ぼくは行かない どこへも
ボヘミアンのようには…
気仙沼在住の千田基嗣の詩とエッセイ、読書の記録を随時掲載します。

須藤文音さんの「湾Ⅲ-未来への希望」(三陸新報3月3日掲載)

2016-04-25 22:18:25 | エッセイ

 気仙沼出身の須藤文音さん、偕成社から「地震の話を聞きに行く―父はなぜ死んだのか」を出版されたりしている作家。この本については、下記に短く紹介を書いている。http://blog.goo.ne.jp/moto-c/e/6915019c807c8afef08346d7a38cee0b

 彼女が、今年3月3日付の三陸新報に、私の詩集について、下記のとおり紹介してくれた。

 

 新・霧笛の会同人で詩人の千田基嗣さんから、詩集が届いた。

 『湾Ⅲ 2011~14』という名の真白い冊子で、表紙には、千田さんの同級生で画家の常山俊明さんによる白黒で描かれた大きな船が座している。二〇一一年の東日本大震災の際に鹿折地区に打ち上げられた第十八共徳丸だ。あの当時気仙沼にいた人間ならば、そのフォルムを見るだけでこみあげるものがある。

 『湾Ⅲ』は「水」という一編で始まり、「笑うクジラ」までの三六編からなる。冒頭から命の根源である水を謳い、波を論じる。「水」、「海」、「風」、「船」。それらは、気仙沼を構成するものであり、千田さんのこれまで過ごされてきた人生そのものなのだと思う。海の青や雲の白、夕映えの橙が、温度を伴って色彩豊かに表わされていく。

 千田さんの紡ぐ言葉たちは、詩的でありながら、時に哲学的だ。「当たり前であること」を疑い、読者に問う。というより、そっと隣へ置いていかれる。なんてことのない一日が、特別な一日にピックアップされる。

 ただ、震災を経験した私たちは、そのなんてことのない一日がどれだけ大切なことであるかを知っている。

 二〇一一年以降の詩ということは、当然東日本大震災がテーマとなる。深い悲しみや悔しさが言葉の端々から感じられる。それは本人曰く震災で「何も失わなかった」罪悪感であるのかもしれないし、無力感のようなものかもしれない。震災後の心情を詩に乗せた「半分はもとのまま」(宮城県芸術協会文芸賞受賞)、「船」(白鳥省吾賞優秀賞受賞)も加筆修正を経て収録されている。

 あとがきによると、詩集のタイトルとなっている『湾』は気仙沼湾の意だという。二七歳の時に『湾』を、三六歳の時に『湾Ⅱ』を発表していたが、三作目はさらに虚構の世界に広がりを持たせた「寓話集」というタイトルを当てて二〇一一年の一月に刊行した。そして東日本大震災を経て、千田さんは再び、『湾』へと戻った。

 千田さんは港で生きる人の日常や失われたものたちの記憶を描きながら、作中で「思い出したくない」、「忘れたい」、「忘れられない」「忘れない」とストレートな言葉をぶつける。誰もがこの五年で反芻してきた感情だと思う。震災を受け入れられる日があったり、もう立てないくらい打ちのめされる日があったり、五年が経つ今も、心の整理がつかない。「何も失わなかった」人はだれもいない。

 千田さんが選びとった言葉は、ありきたりな日常の愛おしさと、港町で生きる人たちの力強さに満ちている。と同時に、自分の記憶を言葉にして叩きこもうという気迫を感じる。それは震災を経験した詩人の矜持であり、全霊をこめた鎮魂と再生の祈りのようにも思う。

 最後にまとめられた「笑うクジラ」は歌のように、文字からメロディが聞こえてくる。それは優しく、さわやかな潮風と共に、未来への希望を感じさせるレクイエムとなっている。

 

 以上、ずいぶんと正確に私の書いたものを読み取っていただけたものと思う。

 実は、「湾Ⅲ」の中に、それとは明確に名指されてはいないけれども、確かに、文音さんは住まっているし、その父親、勉さんも住まっている。


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