていたのである。何度も同伴して、写真も何枚も撮ったが今は残っていない。(この話はブログにかつて書いたことがある)

次に好きになったのは、郷里愛媛の庄屋の娘さんである。私の母方は江戸時代から庄屋を補佐する組頭を務め、明治になってからは最初の戸長(現在の首長=村長、町長、市長)を務め、代々助役を務めた家系である。母親が、高級料亭を始めたのも、その庄屋の娘(緒方さん)の別荘を借りて大儲けしたものである。江戸時代からその庄屋と私の母方の先祖は深い関係にあったのだろう。その緒方家は平家物語にも不死身の家系として知られ、親族には緒方洪庵など有名な人が何人もいる。大津事件で大審委員長を務めた児島惟謙の苦学の地としても知られている。その緒方さんは、私より、2~3歳年下で、小学生の頃から知っていて、何となくだが、相手は私を気に入り、私も相手が気になる、と言った関係だった。彼女の父親は同志社大学を出て、確か徳島大学で憲法解釈学の教授を務めた人で、郷里では一番私と仲が良く、よく頼まれて、「西南四国大学構想」に論文を書いたり、好きな映画のVHRを届けて解説したものだった。今は例の西日本大豪雨のために、(緒方酒造という作り酒屋だった)が、廃業したと聞いている。娘さんは、私が大学院生の時に医者の家に嫁いだが、最後に私の母の経営するブティックに来て(私が留守番していた)、私が仕入れた、一番高級はウールのコートを購入し、何か言いたげにされていたが、私も、好意を寄せていたために、何も言わずに別れた。今は実家が豪雨で廃業したと知り、どう思って暮らしているのだろう。私は、ヨシミちゃんの時にそうだったように、本当に好きな人には声を掛けられないウブな一面があるので、思い切って声をかけていれば、今は幸福な家庭を築けていただろうと、後悔している。

次に好きになったのは、私が通っていたデイサービスのスタッフと、就労支援で知り合った女性二人である。さすがに現役で働いているので、名前はいえないが、私は昔から「女難の相」があると言われ、付き合った女性のほとんどが悪女で(元の妻もその一人)、付き合わなかった恋だけが愛おしい。自分で手相を見てみると、これから一年以内に結婚する相が出ている。そういえば、私の父親は62歳で35歳の母と結婚し、私が生まれた。私も同じように、母親のような、若くて運の強い、また志の高い女性と再婚したいと思う。



最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。