nabe語録-スペシャルティコーヒー専門ショップ サーカスコーヒー

京都北山にオープンしたスペシャルティコーヒーショップ「サーカスコーヒー」の熱い日常をご案内します!

私がコーヒー屋として独立するまで① 〜東ティモールにこだわる訳〜

2021年04月07日 06時55分25秒 | サステイナブルコーヒー
おはようございます

今朝のサーカス家のコーヒーは
インドネシア マンデリン 
リントン タノバッタクです。





日本でも
少しづつ報道されてきています。







東ティモールとインドネシアに
甚大な被害が出ている
4月4日の豪雨被害。

東ティモールだけでなく
周辺の島々でも
甚大な被害がでているようです。

まだまだ
全容が見えないところですが
被害が最小限に収まることを願っています。






東ティモールには
2度訪れました。


場所はこんなところです。

なぜ、東ティモールにこだわるのか。

なんどか
お話していますが
以前2年ほどですが
ティモールに住んでいました。

大学で水産学科を卒業しました。
就職活動の際に
「インドネシアで真珠をつくらないか!」
みたいな募集がありました。

海外で仕事をしてみたいという希望と
手に職をつけたいという希望が
両方叶う募集だと考えいました。

これしかない!
っと思って
猛烈に会社にアピールし
採用していただくことになりました。

入社一年目
愛媛県宇和島市で
国内の真珠業を学び


仕事場


貝掃除しているところ

その後、
インドネシア 
ティモール島 
クパンに配属になりました。

赴任したときに
ちょうど
長期政権が崩壊したところで
インドネシアが混乱している時でした。

はじめて
ジャカルタの事務所に行った時も
トラックの荷台にたくさんの人が乗って
叫びながら走り回っていました。
さすがにビビりました。

赴任したクパンでも
先輩たちにイチから
いやゼロから
教えていただきました。

日本では考えられないことが
日々起こり
刺激的な毎日でした。
(公ではNGのことも多く
私と飲みに行くことがあれば
聞いてくだされば
お話しします笑)



その後
ティモール島の半分の
東ティモールで独立の騒乱がおこり
住んでいた港や街でも
東から逃げてきた方の
難民キャンプなどができていました。

日本からの自衛隊の船も
何度も見かけました。

後から知ったのですが
その頃
東ティモールでは
大変なことになっていました。

私はその頃、
治安の悪化や
仕事のことで
ここで一生やっていく覚悟と自信を
持てなくなっていました。

また、
デング熱になったして
退職して帰国することにしました。

(初めは、
マラリアと腸チフスの合併症と
言われました笑
その後、ジャカルタから医師が来て
ジャカルタに輸送されました。)

カッコよく言っていますが
挫折して帰ってきた感じです・・・

その2年間は
私にとって辛いことも
たくさんありました。

しかし
今思うと
普通では経験できない
貴重な体験をたくさん
させていただきました。



休日に日が
落ちるまでサッカーしたり。


一応仕事中です笑

発展途上国の生の姿、
外から見た日本など
日本にいたら
感じることができなかったことを
実感しました。

帰国して
コーヒー会社に就職して
コーヒーの世界に入ります。


続きは明日へ


せっかくなので
この機会に
東ティモールのことに
関心をもってもらえたら嬉しいです。











最新の画像もっと見る

コメントを投稿