ぼくは行かない どこへも
ボヘミアンのようには…
気仙沼在住の千田基嗣の詩とエッセイ、読書の記録を随時掲載します。

浦河べてるの家 べてるの家の「非」援助論 医学書院 2002

2022-12-14 20:58:28 | エッセイ
 副題は、そのままでいいと思えるための25章。
 著者はべてるの家の名義であるが、その過半は、向谷地生良氏の著述である。向谷地氏については、ここであえて触れるまでもないだろうが、べてるの家の創設者、浦河赤十字病精神科ソーシャルワーカーから、北海道医療大学で精神保健福祉士養成コースの現在は名誉教授のようである。1955年生まれ、私より、1歳年上となる。
 べてるの家とは何か、については、以前に、このブログで向谷地氏の著作を紹介したこともあり、省略する。この書も、精神保健福祉に関わろうとする人間にとって、必読の書というべきであって、私も、まだ読んでいなかったのかとお叱りを受けてしかるべきものである。

【べてるは問題だらけ】
 第1章は「今日も、明日も、あさっても べてるはいつも問題だらけ」である。

「ベてるは、いつも問題だらけだ。」(22ページ)

 問題があることが「順調」なことなのだという。

「…非常手段ともいうべき「病気」という逃げ場から抜け出て、「具体的な暮らしの悩み」として問題を現実化した方がいい。それを仲間どうしで共有しあい、その問題を生きぬくことを選択したほうが実は生きやすい――べてるが学んだのはこのことである。
 こうして私たちは、「誰もが、自分の悩みや苦労を担う主人公になる」という伝統を育んできた。だから、苦労があればあるほどみんなでこう言う。「それで順調…」と。」(22ページ)

 べてるの家では、精神障害の当事者が周りの支援者、専門家に守られて、隔離されて、問題に直面しないことを良しとするという考え方をとらないのだという。障害者も、問題に向きあい、悩みや苦労を担う当事者となるというわけである。
 しかし、当事者が一人で問題に立ち向かうわけではない。同じような悩みを抱える仲間がいるし、なにより、向井谷地氏のような伴走する専門家がいる。(また、精神科医の川村氏のような。)
 ここでの支援者は、生まれたばかりの子を守り育てる母親のように、あるいは全能の父親のように、何から何までやってくれる存在ではない。あくまで、伴走者であろう。

【人生は右肩下がり、精神障害者の鋭敏なセンサー】
 第3章は「地域のためにできること」である。

「べてるのメンバーが精神障害という病気と出会って学んだいちばん大切なことは、「生き方の方向」ではないだろうか。」(40ページ)

 一般的には、人生は右肩上がりに成長していくことを良しとするものである。

「ところが不思議なことに、「精神障害」という病気はそれを許さない。「再発」というかたちでかたくなに抵抗する。」(40ページ)

 右肩下がりの人生こそが素晴らしいのだという。そして精神障害者こそが、それに気づいているうらやむべき存在であるのだと。

「精神障害者とは、誰よりも精度の高い「生き方の方向性を定めるセンサー」を身につけた、うらやむべきひとたちなのかもしれない。」(40ページ)

 NHKBSの番組で、自転車に乗りながら嘯く火野正平ではないが、「人生下り坂サイコー」である。(高齢者と障害者では、意味合いが違うだろうが、案外微妙な違いでしかないのかもしれない。)
 この章のタイトルの「地域のためにできること」とはどういうことなのかを含め、様々な興味深い事例、あるいは事件が、向井谷地氏の記述と、当事者たち自らの言葉を並べて紹介されているが、それは直接、著作にあたっていただくこととする。
 書物の末尾に、向谷地氏と、精神科医の川村敏明氏へのインタビューが掲載されている。

【人の場の豊かさ、関係の豊かさの回復】
 向谷地氏の聴き手は、医学書院編集部とのことであるが、編集者の白石正明氏で間違いないだろう。
 向谷地氏は、こう述べる。

「精神障害は「関係の病い」であるとよく言われる。自分との関係、家族との関係、そして職場における人間関係につまずくことである。一方、回復へのヒントも「関係」のなかにある。関係の中で傷つき病んだこころは基本的には、関係の中でしか回復しない。」(212ページ)

 これは、齋藤環氏らもよく使う「人薬」のことである。

「精神障害という病気が治る、癒やされるということは、じつは治療者も含めてその人の生きている「場全体」の豊かさと密接に関わっている。その意味で、「場全体の回復」という言葉も最近浦河ではよく用いられるようになってきた。」(212ページ)

 場の豊かさの表れとして、障害者のみではなく「ドクター、ナースも回復できる作業所づくり」や「地域の人たちも回復できる作業所」というキャッチフレーズまでもが生まれているという。そして、「いちばん恩恵を受け「社会復帰」できたのは。誰でもないソーシャルワーカーである私自身である。」(212ページ)とまで語る。

 場の豊かさ。
 いわゆる健常者は、場の貧しさをなんとかごまかして、ダブルスタンダードで生きていく能力を持った人々、むしろ、ダブルスタンダードを強いられながらなんとかごまかして生きている人々というべきなのだろう。

【危機緩和装置、あるいはダブルスタンダードは通用しない】

「精神障害者を体験した当事者は、そのような二重の基準のなかでは器用に生きられない人たちが多い。ウソや隠し事が苦手である。べてるの家のメンバーとかかわりあうなかでいちばんの大変なことは、そのような二重の基準が通用しないと知ることなのである。」(214ページ)

 向谷地氏は、二重基準が通用しない場で、人間として成長することができたという。

「…“発病する”ということが「関係の危機を緩和する装置」として働いている部分が見えてきた。逆に緩和装置をもたない私たちは、どこまでも泥沼になるわけです。」(228ページ)

 ふつうの理解では、関係の危機をもたらすものこそ発病であるはずだが、逆に、実はそれが緩和装置なのだと。

「精神障害の人たちは、無理をしたら元気がなくなったり、ストレスにさらされたらそれが再発を引き起こすという「緩和装置」をもっている。かれらは、そういう緩和装置を使って関係を改善するための工夫をつねにしている。…関係をつねにバージョンアップしていく力を持っているんです。少なくとも私が当事者の人たちとかかわっていったときに、そこから見えてきた彼らの生活や関係のもち方にはすごい発見が多かった。」(228ページ)

 その発見とは、

「いままでの地域リハビリテーションの考え方では、当事者の人たちは依然としてサポートを必要としている人たち、治療を受けなくてはならない人たち、ある面での不十分さをもっていて乗り越えなければならない人たち、または底上げしていかなくてはいけない人たちだったんです。しかし、「不十分」で「克服していく」人たちというよりは、むしろ緩和装置をもった人たちの「可能性」みたいなものに地域とか治療の側の人間は着目していかなくてはならない。」(228ページ)

【社会復帰は不要?】
 精神障害者は、現代社会に対する鋭敏なセンサーを持つ人々であるという。

「「社会復帰」という見方は、この人たちのもっているセンサーを見逃してしまう。それはものすごくもったいないと思う。逆に言えば、当事者の人たちが「自分は社会復帰しなくてはならない」と自分を規定してしまうこと、「いまのままではダメ」というイメージを植え付けてしまうこと自体がもったいないという印象がすごくあった。だから「社会復帰」ではないんです。」(228ページ)

「むしろ、社会復帰は精神科リハビリテーションという世界のなかにない方がいいと思う。」(229ページ)

 聴き手は、ここで、え?と問い返している。

「専門家の予測する、意図する、計画する世界のなかでは精神障害者の自立とか社会復帰は起こらない方がいい。そういうなかで起きてくる自立とか社会復帰ぐらい役に立たないものはない。」(230ページ)

 現代の社会は、復帰すべき場所ではないということだろうか。むしろ、社会の側の在り様が変わらなくてはならない、ということか。あるいは、専門家のがちがちの回復プログラム設定が不要で、有害だということだろうか?
 おそらく、社会のあり方と、専門家のあり方、どちらも変革が必要だということだろう。

【川村医師の言葉、あるいは既成の治療の場への絶望感】
 インタビューのふたりめは、精神科医川村敏明の「病気ってなんですか?」。 聴き手は、四宮鉄男(映像作家)。掲載されているのは、ある映像作品のインタビューの途中からの切り取りらしく、インタビュアーの驚いた様子の応答から始まる。

 ――えっ?お医者には、本当のことは喋らないんですか?

「医者の立場からすると、幻聴を軽くしてあげなければいけないと思ったら、思いやりをもってクスリを増やすと思うんです、少なくとも二割は。それでもダメなら五割は増やしてあげて。それは患者さんにとってはうれしくないことですからね。」(231ページ)

 クスリを増やすことは、患者にとってうれしくないことなのだ、という。

「いま浦河でやっていることは、病気であるかどうか以前に、本人の苦しい経験や思いを初めて人に伝えた、自分の言葉として発したということです。ぼくはそこに最大限の価値を見たいし、あるいはそこに光をあてたい。」(231ページ)

「…従来の…ごくふつうに医者が治療するということだけを前提にしちゃうと、当然、重っくるしいクスリをさらに乗っけていくわけですよ。…そんな現実の治療の場に、みんなはある種の絶望感や失望感を味わうわけですよ。だから黙っていようと。…治療の場のなかで自分の苦しみを言えないということが、残念ながら、いまの精神医療の大半なんです。
 べてるのメンバーから教えられたのは、そういうことです。」(232ページ)

 治療の場で、思ったことを素直に言うことが絶望や失望につながってしまうという逆説。
 これを、現役の精神科医が語っているということ。これには、大きな意義があるというべきだろう。

【そんなに治してくれなくていい】

「べてるのみんなも、ぼくに「そんなに治してくれなくていいんだ」ということを最近はずいぶん言ってきます。「先生、変にリキむなよ!精神科医がリキむとろくなことはないぞ!」っていうようなことを、かれら流の言葉で言ってくれている…。
 従来…治療者サイドは「なんでもできる人、なんでもわかっている人」で、かれら患者は「できなくて、わかったいない人」という設定ですから。しかし現実を見るとぜんぜんそんなことはないんですよね。」(233ページ)

 治そうとすると治らない。治そうとしないほうが治る。河合隼雄が、どこかでそんなことを言っていたはずだ。

【幻聴の肯定的な役割】
 ベてるで、幻聴に「さん」づけをして、幻聴さんと呼んでいることについて、川村医師は、こう語る。

「われわれは幻聴を非常に否定的なものとして見ていましたから、さんづけどころか早くクスリで、それこそ殺菌剤でバイキンを殺すように幻聴をなくさないといけないと思っていたわけです。そこがまったくいまは変わってきて、さんづけをして、いいおつきあいをしていこうということです。そういうことを大事にするのが、現実の人間関係が良くなることにとても役立っているんだと。」(236ページ)

 これは、人の場の豊かさの話に違いない。
 しかし、殺菌剤でバイキンを殺すように幻聴を消し去ろうとする、とは言い得て優れた比喩だと思う。

【とりあえずの表面的な疑問】
 向谷地氏が、社会復帰は不要だといい、川村医師が治さなくていいと言っているのを聞くと、じゃあ、精神障害者に支援は要らない、医療は要らない、保健福祉は不要だということになりそうである。ソーシャルワーカーとしての立場、医師としての立場に矛盾しているのではないか?
 はたしてそうなのだろうか?
 もちろん、そんなことはないわけである。 
 ここは、向谷地氏や川村氏の専門家としての先駆性を見出していくべきところであろう。
 この先駆性とは何か、語るべきことではあるし、語り得ることではあるが、また、別の機会としたい。(たとえば、操作的なことは不要だが、伴走は必要であるとか。)

【浦河に発して語り継がれる民話】
 あとがきに、向井谷地氏はこう記す。

「私も、浦河という土地のなかに、べてるという弱さを生きた人々がいたという足跡を、我が子に誇りをもって語り継ぎたいと思う。それが新しい地域の文化として、人づくり、町づくりに活かされるときが来るような気がしてならない。きっと早坂潔さんは何百年か後に、「むかし、むかし、きよしどんという人が昌平町におりました…」などと語られる民話の主人公になるときがくるかもしれない。」(252ページ)

 ところで、

「絶妙なタッチのイラストでページを飾ってくださったべてるの家のスタッフ、鈴木裕子氏に感謝したい。」(253ページ)

と記される通り、絶妙に配置されたイラストがすばらしい。この本の読み解きを助けてもらえるものとなっていると思う。


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