ぼくは行かない どこへも
ボヘミアンのようには…
気仙沼在住の千田基嗣の詩とエッセイ、読書の記録を随時掲載します。

2023紅白歌合戦雑感

2024-01-05 13:10:44 | エッセイ
 今日の時点で、のんびりこんなことを書いているのは間抜けな感じだが、夕べのどこかの国の首相よりはましかもしれない。
 家でのんびり紅白歌合戦を眺めながら思ったことを記してみたい。ただし、途中、吉田類の酒場放浪記とかで、気仙沼が映っているという情報があって、気仙沼市田中前の「あじくら」の様子と旧向洋高校の震災遺構伝承館から、岩手県釜石の話題あたりまで中抜けした。そのあいだに寺尾聰の歌を聴き損ねたのは残念だった。

【最近の連中】
 前半の、ダンスと歌とセットで演じる若い人達のグループについては、男女関わらず、どれもおんなじように聞こえて区分けがつかない。歌詞もメロディーも印象に残らない。似たようなリズムがえんえんと続いているだけ、に思われる。なんだ、昔の年寄りみたいだ、と思うが、確かに現に高齢者ではある。ただし、YOASOBIは、良かったかもしれない。ギターを弾き語るあいみょんは、なかなかである。

【司会の有吉と、大泉洋】
 ところで、司会だが、有吉弘行は、キャラ変したみたいで、こんなんでいいんだろうかと疑問だった。彼は、出演者をイジるのがお決まりで、放送していいのかどうかギリギリのところを攻めることでのし上がってきたタレントだったはずだ。最近、それではポリコレ的にどうかという流れではあるだろう。NHKのレギュラーの番組でのMCは、そのあたりの加減が絶妙で、ソフィスティケイトされながら、どこかにスパイスのように毒を感じさせる具合で悪くはないと思う。
 しかし、たとえば、彼にとっては猿岩石というのは黒歴史だったはずだ。あんなに真っ白で初々しい姿は封印していたはずだ。
 紅白の司会において、有吉は、あまりに正統派で折り目正しく清廉過ぎた、と思う。ただ、一回、時間が間に合わなかったという体で、着替えが終わらずシャツの裾など入れられず、靴下もはいていないかのように飛び出してきたときがあったが、それが救いだったというか、せめてもの彼の抵抗だったのではないか、と思ったりもする。つまり、意図的だったのではないか?
 それと大泉洋である。彼は、ことしも司会で良かったはずである。
 なんで無理に歌手として出場させたのだろうか?歌が下手だとは言わないが、紅白に出るレベルのヒットもないし、歌唱力も見事というわけでもない。いわゆる役者の歌という味わいがあるわけでもない。司会だったら良かったのにと思う。
 女の子の司会ふたりの歌も、まあ、なくても良かったが、これはまあご愛敬。有吉とか大泉洋に歌わせるためにバランス取っただけだろう。しかし、橋本環奈は、落ち着いて進行役を務め司会をこなしていたようで、なるほどと思わされた。浜辺美波は初々しくて良い。(この段、ポリコレ的に問題有りかな?)

【椎名林檎について】
 椎名林檎が、なにか途中でついでのように登場していた、というふうな感じだった。デビューしてからずっと、椎名林檎はインパクトのある存在であり続けてきたが、今回は、流れの中でさらっと流れて終わったみたいな。新宿歌舞伎町だとか言って風俗だの歌謡曲的な世界の中心と、花園神社の黒テントや赤テントとか蜷川の出発点とか、学生運動だとかいう新宿イメージの重層する複雑さが、彼女の魅力であったと思う。路地裏の秘密の扉の先の秘密クラブの女王を演じていたはずだ。サブカルの女王。ハイカルチャーに対して、カウンターするサブカルチャー。風俗方面であれ、テント方面であれ、いずれにしてもサブである。メインストリームへのオルタナティブ。
 椎名林檎は、いつのまにかサブである自らの立ち位置を見失って、メインの一部になりおおせた、のだろうか。成り上がったのか、成り下がったのか。重層した複雑な深みを見失ってしまったように見えた。オルタナティブの立ち位置を見失った椎名林檎は何処に行くのだろうか?ミイラ取りがミイラになった、みたいな話でもある。

 途中で、吉田類氏に導かれて、「あじくら」の大将とか、語り部ボランティアの、元三陸新報編集局長近藤さんが旧向洋高校の震災遺構案内する様子とか拝見して中抜けしつつも、今回も紅白歌合戦は楽しませていただいた。そこまでは、明けてからのたいへんな出来事など夢にも思っていなかった。


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