活字の「明朝体」と「顔真卿(ガンシンケイ)」

2021-02-04 19:49:01 | 篆刻




今から1200年以上前の顔真卿(709~785年)は書家としても有名ですが、
政治家として強直な人生を過ごした人だったことを知りました。
イメージとしては古武士のような風貌だったようです。

実は顔真卿と活字の明朝体との関係が深かったのです。
明朝体の活字は顔真卿の楷書の風格をもとにして明の時代に
印刷を目的として作り出されたものと解説されています。

明朝体はパソコンのワードにも標準装備されています。
新聞などの活字も明朝体の範疇です。
その明朝体をベースに様々なフォントも開発されています。

漢字(漢語)の歴史は甲骨文字から始まって3千年以上ですが
現代に至るまで様々な書体の変遷を辿っています。

顔真卿と明朝体との関係を知ったのは魚住和晃氏の著書です。

2度目の緊急事態宣言で、ライフスタイルにも変化があります。
図書館などへ行く機会も減り、偶々、書棚を眺めていましたら
魚住和晃氏の「現代筆跡序論」が目に留まりました。
難しそうな題名ですがとても平易で読みやすいです。
実はこの本を購入したのは2001年2月のことでした。
(現在も文春新書で販売されているようです)
名古屋のカルチャーセンター篆刻教室に通い始めたころです。
当時の既読の有無の記憶は定かではありませんが改めて読み、
教えられること多々ありました。

顔真卿は幼いときに父親を亡くし、死ぬときも壮絶だったと
記載されています。

家が貧しかったため「家貧無神筆」の状態で木の枝と石を筆代りに
書を習ったといわれています。
26歳で科挙に合格!
当時、科挙の試験倍率は最も高い時で約1万倍!だったそうですが。
弁護士試験よりも遥かに厳しいですね。

顔真卿は書家でも有名ですが元々は政治家です。
清廉潔白な性格で左遷、左遷の連続でしたが決して志を
曲げることはなかったとされています。
野球で例えれば直球一本だったんでしょう。
時代は玄宗皇帝、楊貴妃のころ、安倍仲麻呂も同時代のひとでした。
李白、杜甫も同時代です。

明朝体は簡潔で正方形のため機能性が高く、印刷用活字ですが
毛筆体の楷書の1書体として連綿として使用されています。

いわば顔真卿は今も生きている!
という感じです。

中国の書道家では東の横綱が王義之とすれば、顔真卿は
西の横綱ともいえそうです。

顔真卿は孔子の弟子である顔回の子孫でもあるようです。

昨今と違ってもちろん公募展もない時代、手紙のたぐいが
その作品となって残っています。
中には石碑として千数百年を経て受け継がれています。

当時の杜甫の詩「国破れて山河あり」も有名です。

昔は石碑という記録がありましたが現在の記録媒体の
USB,DVDなどはプラスティックですから
千年以上の保存には耐えないことでしょう。

今回は併せて陳舜臣氏の図書も参考にしています。

ご参考までに。
作品の中に沢山の印が押してありますが「鑑蔵印」といいます。
蒐集の喜びや自らの鑑識眼の確かさを後世に伝えるために
印を押す。
沢山の印がおしてあれば、様々なひとの手を経てきたかの証明で、
足跡のようなもの、日本ではありえないですね。


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