小学校に上がる前後の数年間、私は拒食症でした。
未熟児で生まれ、小さい頃から体が弱く、毎週の病院がよい。神経も細くて、ストレスによって引き起こされる”自家中毒”と言われる原因もなく吐く症状も、週末になるとおこり、親は心配で、私にしっかりとした食事を食べさせようと努力しました。
その結果、食べる事が心の負担となり、苦痛で苦痛でたまらなくなって。
今でも覚えています。ごはんの時間が恐怖だった事。
”ひょっこりひょうたん島”の絵のついた小さな小さなお茶碗に盛られた、一膳のごはん。
『これさえ食べれば、ここから、解放される』と、胸がつぶれる思いでお箸に乗せた記憶。
体も人一倍小さく、骨が透けて見えるほどでした。
小学校1年の時はとてもよかった視力も、栄養失調のため突然0.1まで下がり、親はますます心配して。
でも、治ったんです。
きっかけは、夏休みの初日から、最終日まで預けられた、静岡の「おばあちゃんち」
母と祖母は性格が、正反対。
鷹揚でおおらかで、ずぼらとも言える祖母。掃除もいい加減、食事のしたくも適当。細かい事は全然かまわず。
勉強も、ピアノもしなくて良くて、スピッツ犬のルルと遊び、裏の小川でかえる遊びに、沢ガニとりにドジョウすくい、ニワトリのえさを作ったり、たまごを拾ったり、アオダイショウの脱皮を一日中見ていたり、近所のヤギをつっついたり、地元のプールに勝手に行ったり。
お店をしていたおばあちゃんは、ほぼ放任。野ザル生活を楽しみました。
ごはんも、食べたくないと言うと、『じゃー、いいか。』卵かけごはんを毎食毎食食べても、「まあ、いいか」
おかげさまで一夏、ほぼ毎日、庭のニワトリが産んだ、たまご掛けごはんを食べ続けました。
夏休みの最終日に迎えに来た両親が、驚くほど真っ黒になった私は、それからごはんが少しずつ食べれる様になりました。
今では、拒食症になってみたいほどなのにね。
私に、何ひとつ見返りを求めずに、あふれる愛をくれた、祖母が13日に亡くなりました。
93歳の大往生。寝込んだのは1日のみ。最後まで意識もはっきり。
自宅のベッドで眠りながら亡くなったので、これ以上は望みますまい。
ひとつだけ、今、私が一番早い飛行機に飛び乗っても、告別式にも、お葬式にも間に合いません。
お骨になる前に、お別れが言いたかった。
手を握ってありがとうって言いたかった。
それだけが、心残りです。
私が昨年末送ったクリスマスカードが、祖母の枕の下から出て来たそうです。
つらいです。
ごめんなさい。今日はこんな記事で。
お葬式に出られなくても・・・
告別式に出られなくても・・・
おばあちゃまは、いつもばくちゃんの側にいます。
海外で生活してると
どうしても駆けつけたくっても
行けないことあります。
貴女の心は通じています。
祈る気持ち、愛しい気持ちは
離れていても通じます
今、貴女は切ない遣り切れない気持ちでしょうが
貴女が、イギリスで幸せに暮らしてる
それだけでおばあちゃまは
嬉しいはずです。
もしも、日本に行けず後悔して嘆いているのならば
おばあちゃまは悲しむはずです!!
それより貴女に 今
出来ることを考えましよう
そうじゃないと・・・
おばあちゃまが安心して旅立てませんよ!!
パリより 合掌
ばくさんの原動力の源がこれで分かりました。海外に住んでいると本当にこのお辛い気持ちが心痛くて最後のコメントを読んで泣いてしまいました。でも、きっとおばあちゃまもばくさんのそんな気持ちを汲み取って下さってますね。「クリスマス・カードとともにばくさんとは、何時も一緒だよ」ときっとおばあちゃまからのメッセージで、ばくさんの事を離れていても心から愛されていたんですね。 これからもいつもおばあちゃまが見てますよ。乗り越えて下さいね!
そこに私はいません 眠ってなんかいません
千の風に 千の風になって
あの大きな空を 吹きわたっています
秋には光になって 畑にふりそそぐ
冬にはダイヤのように きらめく雪になる
朝は鳥になって あなたを目覚めさせる
夜は星になって あなたを見守る
私のお墓の前で 泣かないでください
そこに私はいません 死んでなんかいません
千の風に 千の風になって
あの大きな空を 吹きわたっています
千の風に 千の風になって
あの 大きな空を 吹きわたっています
あの 大きな空を 吹きわたっています
~千の風になってより~
理想のおばあちゃん像だわ。
ステキなおばあちゃまの元でばくさまも幸せだったね。お別れは辛いけど・・・きっとおばあちゃま、見守ってくださってるから。ご冥福をお祈りいたします
ばくさんのすてきな「おばあちゃん」でいらっしゃったんですね。
「こんな記事」なんて、とてもいいお話をいただきました。
ばくさんには、お別れできないことが心残りなのですね。
今は悲しみに浸ってください。
きっとおばあさまの思い出が、再びばくさんを元気にしてくださいますよ。
うちもそうだったように、お婆ちゃんの孫に対する愛情は別格ですからね。
ばくさんに対する愛情の深さが、枕の下に忍ばせた物から感じられますね。
おばあちゃま ステキな方なのね☆
何でも受け入れてくれる心の広さ おおらかさ。
本当は一番大切な事なのよね ありのままを受け入れてくれるって事。おばあちゃまは93才まで長生きされて 皆に愛された人生を歩まれたことでしょう。ステキなおばあちゃまだね☆
真っ黒に日焼けして笑う女の子の姿が私にも見えるようです。そして、ばく様のそのお姿こそ、おばあ様にとっての、ばく様からの「ありがとう」そのものだったのではないでしょうか。おばあ様は愛と喜びを体現なさった方だったのですね。
心からご冥福をお祈りいたします。
以前から楽しみに読ませて頂いていたのですが、初めてコメントいたします。
今日のお話が、あまりにも私の小さい頃と似ているので、思わず・・・
私も、唯一、食事が苦痛でなかったのは祖母の家でした。残しても怒られない。その頃の「好きなメニュー」は、全部「おばあちゃんの味」でした。(必死になっていた母には申し訳ないのですが・・・)
おばあちゃんに会いに行こう、と思いました。
素敵なお話を、ありがとうございます。
ばくさんのおばあさまのご冥福を、心よりお祈り申し上げます。
でもそんなお祖母ちゃまだから、ばくさんのキモチはきっとわかってくださるでしょう。
今は悲しいね。
悲しい時はガマンせずに泣いてください。
心よりご冥福をお祈り申し上げます。
亡くなる前日まで意識がはっきりしていて、
結局老衰だったんですけど、
最期は義母や孫達に見守られて、、、
「おじいちゃん、とっても幸せな
94年間だったね・・」と
反対に嬉しい気持ちになりました。
大往生で、眠りながら亡くなることができる人って、ステキな人生を送った人なんですって。
だから、おばあちゃんは、幸せな人生を歩んでいった人なんでしょうね♪
そして、とても心の広い、ステキな女性だったのでしょうね♪
ばくさんも、そんなステキな女性のお孫さんで、本当に幸せですね!