那田尚史の部屋ver.3(集団ストーカーを解決します)

「ロータス人づくり企画」コーディネーター。元早大講師、微笑禅の会代表、探偵業のいと可笑しきオールジャンルのコラム。
 

ショッピングセンターを作る計画を一人でブチ壊した話

2015年12月28日 | 思い出の記

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私が大学院を修了して故郷の西予市野村町の母の元へ妻子を連れて帰っていた時の出来事である。いわゆる都落ちをしていた時代の話だが、都落ちといっても論文も書いていたし「ファーストカット」というハリウッドの編集者へのインタビューの翻訳も引き受けていた。またこのブログで書いた筈だが私の指導教授から頼まれて「世界映画大事典」の資料を集めてかなり大量の原稿も書いていた。当時私は学習塾を経営していたので、余りの忙しさに男性の更年期障害になったほどである。

ちょうどその時に、商店街にある主要な店をショッピングセンターを作りそこに移すという計画が舞い上がった。それが実に馬鹿げた計画でわざわざ自分の家があるのにテナント料を払って引っ越したうえ、売り上げに応じて利益の一部を第三セクターが巻き上げる、というものだった。この計画を進めていたのは所謂「天下り法人」といわれるもので朧げな記憶だが「中小企業復興事業団」のような名前だったと思う。さらに地元の商工会議所と町長がグルになり、あたかも自営業者自らの意志によりこのショッピングセンター計画を推進するかのように差し向けたのである。

私は当時バリバリの研究者だったから商工会議所が勉強会と称して開催する会合に毎回でかけ、全ての資料を手元に置いて熟読した。

その資料を読むとショッピングセンターが出来ると今までよりはるかに利益が出ると書いてあったが、さらに熟読していくと、本当にとんでもないことが分かった。つまり、成功した事例の全ては、もともと商店街の無かった地域、つまり新たに新興住宅が出来たところに作られたショッピングセンターだけが集められていたからである。

そこで私はA4にして30枚ほどの抗議文をワープロで作り上げ、母と二人で町会議員全員に手渡しした。驚いたことに町議20名の中の10名は、いわゆる土建屋と建材屋だったのである。中には「これぐらいのことは知っている。私は自分が儲けるなら野村町など潰れてもいい」と言い放った町議がいた。この男は確か「森」と言う名前の建材屋だったと記憶する。その建材屋は倒産したらしいが当然のことだろう。

また私は商工会議所に電話をして「ショッピングセンターの計画がそんなに美味しいなら、商工会議所の職員を辞めて自分でショッピングセンターに店を構えたらどうですか?」と聞いたところ、この計画を進めている実行部隊のヘッドに当たる人物が「そんな勇気のある職員は一人もいません」と答えたため「だったら人に勧めるのはおかしいと思いませんか」とヤンワリと皮肉を言ったものだ。

さらに、人望のあると噂の共産党の町議の家にこの抗議文を持って話したところ、この計画には「消極的に賛成する」と答えた。これで私は、少なくとも地方では、共産党というのは表面では正論を吐く芝居をするだけで、議会が終わったら町長たちと一緒に飲んでいるような役者に過ぎないことが分かった。

この抗議文は、どういう手続きをしたのかは忘れてしまったが、議会にかけられ、一度目は継続審議となったものの、二度目にはショッピングセンター計画の賛成多数で私の抗議は水泡に帰してしまった。

ところが私の抗議文を読んだ特別職(助役や農協長など)が、商工会議所に「これは那田君の書いている通りじゃないか、本当に黒字になるのかキチンとした計算書を作り直すように」と責め立てられ結局この計画は潰れてしまった。

このことにより何人の自営業者が喜んだか分からない。母の話によれば、私がいない間に面識のない女性が来て「あなたの息子さんは野村一の知恵者です」と言って手を合わせるようにして泣いていた、という。また例の共産党の町議が私の家の前を通ると「息子さんの言われた通りになりましたね」とオベッカを使ったらしい。

それだけではない。その抗議文を読んだ助役が、これほどの文章を書ける人物が地元にいるとは知らなかったと、お忍びで私の書斎まで来られ、「次の町長選挙に出る趣意書を書いてほしい。手付金として3万を払い、完成したときには10万円をさらに払う」と言われたので、私は最初の3万円はもらったものの、趣意書を書き終えた後の10万円は政治活動への寄付としてもらわなかった。

結局その助役の親友が町議選に立候補したため助役は辞退されて不動産業を営まれ、相当の利益を上げたと聞くが、最終的には女性で失敗して倒産したらしい。その元助役は地方自治法に詳しかったために、田畑を買い取って宅地にし建売住宅を作るという方法で莫大な利益を上げたわけだが、最後にはやはり女に足元をすくわれたわけである。

以上、一人でショッピングセンターを作る計画をブチ壊した話である。

なお、このショッピングセンターはバブル時代に全国各地で実施された。典型的な例は別府温泉である。別府温泉は浴衣姿の観光客が商店街を歩いて回っては買い物をするのが風物詩だったが、ショッピングセンターが出来たおかげで、ショッピングセンターは赤字になった上に、商店街はシャッター街になってしまった。このような子供にでも分かる無謀な計画を推し進めていったから日本中の商店街の大半がシャッター街になってしまったのである。私の記憶では小泉=竹中の時代に当たる。この二人を批判する記事は余りにも多いが、割と穏やかな一例のみを挙げて今日のブログを終えることにする。http://philosophy.hix05.com/Economy/ideas/idea116.koizumi.html