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昨日はfacebookで知り合ったNという男性の開催したイベントに出席するために大久保まで往復した。私は糖尿病性のニューロパチー(末梢神経障害)に罹っているために遠くまで歩くことは出来ないが、怪我をしている訳では無いので我慢をすれば大久保まで電車で行くことは出来る(多少のふらつきはあるが)。
そこで電車の中を見て気づいたことがある。老若男女を問わず半数ぐらいがスマホを見ているのだ。これは単なる私の直観だが、このような状態が進むと日本人は総白痴化するのではないかと思う。
そのイベントの講師は海上自衛隊の高官だった人で、機密情報が含まれているので2つだけ大切なことをブログで公表することにする。
①防衛大学に入った同級生が、夜中にたたき起こされサバイバルナイフ1本で1週間ほど生き抜く訓練をされた、と言っていたが、それはどうやら話に尾ひれが付いた嘘のようだ。自衛隊員になる前の学生にそれほど過酷な訓練はさせず、隊員になっても似たような訓練をさせる場合は必ず上官が隊員の様子が見える場所で見張っているとのことだった。
②その高官は一種のスパイ活動もしていたらしい。そこで例えば情報が100あったとしても、情報を公開するのはその人次第、と言われた。だから、自衛隊の高官は様々な話をされたが、本音で言われた部分はごく一部だったのだろうと思う。
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高校生の時、私は友人と賭けをしていて(この話は後日詳細を語ることにする)片っ端から自分のタイプに当たる女子をナンパしていた。その中でかなり可愛いIという女性がいた。ナンパと言っても今の高校生と違い、時々デートをする程度だった。私は仲間たちとビートルズのコピーバンドを作っていたので、仲間の家で練習をしている時にIはよく遊びに来ていた。
ある日私の家のすぐそばにある旅館の御曹司で、宇和島東高校の副番長を張っていたHという先輩が私の家に現れ、「今度の日曜、愛宕山にIと一緒に来い」と言って帰っていった。
余談だが、「頑張っていきまっしょい」というかなりヒットした映画がある。あの舞台になったのは松山東高校と宇和島東高校をミックスしたものだ。方言が違うし、ボート部は宇和島東は有名だが松山東がボートに強いという話は聞いたことがない。
当日私はIと共に愛宕山にある公園でその先輩を待っていた。愛宕山は盆地である郷里の町中の部分にトンガリコーンのように一際目立った丘であり、そこには展望台や戦没者の慰霊塔や不気味な不動明王の立つ小さなお寺があった。確か真言宗の寺だったと思う。
現れた先輩は実はIは自分の彼女だと言った。私はそのことを初めて知ったので驚き、また頭に来たため「そんな女と付き合う気はありませんから先輩に渡しますよ」と言うと先輩も「そんな女とは俺も縁を切る」と言った。Iは突然泣き始めた。泣き始めたIを尻目に先輩は私のタバコに火を付けてくれ、「これからよろしく」と言った。
後年、私が早稲田大学の修士課程を修了して郷里で学習塾を経営していた時にその先輩の息子さんが塾生になった。かなり成績を上げ、関西の専門学校としては有名な辻調理師専門学校に入学して(もうその旅館は倒産したので本当の名前を出すが)「一二三(ひふみ)」の跡継ぎになった。
これもまた懐かしい青春の思い出である。