nabe語録-スペシャルティコーヒー専門ショップ サーカスコーヒー

京都北山にオープンしたスペシャルティコーヒーショップ「サーカスコーヒー」の熱い日常をご案内します!

私がコーヒー屋として独立するまで④〜私が東ティモールにこだわる訳〜なぜカフェをしないのか?

2021年04月10日 21時19分54秒 | 東ティモール関係
おはようございます!

といっていましたが
もう夜になってしまいました。

今朝のサーカス家のコーヒーは

東ティモール ハニー精製特別ロットでした。




早朝ライブで
ミニ講座。







ロビボ集落で
ジュリオさんたちが作ってくださった
特別ロットです。

昨日から販売始めました!

東ティモールの状況ですが
徐々に支援の動きもでてきたようです。
先はまだまだ長そうですが
まずは一歩から。

引き続き
東ティモール支援企画を行っています!



さてさて
いよいよ独立することになりました。

オープン当初様子です。

お店をするにあたって
カフェでの経験を生かして
カフェをするという選択もありました。

なんなら
カフェで働くまでは
「いつかカフェをしたい」
と思っていました。

勤めていたカフェは
喫茶と販売を行っていました。

実は
「カフェ」と「コーヒー豆販売」は
実は同じようで全く違うことに
気がつきました。

わかりやすく?
なってるかわかりませんが、
「肉屋さん」と「焼肉屋さん」かな?

こられる方の目的が全く違うのです。

私も
はじめはコーヒー豆を売るのに
カフェで飲んで味を知ってもらって
広めていくものと思っていました。

でも実際はちょっと違いました。
(あくまで個人的な意見です)

「カフェ」は「場所の提供」が
主な目的となります。

「コーヒー豆屋さん」は
毎日の生活の中での
日常のコーヒー豆を
提供することが目的となります。

ですので来られるお客様も、
カフェ利用の方とはまた違います。

いつものコーヒー豆が
なくなっては大変、と
なくなるペースを
計算してお客様のちょうどいい頻度で
来店してくださいます。

そこで
コーヒー豆販売の専門店である
サーカスコーヒーとして
私が常に伝えていきたいことは

・コーヒーはコーヒーの実が
 一粒一粒、人の手で収穫され
 たくさんの人の手がかけられて
 一杯のコーヒーになっていること

です。

またお客様にとっての
サーカスコーヒーの存在が

・日常の生活の中で
 サーカスコーヒーのコーヒーががあることで
 少し豊かな時間をもってもらうこと

・家族や仲間が
 人が集まり集う場所で
 サーカスコーヒーが
 接着剤のような存在になること

・そんな「日常」に寄り添った
 コーヒー豆屋になること

です。

ですので
コーヒー豆販売専門の
お店にしました。

もちろん
カフェをする
スペースも
資金もありませんした。

私ひとりで運営できるお店
ということも考えました。

いろいろやるより
自分たちの手の届くことだけを
やっていこうと思って
コーヒー豆販売専門店になりました。

オープン当初2、3年は
妻は安定収入を確保するために
アルバイトにいっていました。

お友達もできて
結構楽しんでいましたが
お店も忙しくなり
妻もお店の
お手伝いを
してもらうことになりました。

お手伝いといっても
お店のデザインや
いわゆるブランディングは
すべて
妻がしてくれています。

デザインのプロではないので
かなりアライところもありますが笑

個人店らしい
サーカスコーヒーらしい
「味」となってます。。。か?

私は彼女のデザインが好きで
発想力など尊敬しています。

私がコーヒー専門、
妻が、デザイン専門と言うことで
家族が食べていくだけの収入を目標に
必死で走っています。

ということで
もう少し続きます。

お腹いっぱいだと
思いますが
もう少しお付き合いください。

そろそろ東ティモールの
コーヒーが出てきます笑

続く。。。












私がコーヒー屋として独立するまで③〜私が東ティモールにこだわる訳〜

2021年04月09日 07時31分02秒 | サーカスコーヒーの軌跡
おはようございます!

今朝のサーカス家のコーヒーは
7⭐︎9ブレンドです。

コクと深みが心地よいです。

東ティモールの豪雨の被害が
日々明らかになってきています。




遠く離れた日本から
想いを届けたいです。

昨日も
東ティモールを
たくさんの方に
選んでいただきました。

ありがとうございます!


さてさて
昨日の続きです。

上場企業を退職して
実は
ほとんど語ったことはないですが
コーヒー業界を離れようとしました。

でも
改めて
自分には
コーヒーしかないと
知ることになりました。

そして
自分が本当に希望する
カフェに転職しました。

そのカフェは
自分での大好きなカフェした。

大阪のカフェです。

今でも目標とすべきお店です。

お客として行った時の
おもてなしの接客と
コーヒーの専門性が
とても好きで利用していました。

学生時代は少し
居酒屋でアルバイトもしていましたが
30歳を超えて
はじめての本格的な接客業。

はじめは
学生さんなどに
テーブルの拭き方から
教えてもらいました。

慣れていくうちに
接客の楽しさを
感じるようになりました。

体力的には
今までの
10倍ぐらいキツかったですが
お客様や
若いスタッフたちとの
やりとりも楽しかったです。

「ありがとう。美味しかった」

と言われると
全ての疲れがぶっ飛びました。

それまでは
「製造業」として
コーヒーと
関わってきていました。

カフェでは
「接客業」として
いかにおもてなしするか
喜んでもらうか
コーヒーの楽しさを伝えるか
を考えて
仕事をすることにも
とてもやりがいを感じていました。

お店以外でも
広報として
今までのコーヒー業界の繋がりをいかして
コーヒー講座の開催を
企画したりさせていただきました。

ただ
なかなか体力的には厳しく
家族との時間が
十分持てない年月が過ぎていきました。

そのしわ寄せが
子育てにいくことになりました。

ほとんど
長女に関しては
幼い頃の子育てに関わることが
できませんでした。

それで
子供が小学校にあがる前に
京都に実家の方に帰るか
西宮で子育てをするか
決めようと
考えるようになりました。

そんなタイミングで
妻が京都の実家に帰省していた時に
たまたま
散歩しているときに
実家のすぐ近くの
今の店舗物件が売りに
なっていることを
たまたま知りました。

私も小さい頃から知っている
日本茶の販売店で
とても素敵な
雰囲気がありました。

そして
妻はある意味、
一目惚れしました。

金銭的、
仕事的なもろもろ
たくさんの問題がありましたが
縁があって
京都に帰って
その物件に住むことになりました。

引き継いだころの店内

それから
独立することになります。

ということで
また
明日に続きます。

ちょっと延び延びになった内容に
なっていますね。
すいません。

いろいろ思い出していくと
当時の想いがよみがえり
なかなか進みません笑

今日もよい1日を!





私がコーヒー屋として独立するまで②〜私が東ティモールにこだわる訳〜

2021年04月08日 07時58分38秒 | サーカスコーヒーの軌跡
おはようございます。

今朝のサーカス家のコーヒーは
7⭐︎9(紫竹)ブレンドです。



東ティモールの水害被害に関して
たくさんの方がご支援いただき
誠にありがとうございます。

引き続きよろしくお願いいたします。

昨日の続きです。

そんなこんなで
真珠会社を退職して
インドネシアから
帰国してきました。

たった2年間でしたが
私にとって貴重な時間でした。

帰国してからは
次にどうすればいいか
悩み迷走した期間でした。

そんな中で
たまたまハローワークから
来た会社紹介で
なにか気になる会社がありました。

営業の募集だったのですが
とりあえず面接を
受けてみることにしました。

面接で
その本社の横に建設中の
コーヒー焙煎工場でも募集で
お誘いいただきました。

新設の工場の
立ち上げに携わることも
貴重な経験だと感じました。

また
「ブラジルに行けるかもしれない」
というお誘いに
即答で「ではお願いします」
ということになってしまいました笑



ほんと何かに導かれるように
コーヒー業界に入ることになりました。

それも
新設工場の品質管理研究開発を
任されることになりました。

コーヒーに関して
全く知識のない私にとって
それはそれで
かなりのプレッシャーでした。

当時は
専門書を片手に
頑張って勉強しました。

佐賀県鳥栖での研修を終えて
神戸の工場に配属になりました。

工場の方は
九州出身の方がほとんどで
工場内の共通語は
博多、佐賀弁でした笑

幸いとてもいい方々に
恵まれました。
未だに当時の所属長をはじめ
たくさんの方と繋がりを
もたせていただいています。

コーヒーを勉強する中で
コーヒーの栽培の歴史や
経済的な南北問題など
私がティモールで感じてきた課題と
ほとんど共通していました。

たまたま
コーヒー業界に入ったのですが
なにか強い縁を感じました。

そのころから
今までは
正当な評価をされていなかった
コーヒー生産者が
努力したら
正当に評価される仕組みを
広げていくことが
おおげさにいうと
「私の使命」
ではないかと感じるようになりました。

工場では
コーヒーのことを勉強することが
お仕事のような
夢のような立場で
働かせていただきました。
もちろん色々ありましたが笑


無事?
ブラジルの研修にも
いかせていただきました。

初めてのコーヒー農園は
感動しました。

このころから
今度は消費者に近いところで
コーヒーの魅力を伝えたい
という思いになりました。

そして
5年ほど在籍した後
カフェに転職することしました。

そのころ結婚して
長女が誕生したばかりで
私も30歳をこえていました。

乳飲み子を抱えて
上場企業を辞めて
パパは大丈夫なのか・・・

っということで
今日はこの辺で。
つづく。

ほとんど写真がなくてすいません。








私がコーヒー屋として独立するまで① 〜東ティモールにこだわる訳〜

2021年04月07日 06時55分25秒 | サステイナブルコーヒー
おはようございます

今朝のサーカス家のコーヒーは
インドネシア マンデリン 
リントン タノバッタクです。





日本でも
少しづつ報道されてきています。







東ティモールとインドネシアに
甚大な被害が出ている
4月4日の豪雨被害。

東ティモールだけでなく
周辺の島々でも
甚大な被害がでているようです。

まだまだ
全容が見えないところですが
被害が最小限に収まることを願っています。






東ティモールには
2度訪れました。


場所はこんなところです。

なぜ、東ティモールにこだわるのか。

なんどか
お話していますが
以前2年ほどですが
ティモールに住んでいました。

大学で水産学科を卒業しました。
就職活動の際に
「インドネシアで真珠をつくらないか!」
みたいな募集がありました。

海外で仕事をしてみたいという希望と
手に職をつけたいという希望が
両方叶う募集だと考えいました。

これしかない!
っと思って
猛烈に会社にアピールし
採用していただくことになりました。

入社一年目
愛媛県宇和島市で
国内の真珠業を学び


仕事場


貝掃除しているところ

その後、
インドネシア 
ティモール島 
クパンに配属になりました。

赴任したときに
ちょうど
長期政権が崩壊したところで
インドネシアが混乱している時でした。

はじめて
ジャカルタの事務所に行った時も
トラックの荷台にたくさんの人が乗って
叫びながら走り回っていました。
さすがにビビりました。

赴任したクパンでも
先輩たちにイチから
いやゼロから
教えていただきました。

日本では考えられないことが
日々起こり
刺激的な毎日でした。
(公ではNGのことも多く
私と飲みに行くことがあれば
聞いてくだされば
お話しします笑)



その後
ティモール島の半分の
東ティモールで独立の騒乱がおこり
住んでいた港や街でも
東から逃げてきた方の
難民キャンプなどができていました。

日本からの自衛隊の船も
何度も見かけました。

後から知ったのですが
その頃
東ティモールでは
大変なことになっていました。

私はその頃、
治安の悪化や
仕事のことで
ここで一生やっていく覚悟と自信を
持てなくなっていました。

また、
デング熱になったして
退職して帰国することにしました。

(初めは、
マラリアと腸チフスの合併症と
言われました笑
その後、ジャカルタから医師が来て
ジャカルタに輸送されました。)

カッコよく言っていますが
挫折して帰ってきた感じです・・・

その2年間は
私にとって辛いことも
たくさんありました。

しかし
今思うと
普通では経験できない
貴重な体験をたくさん
させていただきました。



休日に日が
落ちるまでサッカーしたり。


一応仕事中です笑

発展途上国の生の姿、
外から見た日本など
日本にいたら
感じることができなかったことを
実感しました。

帰国して
コーヒー会社に就職して
コーヒーの世界に入ります。


続きは明日へ


せっかくなので
この機会に
東ティモールのことに
関心をもってもらえたら嬉しいです。










東ティモール緊急支援企画を開催します!

2021年04月06日 07時02分34秒 | 東ティモール関係
おはようございます!

今朝のサーカス家のコーヒーは
東ティモールロビボ集落
ニュークロップ(新豆)です。





今朝のライブ配信は
東ティモールミニ講座になりました。

先週末から
東ティモールの
新年度の生豆が入荷しました。

このタイミングで
とんでもないニュースが
飛び込んできました。





あまり日本では
大きなニュースになっていませんが
東ティモールで大雨が降り
大洪水となって多数の被害が出ています。




さらに
新型コロナも
広がってきていたタイミングで
隔離医療施設、
PCRを調べる国立研究所、
国立医薬品倉庫も
浸水しています。

この白い屋根の建物が
国立の医薬品倉庫だそうです。

まだまだ被害の全容が
わからない状態だそうです。

以前東ティモールに
行った際に訪れた現地事務所も
浸水1m泥水が進入しました。


つい2、3日前の状況です。


2019年に訪れた時の様子です。


サーカス缶も東ティモールまで行っています。



ディリだけでなく
コーヒー産地の山間部でも
土砂崩れが
起こっているエリアもあるようです。
心配です。


またこのように
早く
会える日が来ることを願っています!

そのために
私たちになにができるか・・・

とりあえず
東ティモール支援企画ということで
東ティモールのコーヒーを飲みましょう!

今回、
4月末まで
緊急支援をします。

東ティモールコーヒーの
売り上げの一部(100gにつき50円)を
援助金として
パルシックさんを通じて
現地に役立てさせていただきます。


密かに2019年から
東ティモールの売り上げの一部を
産地の教育に使ってもらうように
支援させていただいています。


今回は
緊急企画として
洪水の復興に役立てていただきます!

日本だけでなく
世界中で
気候変動の影響が
出てきています。

出来ることから
始めていきましょう!